第175話 忠太郎のプレハブ小屋

「あの……本当にやるんですか?」


 ナイトガウンを羽織った麻衣子が、腰の紐をギュッと握り締め、台の上に立っていた。


 目の前には忠太郎とその他大勢。デザイン部の半数以上がスケッチブックを片手に、麻衣子のことを見上げていた。その中には柚奈の姿もあり、能天気に麻衣子に手を振っている。


「デザインするには、まず女性の身体を知るのが一番だからな」

「別に私でなくても……。モデルさんはいっぱいいらっしゃるんですし」

「今回のメインは、冴木に着てもらうからな、そのイメージをつかんでもらわないとなんだよ。うちはオーダーもやってるから、その練習にもなるしな」


 だからって、数十人の前で下着姿になるってのは……。


「おまえが素人シロートだから、デザイン部の女ばかり集めたんだから、ゴチャゴチャ言ってないでガウンを脱げ! 」

「はい!! 」


 麻衣子はガウンを脱いで下着姿になる。偏見を入れないように、肌色の下着を着ているのだが、肌色だけに遠目からは何も着ていないように見えてしまう。


 一時間程下着姿でポーズをとり、解放された時は恥ずかしさはすでになく、動けるようになった安堵感で、椅子に沈み混むように崩れ落ちた。


「お疲れ」


 忠太郎にガウンをかけてもらい、麻衣子は想像以上に張った筋肉を揉みほぐしながら曖昧に微笑んだ。

 飲みの席での話しとはいえ、一度引き受けたことだから、きちんとこなしたいとは思うが、自分が新作下着のイメージモデルとかできるのか謎だ。


 毎回、新作は一般人(主に新入社員)をイメージモデルとして作るらしい。購入するのは一般人であり、手にとって買える店舗販売と違い、ネット通販を基本としているため、スタイル抜群のモデルを使うより、どこにでもいそうな人間を起用した方が購入側も自分に当てはめて想像しやすいということだ。

 今回、麻衣子が選ばれたのは、モデル並みのスタイルで……という訳ではない。ただ、その胸の大きさと形が今回のコンセプトにびったりだったのだ。

 逆に、もう少しスタイルが悪くてもいいくらいだった。


 今回のモデルをやるに当たり、顔出しはNGということは了解はとれているため、麻衣子はこのことは誰にも言っていなかった。

 勿論、慧にもだ。


「ちょっと、仮合わせしたいから、フィッティングルームに着て」


 忠太郎に言われ、麻衣子はガウンを着て忠太郎について行く。

 しかし、フィッティングルームはオーダーメイドの客が使っており、使用することができなかった。

 エレベーターに乗ると、忠太郎はRボタンを押す。


 屋上でフィッティング?


 いくらこのビルが高いとはいえ、周りにはまだまだ高いビルがウジャウジャあり、屋上なんて覗きたい放題だ。


 まさかそんな場所で下着姿を披露することはない……と信じたい。第一、新作の仮合わせということは、いわば企業秘密。発表するまでは、社内でだって特定の人物しか知らない筈だ。


 屋上階につくと、忠太郎は重い扉を開けて、麻衣子に屋上に出るようにうながす。

 屋上は風が強く、麻衣子はガウンをしっかりと押さえた。


「あそこ」


 忠太郎が指差す先に、物置小屋のようなプレハブがあった。


「あそこですか? 」


 忠太郎の後についてプレハブに入ると、そこは外装からは想像できない程居心地の良さそうなスペースになっていた。

 まるで個人の住居スペースのような。

 ベッドや冷蔵庫、電子レンジなどの生活必要品は揃っており、食事がとれるローテーブルや可愛らしいクッション、忠太郎が仕事をするのに使うのか仕事用のテーブルもあった。

 若干床が散らかっているのが気になるが、まあ逆に生活感があり、ここが物置とかの類いではないことを示していた。


「ここって……? 」

「社長室」


 忠太郎は、ニッと笑って言った。


「兼、俺の住居。本当は引っ越そうと思っていたんだけど、目星つけていたところを、先に誰かさんにとられて、しょうがなくまだここにいる訳」


 誰かさん?


