第169話 新居にて

「あの子達、帰っちゃったね」


 杏里と洗い物をしている時、杏里が含みのある口調で言った。

 麻衣子と杏里と亜美で夕飯を作っている最中、凛花達は用事があるからとそそくさと帰ってしまっていた。

 中西と亜美も夕飯を食べて帰ってしまい、佑は亜美の片付け待ちをしていた。


「そうだね」

「お兄さんと……どんな関係なんだろうね」

「馬鹿なこと言わないの」

「だって、あの二人、明らかにお兄さん狙いみたいだったじゃん。派手目の子なんて、引っ越し手伝いであの格好はないでしょ。お兄さん誘惑する気満々じゃん」


 まあ、そう思わなくはなかったけど、まさか私が彼女ですから……とか言えないし。慧が麻衣子を彼女と紹介してくれたことで、相手にも自分にもアピールしてるんだろうなと思った。

 だから、あえてあの子達何? ……と聞くこともなく、ごく普通に接することができたわけで。


「気をつけておいた方がいいと思うよ」

「何を気を付けるんだよ! 」


 後ろから杏里の頭にポカリと拳骨が飛んできて、振り返ると慧がムスリとして立っていた。


「だから、お兄さんの同級生」

「下らない話ししてないで、早く帰れよ」


 こめかみをグリグリされ、杏里は泡を慧になすりつける。


「何よ~!せっかく手伝いにきて、早く帰れはないでしょ」

「はいはい、止めろ、止めろって。俺が悪かったよ。今日はお疲れでしょうから、お早くお帰りください。これでいいか?」


 杏里は洗い物を全部終わらせると、慧のシャツで手を拭き、フンッと鼻を鳴らした。


「どうぞ、新居でイチャイチャしたいんでしょ。佑、帰るよ」


 この二人、仲が良いのか悪いのか……。


 多分仲が良いのだろう。

 麻衣子は少し羨ましく思う。二人とも素で話しているし、兄妹ってこんな感じかもしれないとさえ思う。杏里は麻衣子のことを崇拝しているから、甘えてくることはあっても、拗ねたりひねくれたりはしてくれない。

 慧も、杏里にするようにぞんざいな態度で麻衣子に接することはない。毎回そうだとへこたれてしまいそうだが、たまにならそれも愛情表現な気がした。


 麻衣子は、佑と杏里に礼を言うために玄関まで行き、二人に挨拶をして鍵を閉める。


 ソファーに寝転がっている慧の足元の床に座り、ついていたテレビを見た。前のマンションなら、ワンルームだから慧がゴロゴロするのはベッドだったのだが、今は寝室は別にあるから、気軽に二人でゴロゴロできない。ソファーも二人用で小さいから、慧が横になると、座れないのだ。

 足を投げ出せるスツールを買うか、もう少し大きいソファーを買うか……。それでも、慧が横になってしまっては二人座れないだろう。


「今日は疲れたね」

「だな」


 慧はスマホをいじっているが、あの手の動きはラインとかじゃなく、ゲームをやっているようだ。


「中西君と亜美ちゃん、凄かったね」

「あの二人なら、引っ越し屋も開業できそうだな」

「慧君のお友達も手伝いにきてくれたから、今度お礼しないとだね」

「あいつらはいいよ」

「なんで? だって、夕飯も食べて行ってくれなかったし、後日ちゃんとしないと」

「別に、来てくれって頼んだ訳じゃねえし、あいつら下心があってだから、いいんじゃね? 」

「下心? 」


 慧は、スマホから目を外さず言う。


「ああ、なんか知らんけど、女子が多いせいだろうな、男ってだけでモテるんだよ。」

「あの二人には告白とかされた?」

「されてないけど、回りでチョロチョロ鬱陶しかったから、彼女がいるアピールにちょうどいいかなってな」


 麻衣子は呆れ気味に慧を見た。

 麻衣子も、彼女達がくることは聞いていなかったし、多分彼女達も麻衣子の存在を知らずに手伝いにきたんだと思う。ショックを与えた上で、只働きなんかさせて、もう少しやりようはなかったんだろうか?


