第二章

第174話 甘い誘惑

 大学が始まり、慧は部室で上級生達に囲まれていた。

 ほぼ女子のその面子の圧は凄まじく、この拷問はいつ終わるんだろう……と、慧はひたすら心を無にしてうつむいていた。

 何せ、一言言おうものなら、マルチサラウンドのステレオ放送の如く、一斉に責め立ててくるのだ。とにかく、先輩達の怒りが過ぎ去るのを待つしかなく、そのためには殊勝な表情(慧にできるとは思えず、実際ふてくされているように見えていたが)で、とにかくだんまりを決め込んでいた。


「合宿があることは連絡いってたよね? 」

「はあ……」

「病欠とか、忌引きとかじゃない限り、基本参加してもらわないと困るのよ。学祭でのお茶会で、恥をかくのはあなたなんだし」


 茶会にすらでるつもりはないというか、佳奈のことがあって、茶道部を辞める気満々で、退部届けまで仕込んできているくらいだ。


「はあ……」


 くどくどと説教が始まり、さすがに本来なら年下の部長(四年生)に色々言われるのも頭にきてきた頃、ポケットにしまいこんだ退部届けを叩きつけてやろうかと思った時、顧問の高林恭子教授がやってきた。

 教授といっても、まだ四十後半、見た目だけなら三十代前半にも見えそうな美人で、白衣姿が滅茶苦茶エロい。


「慧君、君、合宿何で来なかったの? 」

「いや、まあ……」


 慧は退部届けを叩きつけるタイミングを逃して、慧は封筒を握りしめたまま口ごもる。


「なあに、それ? 先生へのラブレター? まさか退部届けじゃないわよね? 」


 甘ったるい声で、恭子はちらりと慧の手に握られた封筒に目を向けて言う。先輩達はざわめき、慧は今が退部届けの出し時かと、躊躇した。

 恭子は慧が次の一言を言う前に、慧の手を握り自分の胸元に押し付ける。その柔らかい感触は、麻衣子のモノと遜色ない代物だった。


「ねえ、何か問題があるのなら、先生が相談にのるわ。こんなに囲って脅すようなことしちゃダメ。ね、後は先生に任せて。慧君は放課後教授室にいらっしゃい」


 これは助けられたのか、嵌められたのか……?


 先輩達はスゴスゴと引き下がり、後ろに控えていた現役部員も部室から出て行こうとした。


「先生! 私も放課後お邪魔してもいいですか? 」


 佳奈が最後に部室に残って、恭子に声をかけた。


「佳奈ちゃん? あなたには関係ないわよね? 」

「恭子先生、でも私も無関係じゃないって言うか、私が松田君のこと勧誘したみたいなもので、私がいたから茶道部に入ってくれたって言うか……」

「そうなの? 」


 意外そうに慧を見る恭子に、慧はただ首を横に振った。


「あなた達、仲良しさんなのかしら? 」

「夏休みだって、一緒に海に行きましたし……」


 一緒に海にって、俺達の旅行先にたまたまおまえがいただけで、一緒に行った訳じゃない!!!


