第179話 佳奈の暗躍
「慧、ちょっと話しがあるの」
凛花をすげなくあしらっていた慧の目の前に、神妙な表情の佳奈が壁のように立ち塞がった。
「慧?! 」
凛花が唖然として慧と佳奈を見比べ、いきなり名前を呼び捨てした佳奈に信じられない物を見るような目付きを向けた。
「あんた、いつから松田君の名前を呼び捨てに……」
「あら、凛花ちゃんいたの? ごめんなさい、慧しか目に入らなかったわ。そうだ、慧。この前一緒にいった海の写真、あげようと思って持ってきたの」
「海?! 」
佳奈は、見せびらかすように、慧と佳奈が水着を着て並んで映っている写真を取り出す。
不自然に横が切れた写真。この切れた方には、麻衣子が映っていた筈で、うまい具合に修正されていた。
まるで、慧と佳奈が二人で海へ行ったように……。
「おま……ッ! こら、渡せ! 」
写真を握り潰そうとした慧に、佳奈はわざとらしくヒラヒラと回りにアピールするように写真を振り回し、慧にはたかれて写真を落とした。
「イヤね、照れ屋さんなんだから」
「へえ、二人ってそういう関係だったの? 」
たまたま写真が飛んで行った先に、クラスでオシャベリで有名な優香がいて、写真を拾い上げて佳奈に渡した。
「そんな訳……」
「ウフフ、想像にお任せするわ。千葉の海なんだけどね、なかなか綺麗だったわよ」
佳奈の言葉に、優香はすっかり慧と佳奈カップル説が頭に刻まれてしまう。
そして恐ろしいことに、三日でそれは学内に広がることになる。男子の少ない学部ゆえか、在学する男子ネタは、異常に早く広がるのだ。
「松田君! どういうこと?! 」
凛花は、自分を差し置いてなぜ佳奈が……という気持ちと、慧には彼女がいた筈で、あの美人な彼女がいながら、凛花ではなく佳奈を選んだ慧の趣味の悪さに幻滅して、慧に詰め寄った。
「いや、ちげーから! 」
佳奈は慧の腕をつかみ、胸だか腹だかわからない肉を押し当ててくる。
「おまえ、離れろ! 」
「もう! 人前でお・ま・えだなんて……」
だ~か~ら~ッ!!
その「おまえ」じゃないっつうの!
「松田君! ちょっとどういうことよ?! 」
右側に佳奈、左側に凛花。両手に花とは言い難く、ただウザイだけの存在を重石のようにぶら下げ、慧は勘弁してくれよと天を仰ぐ。その際、目の端に気にかかる存在を捕らえ、慧は二人を思いきり振り払った。
「おまえら邪魔! 」
慧は教室から飛び出し、廊下を曲がる人物の後ろ姿を確認した。
白衣の裾が角から消えるのを見て、慧は思わず廊下を走る。角を曲がった途端、壁に寄りかかって立っていた白衣の人物を追い越してしまい、慧は急ブレーキをかけた。
「君、廊下を走ったらダメよ。ちょっとお説教しなきゃだわね。ついていらっしゃい」
赤い唇は笑っており、お説教という雰囲気でもないが、慧は言われたままに白衣の人物の後をついていき、その後ろ姿を佳奈がジッと見ていたが、そんなものに気がつく余裕はなかった。
★★★
「どうぞ、入って」
教授室の扉を開け、恭子は慧に魅惑的な笑みを向ける。慧の視線が恭子の唇に注がれているのを意識してか、わざとらしく半開きにして見上げるように慧にすり寄る。
「ほら、早く入りなさいよ。お説教のお時間ですからね」
甘い香りが鼻をくすぐり、嫌でも先日の出来事が思い出された。
慧は引き寄せられるように教授室に入り、恭子はドアを閉め、カチャリと鍵をかける音が響いた。
「さあ、そこに座って」
同じようにソファーに座らされ、恭子も同じように肘掛けに腰を下ろす。
肘に恭子の尻が当たり、慧は恭子の身体を自分の上に引き寄せた。弾力のある尻が、慧の股関の上で跳ねる。
「いけない子。お説教って言ったでしょ」
恭子は、慧の頭を抱えるように抱きしめると、その胸の谷間に顔を押し当てるようにする。
思っていた通り、麻衣子並みの弾力と柔らかさのある胸は、むせるくらい甘い香りがした。
慧は、その谷間に唇を寄せ、強く吸った。
「こら、こら、見える場所に痕をつけるのは反則よ」
「……見えない場所ならいいんだ? 」
「……どうかしら? 」
この間はされるがままだった慧だから、積極的に今度は恭子を攻めようとすると、恭子から唇を寄せてきて、あのネットリとした濃厚なキスをしてきた。
理性が飛ぶ……というより、麻薬のようなキスだった。
それ以外考えられなくなり、もっともっとキスしていたくなる。