「なあ、そんなのはどうでもいいから、疲れたからチャッチャと布団行こうぜ」


 慧が麻衣子の肩を足で突っつく。

 慧にとって、あの二人のことは麻衣子との性生活の前では、くだらなく、どうでもいいことなんである。


 こんな時、ワンルームなら即行ベッドでイチャつきながら事に移れるが、わざわざ寝室に移動しなきゃならないというのは一手間だ。

 しかも、そのことについてお伺いが必要になるというのはちょっと……。


 さっき、麻衣子が新しいソファーの必要性を感じたように、慧もまた新しいソファー(ソファーベッド)の必要性を感じる。


「なあ、次の休み、新しいソファー見に行かね? 」

「ああ、うん。私もそれは思った」

「デカいやつな。ソファーベッドがいいな」

「そんなに大きいの必要? 」


 慧が横になって、足元に座れるくらいの大きさがあればいいと思っていた麻衣子と、がっつりベッド仕様ですぐにでもヤれるようにと考えている慧では、思惑はすれ違いながらも、ソファーを買うという目的は一致していた。


「そりゃいるだろ。食べたらまったり横になりたいし、誰か泊まり来た時にも役立つしな」

「そう……なの? 」


 今のソファーでも十分横になってるし、部屋は余っているから客間はある。布団だけは慧の実家からももらったし、麻衣子が前に使っていたものもある。

 ソファーベッドである必要性を感じなかったが、大は小を兼ねるということだろうと理解した麻衣子は、さっそくスマホでソファーベッドを検索し始めた。


「そんなのは明日! とにかく寝ようぜ」

「お風呂は? 」

「そうだな! まずは風呂か。とりあえず、入れてくる」


 慧は俊敏に起き上がると、風呂場へ直行する。こんな時は行動が素早い慧だ。


 なんとなく、慧の意図を汲み取った麻衣子は、疲れてて眠いんだけどな……と思いながらも、慧の思惑にばっちりのってしまうのであった。


 ★★★


「凛花ちゃん、凛花ちゃんってば! 」


 電車がきて、心ここにあらずの凛花を佳奈が揺さぶった。


「ま……負けたわ」

「えっ? 何か言った? 」


 顔はいい勝負だと思う。いや、妹の杏里になら負けていたかもしれないが、麻衣子になら少し凛花に軍配が上がっているようにも思われた。しかし、スタイルは完敗だ。そりゃ、凛花が色仕掛けをしても、慧がなびかなかった訳である。

 あの香り立つような色気、抜群のスタイルは地味な格好をしてもなお、隠しきれていなかった。

 ただ痩せている、胸だけデカいというのではなく、究極に長い足、引き締まって形よい尻は男ならむしゃぶりつきたいに違いない。引き締まったウエストは、贅肉があるようには見えなかった。その上の豊かな双丘は、形といい、大きさといい、まさに美胸! 女の自分ですら、ついフラフラと触りたくなるくらいだ。


 あんな完璧なスタイルを見せつけられてしまったら、自分の格好が恥ずかしく、空しいだけに思われた。


「完敗だわ」

「だから、何を言っているの? 」


 佳奈は凛花のようにダメージを受けた様子はなく、何故か逆に機嫌が良さそうにしていた。


「だって! あんなに完璧なスタイルの彼女がいるのよ! 顔は……まあまあかもしれないけど」

「そう? 顔も可愛かったけど」

「あんたに比べればね」

「だからなのね」

「は? 」

「だ・か・ら、凛花ちゃんじゃなくて、私のいる茶道部を選んだんだわ」

「あんた、頭壊れたの? 」


 うっとりとした表情さえ見せる佳奈を、凛花は気味悪そうに見た。


 凛花の大学の取り巻きの中でも、佳奈は地味で目立たず、見た目も平均以下。なんで派手な凛花の周りにいるかわからないような存在だった。ただ、凛花のズケズケ言う性格にもめげずについてくるのは佳奈くらいで、こけ下ろしている凛花でさえ、この子神経ないんじゃないの? と思うほどだった。


 そんな佳奈が、最近は意味不明な自信をつけ、凛花に張り合って慧にまとわりつくようになったのだが、意気消沈の凛花と反して、なぜかご機嫌な佳奈は、スキップしそうな勢いで電車に乗った。


「松田君は、彼女とタイプの違う私みたいなのに興味があるんだわ。それに、何て言っても私は凛花ちゃんと違って男性経験ないし、それもきっと珍しいわよね」


 麻衣子の始めての相手が慧だと知らない佳奈は、自分の価値が無限大みたいに思っているようだ。


「今時、バージンなんてめんどくさいだけじゃない。ってか、あんな彼女がいる松田君が、あんたみたいなのを相手にする訳ないでしょ! 」

「凛花ちゃんは、男性にモテるようで、男性の心理がわかっていないのね」

「なっ?! 」


 馬鹿にするような佳奈の口調に、凛花は開いた口が塞がらない。


 何を勘違いしてるんだ?!


 凛花は恐々佳奈の様子を伺いつつ、電車は二人とは関係なく音をたてて走っていった。


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