第183話 一人の時間

「おまえ……痩せたか? 」


 会社ですれ違った忠太郎が、麻衣子の肩を掴んで言った。


「少し……」


 元からスタイルのいい麻衣子だったが、痩せぎすではなく、締まるところは締まる、出るところは出るといった、健康的なメリハリボディだった筈が、ここ一週間でモデル並みのスレンダーな体型になっており、胸も尻も一回り小さくなったような……。


「おまえ、ちょっと来い! 」


 忠太郎は、麻衣子を壁に向かって立たせると、脇からヒップにかけて手を滑らせた。普通ならセクハラな行為であるが、忠太郎は至って真面目だし、仕事以上の行為ではなかった。


「おまえ、サイズ変わってるじゃないか?! 新商品、クリスマスに向けて来週発売なんだぞ!! 」


 すでに広告の写真は撮り終えており、来週の御披露目のショーの後に、街にもポスターが貼られる手筈になっている。

 クリスマスイブに彼氏がデートで着せたい下着をコンセプトに作られており、そのためにセクシーな身体が要求されていた。


「そんなには……。下着も洋服も今まで通りので問題ないですし」

「試着しろ! 」


 麻衣子を引きずるようにフィッティングルームに連れてくると、待ってろとだけ言って部屋を出ていった。

 戻ってきた忠太郎は、三種類のサイズの下着を持っており、それを麻衣子に突きつけた。


「自分でピッタリだと思うやつをつけてみろ」


 カーテンを閉められ、麻衣子は下着を見比べる。売り物ではないから、サイズなどの表記がない。一番自分のサイズに近そうなのを選びつけてみた。


 フィッティングの仕方はかなり勉強させられており、綺麗に見える付け方はマスターしていた。それでも、少し弛い気がして、ワンサイズ下のものをつけてみた。少しキツイ気もするが、こっちのほうが胸は強調できるかもしれない。


「着けたな!? 」


 返事も待たずカーテンが開かれ、忠太郎はかなり怖い顔で麻衣子を凝視する。


「おまえがつけてるのは、前よりサイズダウンしたやつだ」

「……」

「しかも、微妙に合ってないから、見苦し過ぎる! 」


 忠太郎はバッサリ言い捨てると、カーテンを思いっきり閉めた。


「手配しておくから、もう一度採寸してもらえ! いいか、ショーまでの間、一ミリもサイズを変えるな!! 」


 忠太郎の怒りはもっともで、一番身体に変化があったらまずい下着のイメージモデルに引き受けた自覚が足りなかった。

 慧とのことがあり、食欲がないまま、仕事が忙しいことを理由にたいした食事もとらずにいた。あんな生活で痩せない訳がないのだ。


 麻衣子はスーツを着込み、採寸しに採寸・縫製する部署に向かう。ネット通販などの物は工場で大量生産になるのだが、オーダーの物はここで作られる。なので、この部署はサラリーマンというより職人のような人が多い。

 また、忠太郎率いるデザイン部もまたイメージが違い、こちらは忠太郎同様独特のスタイルの人間が多かった。

「すみません、冴木です。武田社長に言われて採寸に来ました」

「ああ、聞いてます」


 以前に採寸してくれた女性が出てきた。


「あらやだ、本当に痩せちゃったわね。女性には魅力的なスタイルかもしれないけど、男性には前の方が受けがいいわね」

「はあ……」

「今回は、男の人にアピールしてプレゼントしたくなる下着だからね、男性の目を惹かないとなのよね」

「そうですよね」


 自分ではそこまで痩せた自覚はなかったが、パッと見ただけでバレてしまうくらいなのか……。


 採寸してもらい、二度手間をかけてしまったことを謝り、色んな面で申し訳なさ過ぎて凹んでしまう。


 ショーが終わるまでは定時で帰ること! ……と忠太郎に厳命され、麻衣子は受け持っていた仕事からも下ろされ、会社にいる間は同期の安西の補佐に回された。

 仕事量が格段に減り、さらに五時半には会社を出なければならなくなり、麻衣子は会社を出て途方にくれた。

 家に帰れば、慧が帰っている時間かもしれず、あまりにもそれは気まずすぎるだろう。


 しょうがなく麻衣子はまだすいている電車に乗り、バスに乗り換え、公園入り口で降りた。

 外で時間を潰すには寒過ぎる。

 少し戻ったところにファミリーレストランがあることを思い出し、バス通りを戻る。一つ前のバス停で降りた方が近かったな……と思いながらも、時間はたっぷりあるからゆっくり歩く。