そんなキスを十分程していただろうか、慧が恭子の胸に手を押し入れようとすると、恭子の手がヤンワリとその手を拒絶した。やはり触らせてはくれないらしい。
「会議あったんだったわ。行かなくちゃ。また……今度ね」
恭子は、今回はソフトなキスを残し、慧の上から立ち上がる。
「俺からここに来てもいい? 」
「お好きなように」
慧の頬にキスを残すと、その瞳には抑えきれない愛情のような物が浮かんでいるように見えた。ウエストに回された慧の手を外すと、シャツを整えて鏡に向かう。
口紅を塗り直し、簡単に化粧直しをして振り返った顔は、いつもの色気のある恭子の顔だった。
「教室に戻るなら、顔を洗った方が良くてよ」
恭子が部屋を出てから、慧は自分の顔を鏡で確認する。うっすら口の回りが恭子の口紅で赤く染まり、恭子とのキスの残骸として残っていた。
手の甲で拭うが、キレイには落ちない。
この間はこんなことなかったのに……。
そして、気がついた。
この間の時は、恭子は薄いグロスのみで口紅は塗っていなかった。いつもは、今日みたいに挑発するような赤い口紅をつけているのに……だ。
つまり、恭子は慧とキスするつもりで口紅を落として、淡いグロスのみに塗り替えて待っていたということだろうか?
なかなか落ちない口紅の赤さをこすりながら、諦めて石鹸で口の回りを洗う。
ようやく口の回りの赤さが目立たなくなり、落ちない口紅ってのは、本当に落ちないんだなと、ヒリヒリする唇を撫でながら痛感した。
教授室を出ようと扉を開けた瞬間、目の前に立っていた人物名と激突し、慧は思わずよろけてしまう。
その山のようにずっしりと身動きしない物体は、よろけることもなく、慧を見上げていた。
「おまえ?! 」
「イヤね、こんな時にもおまえだなんて」
こんな時って、どんな時だ?!
っていうか、こいつここで何を?
まさか聞かれた?!
慧が無言で頭をフル回転させている間、佳奈は読み取りようのない真面目腐った顔をしていた。
そこには驚きも侮蔑もなく、ただ覚りきったような、何でもお見通し……みたいな、そら恐ろしい空気感だけを漂わせていた。
「おまえ……ここで何を? 」
「別に、立っていただけよ」
「立っていたって……? 」
「言葉通りよ。慧が恭子先生とき教授室に入ったのを見て、ここでこうして立っていたの」
それは、盗み聞きというのでは?
「それで? 」
「私、慧に話しがあるの。さっきも言ったわよね」
そう言えば、そんなことを言われた記憶があるようなないような。
「ちょっと、こっちに……」
佳奈は慧の腕を引っ張り、大学院校舎の屋上へ向かう階段へ引きずり込む。すっかり動揺している慧は、引きずられるまま歩き、屋上の扉の前に立たされた。
「慧は先生と浮気したいの?」
直球できた言葉に、慧は返事をすることができなかった。
浮気をしたら今度こそ麻衣子は出ていくかもしれず、かといって恭子とのことをまだギリギリ浮気じゃない(キスをは浮気に入らないという慧の自分勝手な考え)今の段階でおしまいにできる程、簡単に手離せる関係でもなかった。
「そう……。よく分かったわ」
だんまりは肯定と受け取った佳奈は、慧を引き寄せその分厚い唇を寄せてきた。
「おまッ! 何を! 」
寸ででかわすと、佳奈の表情が暗く歪む。
「先生との関係を続けたいなら、代わりに目くらましになる存在が必要だわ」
「はあ? 」
「二十も年の差がある教授と学生の恋愛、ばれたら恭子先生の立場がまずいんじゃない? それに彼女の麻衣子さんがどう思うか……」
これは脅しか?
「私と付き合ったことにすれば、隠れ蓑になって先生とも会い放題よ。麻衣子さんにもバレないように、協力だってしてもいいわ」
そう言うと、佳奈はスマホを取り出し、動画を再生した。
映っているのはただのドア。
ただし教授室のドアで、問題は音声だった。
恭子と慧のくぐもった会話、キスをしているような唾液の交ざる音。キスしていることを証明するような会話。
全てが途切れることなく録画されていた。
「これ……」
「最近のスマホは感度がいいのよね」
佳奈はスマホをしまうと、慧の方へ唇を突きだした。
「どうする? 私なら、全てを丸く納めてあげれてよ」
勝ち誇ったような、それでいて暗く淀んだ視線を向けられ、慧は下がることもできず、ただただ佳奈の迫ってくる唇を凝視した。
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