 何やら引っかかる言い方のような気がしたが、麻衣子は特に気にせず周りをキョロキョロと見た。何か気になるというか、何かが足りないような……。


 ワンルームで、広々とはしているが窓は高い位置にあるだけで、外の明かりはあまり入ってこない。換気も悪そうだが、エアコンや空気清浄機はばっちりついているし、天井についた照明以外に間接照明も置いているし、暗いということもない。


「社長はここに間借りしてるんですか? 」

「家に帰るのが面倒ってのと、仕事してたら終電逃すことが多くて。仮眠室を俺が使ったら、社員がゆっくり休めないだろうし、あんま俺が残業ばっかしてたら、社員も帰りづらいからな。たまたまこのビルのオーナーは知り合いだったし、ただで使っていいって言われてさ」

「ただなんですか」

「ああ。なかなかいいだろ? 最初は仕事ができて仮眠ができればいいから、ベッドと机しかなかったんだがな、彼女ができたら、色々と物も増えたよ」


 なるほど、だから所々可愛い感じなのか。

 クッションは二つだし、枕も二つ。流しにマグカップも二つ洗われて置いてあった。


 が、違和感はそれじゃなくて……と考えたところで、やっと違和感の正体に気がついた。

 ワンルーム、八畳から十畳くらいの広さがあるが、扉は入り口の一つのみ。

 つまり、トイレもお風呂もないのだ。


「社長、トイレとかお風呂は? 」

「両方会社の使ってる。ここにはないな」


 風呂はまあいい。シャワーだけしか浴びないって人もいるし、風呂なし物件に住んでいる人間だって少なくはないだろうから。


 ただ、トイレは?


 雨が降ってたら、傘差してビルに入るんだろうか? 小降りでもこのビル風では傘は意味なさそうだし、台風の時は?


 プレハブ自体が飛んでいきそうで、かなり怖いんですけど。


「こちらに住まれて、どのくらいに? 」


 昨日今日でないことは確かで、ヘタしたら数ヶ月こんな不便な生活を?


 忠太郎は、指を折って数えだした。


「十年? いや、十一……二年くらいかな」

「そんなに?! ……ですか」


 二十歳の時に両親揃って事故で他界し、それから会社を継いで、家に帰りたくなくてここに住み着いた。最初は会議室程度の一室を事務所として間借りする小さな卸売りで、それをネット通販に事業展開し、今では自社の製品のみネットで扱う下着メーカーにまでなった。

 二十代は仕事に明け暮れ、その時の名残でどうしても自分で率先して仕事をしてしまう。社員に任せるところは任さないと……と、頭ではわかっているのだが。


 それでも、四年前に彼女ができてから、かなり自分の時間も作るようにはなっていた。週に一度は仕事以外に外出するようになったのだから、忠太郎にとっては凄い変化である。


「俺のことに興味を持ってくれるのはありがたいが、今はこれの試着を頼む」


 仮合わせと言っていたが、すでに出来上がっているように見えた。


「はい……でもどこで? 」


 トイレも風呂場もないワンルームだ。まさか、表で着てこいなんてことはないだろう。


「ああ、そうか。めんどくさいから俺は後ろを向いているからさっさと着替えろ」

「……はあ」


 さっさと壁の方を向いた忠太郎の後ろ姿を見て、麻衣子は一瞬悩んだが素直に上下セットの下着を身につけることにする。

 忠太郎の背中に迷いややましさなどは微塵も感じられなかったからだ。

 異性として意識されたい訳ではないが、ここまで眼中にないというような態度をとられると、年頃の女性としてはちょっと……。

 いきなり振り返られても困るから、これでいいのだが、何か釈然としないというか。


 パンティを履き替え、ブラを外したところで、ドアがバタンと開く音がして、麻衣子は胸を押さえて振り返った。

 ドアの所には、目を見開いて高校生くらいの女子が茫然と立っていた。


「あ……」


 麻衣子が声をかけようとしたが、女の子は無言で扉を閉めてしまった。あれは、確実に勘違いしているだろう。

 忠太郎の親戚の子供だろうか? それにしても、何か見た記憶があるような?


「ちょっと待ってて! 」


 忠太郎は半裸の麻衣子を放置して、慌ててプレハブから走って出ていった。

 残された麻衣子は、意味もわからず、とりあえずブラを付け、ガウンを着て正座して待った。

 凄く間抜けな格好で放置されたが、これも仕事だからしょうがない……のか?



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