 レストランに入ると、窓際の席に通され、サラダとドリンクバーを頼む。

 本も持っていないし、慧のようにスマホゲームをやる習慣のない麻衣子は、ただ窓の外を見て……いや視線は窓の外に向いていたが、実際は何も見てはいなかった。


 先週、慧と最後に話しをしてから、慧とは同じ家にいても顔を合わせておらず、あの女性とどうしているのか……。

 まだ二人で会っているのだろうか?

 さらに進展があっただろうか?


 想像すると紅茶すら喉を通らず、これじゃいけないと、サラダを口にしようとするが、口元に持ってくるだけで吐き気すら覚えた。


 このままでは、来週までにまだまだ痩せてしまいそうで、無理に口に入れて噛み砕く。フレンチドレッシングがかかっている筈だが、味を感じなかった。


 スマホが光り、知らない名前からラインが入った。


 佳奈:お久しぶりです。お元気ですか? 慧と同じ大学の佳奈です。


 慧? 名前で、しかも呼び捨てって、打ち損じだろうか?

 名前はすでに忘れていたが、慧の大学の人間で知っているのは夏に海で会った彼女だけだ。


 佳奈:もしお暇があれば、一度お話ししませんか? 慧の近況報告など含めて


 またと書いてある。


 麻衣子は、躊躇いながらも返信を打つ。既読がついてしまっているから、無視もどうかな……と思ったのだ。


 麻衣子:お久しぶりです。年末は仕事も忙しくて、ごめんなさい。時間をとるのは難しいです


 あまり会いたい人間ではないから、お断りの文章を送った。

 すぐに既読がつき、返信がくる。


 佳奈:最近、慧と話してないでしょ? 慧のこと、知りたくないですか?


 確かにそれは事実であるが、まるで自分の方が慧を知っているというような書き方に、麻衣子はムッとする。


 麻衣子:そんなことないです。慧君とは変わりませんよ


 佳奈:またまたぁ。強がらなくていいです。全部わかってますから。家庭内別居状態ですよね


 何この子?!


 まさか、慧がベラベラと家のことを話すとも思えず、なぜそんなことを知っているのか?!


 佳奈:恭子先生とのこととか、知りたいんじゃないですか?


 恭子先生……って、名前は聞いてないが慧の相手のことだろう。それは気になって、気になって気になって、食事さえも喉に通らないくらいではあるが……。


 麻衣子はこの先、既読無視することにする。

 すると、しつこいくらいに佳奈からラインが届き、麻衣子は怖くなってスマホの電源を落とした。


 大きくため息をつき、やることがないので窓の外を眺める。


 それにしても、あの西城って子、まだ慧君にからんでるんだ。大学でも大変なんだろうな……。


 まさか、慧が恭子のことで脅迫まがいのことを受けており、佳奈が彼女面をしていることなど知らない麻衣子は、佳奈につきまとわれてウザそうにしている慧を想像して可哀想に思う。実際はウザいなんてものは通り越し、究極に嫌がっているのだが、これは身から出た錆……自業自得というものである。


 二人が寝室を分けてからというもの、麻衣子と慧の様子が盗聴できなくなっていたため、佳奈は盗聴できないのは良いしるし……と思いつつも、別れるでもなく一緒に暮らす二人に焦りを感じてもいた。さらに、今までは佳奈のすることにされるがままだった慧が、麻衣子に恭子のことがバレてからは、佳奈を正面から疎んじてくるようになったことも、佳奈が麻衣子にアプローチを開始した要因にもなっていた。


 佳奈は、大きな勘違いをしていたのだ。麻衣子とさえ別れれば、恭子との関係大っぴらにできないのだから、自分は本当に慧の彼女になれるのだ……と。

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