 あまりのことに、慧は口をパクパクさせて過呼吸になるんじゃないかとさえ思った。


「あら、まあ……。そんな仲なの? 」

「違う!!! 」


 あまりのことに、慧はそう叫ぶのがやっとだった。人間、あり得ないショックを受けると、言葉もまともにでてこなくなるらしい。


「まあ、あなた達の関係はどうでもいいわ。佳奈ちゃん、あなたはきちゃダ・メ・よ」

「何でですか?! 」


 佳奈がくってかかり、恭子は色っぽくウフフと笑う。


「ダ・メ・だ・か・ら」


 じゃあ放課後にね……と、恭子は部室からから出ていってしまう。取り残されたのは慧と佳奈の二人。


 気まずい(慧のみ)空気が流れる。


「松田君……、放課後恭子先生のとこ行くの? 」

「そりゃ、まあ、呼び出されたし、あっちは教授だし、行かないとだろ」

「イヤ! 行かないで!! 」


 突進してくる佳奈を、寸でのところでかわし、気分はマタドールである。鼻息荒く、つれないんだからと身体を揺らす佳奈は、言うまでもなく闘牛だろう。


「おまえね、どんどんキャラかわってねぇか? 」

「イヤン! おまえなんて、恥ずかしい! あ・な・た。ウフッ」


 なんて甘ったるい意味の呼び方ではなく、限りなくに近いおまえであったのだが、佳奈は甘い呼び掛けととったようだ。


 最初会った時は、凛花の取り巻きの地味な女の一人で、ここまで自己主張が激しいというか、気味の悪さはなかった筈なのに。


「女は、愛されると変われるものなの」

「キモッ! 」


 慧は、佳奈と距離をとりながらジリジリと扉に近づき、扉の取手に手がかかった途端、ホッと息を吐き出した。


「松田君……ううん、慧」

「は? 」


 佳奈に呼び捨てにされる意味が分からず、扉をあける手がピタリと止まった。


「慧、恭子先生のとこだけは行かないで。本当にお願い。あなたが変わってしまいそうで、私には二度と見向きしなくなりそうで怖いの」


 胸の前に手を組み、瞳を潤ませている佳奈を……張り倒したい衝動に駆られ、慧はグッと拳を握った。

 だ。決してではないことを声を大きく叫びたくなる。


「意味わかんねぇこと言うな! 」


 慧は佳奈を部室に置き去り、足早に教室へ戻った。



 放課後、慧は何か言いたげな佳奈の視線を無視して、帰り支度をして教室を出た。


「松田君、帰るんなら私とお茶でも」


 慧を追いかけてきた凛花が、慧に腕をからめてきた。


「無理」


 すげなく言い捨てる慧はに、凛花はムッとしたように胸を押し付けてくる。

 思わず、さっきの恭子の豊かな張りのある胸と比べてしまう。

 あの柔らかさで、あの張りはマジで麻衣子並みだった。


「少しは考えなさいよ」

「うぜえって。先生に呼び出しくらってんの。一人で茶しろよ」


 凛花の腕をすり抜け、恭子の教室へ向かう。

 教授の部屋は、大学院校舎にあった。一般校舎と違い、ひっそりと静まり返っており、みな自分の研究意外には興味がなく、研究室から滅多に出てこない。


 慧は恭子教の名札がかかっている部屋の前にくると、一つ咳払いしてから扉をノックした。


「はい、どうぞ」


 部屋に入ると、恭子の使っている甘ったるい香りと、コーヒーの匂いが混ざって、慧の鼻を刺激した。


「失礼しまっす」

「いらっしゃい。どうぞ、ここに座って」


 ソファーを指差され、慧はソファーの端に腰かけた。恭子はコーヒーをいれると慧の目の前に置き、 自分は慧の横の肘掛けに腰を下ろした。


「先生、そこは椅子じゃないっすよ」

「あら? そうだったかしら? 私、固い方が好きなの」


 恭子はクスリと笑うと、さりげなくヒップを慧の腕に擦り寄せる。


「で……、お父様は……修平先生はお元気? 」

「はい? 」


 茶道部の話しで呼ばれたと思いきや、いきなり父親の名前がでてきて驚いてしまう。


「あなたのお父様、大学院生の時だわね。私の家庭教師をしてくれていたの。お父様に聞いてみてごらんなさい。高林恭子はご存知?って」

「そう……なんすか」


 てっきり退部届けのことを突っ込まれると思っていたため、気が抜けた慧は、ソファーに寄りかかるように姿勢を崩した。


「あなた、修平先生に似ているわ」


 恭子教授は、慧の胸に中指をそわせた。


「そう……っすか? 」

「ええ、私の初恋の修平先生にそっくりよ」


 それはそれで問題発言である。


「私は中学生だったのよね。修平先生には婚約者がいらして、私なんか相手にしてくださらなかったの」


 その婚約者は慧の母親だろう。


「あなた、本当にあの時の先生にそっくりね」


 恭子は、肘掛けからスルリと腰を落とすと、慧の膝の上にムッチリとした尻を乗せ、慧の首に腕を回す。


「先生? 」

「恭子……って呼んでみてくれない? 」

「恭子? 」

「ウフッ、修平先生に呼ばれてるみたいだわ」


 密着した身体は艶かしく、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「親父なんて、腹の出た中年のおっさんっすよ」

「あら、おなか出てるの? 素敵だわ」


 何が素敵かわからないが、恭子はさらに慧にすり寄る。


「先生、俺は椅子じゃないっすよ」

「そうねぇ、修平先生の息子さんよね」


 尻をこすりつけるようにし、慧の股関を刺激する。どの息子さんだ?


「ね、私の夢を叶えてくれない?」

「夢って? 」

「修平先生とのファーストキス」


 触れるか触れないかくらいの距離に恭子の唇が寄ってくる。


「もうファーストじゃないんじゃないの? 」

「修平先生とはってこと。私、勉強熱心だし真面目な努力家だから、いつだって修平先生を陥落できるように、予習復習はかかさなかったの」

「俺、親父じゃないからな」

「いいのよ。私にとっては同じだから」


 ゆっくりと恭子の唇が慧に触れ、ねっとりとした舌が、吸い付くような唇が慧を刺激する。

 まったりと、それでいて官能的に唾液の交わる音が響く。


 真面目な努力家……と言うだけあって、口の中の性感帯を余すことなく刺激され、慧は珍しく溺れるようなキスをした。


 どれくらい唇を重ねていたかわからない。慧の腕は恭子のウエストをしっかり抱きしめ、その手を自分から離すことができなかった。

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