第168話 お引っ越し
「松田君、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
いつも通り自信満々な凛花が、腕を胸の下で組みながら慧の前に立っていた。わずかに頬が赤いのは、チークをかえたのか、それとも……。
「何で? 」
慧はチラリと凛花の強調した胸に目をやったが、興味なさそうにスマホに目を落とした。
「何でって……、いいから来なさいよ」
「めんどい」
欠伸まじりに言う慧に、凛花の余裕気な表情が崩れる。しかし、一瞬で持ち直すと、慧からスマホを取り上げた。
「おい?!」
「私を見て! 」
大きくため息をつくと、慧は凛花のことを見上げた。
胸元を強調するようなキャミソールの上に、白いレースのお嬢様調のカーディガンを羽織り、白のレースのミニスカートには横スリットが入っており、その下は生足だ。白×白コーデでしかもレース地と、お嬢様調を狙っているわりには、露出が半端ない。
「見たぞ」
「それで、こう……何かないの?! 」
慧は、よりジックリ凛花を眺める。その視線に、自分から言っておきながら凛花の顔が紅潮していく。
キャミソールからチラリと見えるブラが、宣伝で流行っているやつだと気づく。
「そのブラ、盛りまくるやつだな。ツーサイズアップをうたってるやつ。」
「そこじゃない!! 」
「じゃあ何だよ」
「可愛いとか、セクシーとか、色々あるでしょ! デートに誘いたいとか思ったりするでしょ! 」
「ないな」
「即答しない! 」
凛花自体には興味はないが、あのビッチさ加減には多少惹かれるものはある。いや、今さらセフレを作るつもりはないんだから、どうこうしようなんて気持ちは起こりようがないのだが。
凛花が大学にこんなに色気を意識した格好できたのは、慧を意識してだったし、放課後誘われる気満々で慧の周りをウロウロし、全く相手にされないものだから自分からアプローチしにきたのだ。
「どうでもいいからスマホ返せよ」
凛花はスマホを見て、慧がラインをしていたのに気づいた。
「何よ! これ女? 」
「前の大学の後輩だよ」
「引っ越しするの? 」
「勝手に読むなって」
慧はスマホを奪い返す。
ラインの相手は佑で、引っ越しの手伝いをしにきてくれるという話しだった。中西と亜美も来てくれるらしく、中西は引っ越しのバイト経験者だし、亜美はあの怪力は役に立つだろう。
その打ち合わせのラインをしていたわけだ。
「ふーん、私も手伝ってあげるわ」
「は? 」
「何を手伝うの? 」
佳奈もやってきた。
「松田君、引っ越しをするらしいわ」
「まあ。なら、同じ部活の部員として、私もお手伝いします」
「あんたはただ部活が同じだけでしょ! 図々しいわよ」
「凛花ちゃんこそ。ただの同級生じゃない」
なんかわからんがめんどい……。
目の前で、ギャーギャー始めた二人に、慧は迷惑そうな視線をくれる。
凛花は最初から女王様キャラだが、その取り巻きだった佳奈が、慧を部活にゲットしてから、何やら図々しい態度に変貌してきたのだ。凛花に勝ったわけじゃないのに、慧に自分が(部活なんだが)選ばれたとか思ってしまったようで、凛花が寄ってくると、張り合うように佳奈もくるようになった。
男子が極端に少ないせいか、男子というだけでモテるこの環境で、なぜこの二人なんだ?
わざわざ彼女がいるとか、聞かれないのに言うのも……と思っていたが、あんまりウザいのも考えものだ。
「今週、土曜日に引っ越しだから、手伝いにくるか? とりあえず、新しい家の方の運び込み、手伝ってくれるか」
「行く! 」
「私も行きます! 」
「じゃ、たぶん昼くらいになるかな。当日連絡する」
慧は、これ以上付き合ってられないと席をたった。
「どこ行くの? 私も行く! 」
「なら私も」
「ト・イ・レ」
二人を振り切った慧は、昼休みの間教室には戻ってこなかった。
★★★
少し蒸し暑くなった初夏の晴れた日、慧のマンションの前に大型のトラックが停まった。
トラックをレンタルし、引っ越し業者には頼まずに引っ越しすることにしたのだ。
荷造りは麻衣子がコツコツとやっていたため、中西がトラックを運転してき次第、すぐに荷運びをすることができ、誰よりも活躍したのは亜美だった。
アルバイト経験のある中西が、重い洗濯機や冷蔵庫などを持ち上げるコツを知っているのは当たり前として、なんのコツもなく腕力だけで段ボール箱を重ねて運ぶ亜美は、正面から見たら段ボールが動いているようにしか見えなかった。
「亜美ちゃん、危ないから一個づつ運んで。前見えてないでしょう? 」
「大丈夫。もっと重ねてもいけます」
亜美は大丈夫なのかもしれないが、見てる方がぶつかるんじゃないかとハラハラする。
そんな亜美の活躍で、荷物をほぼトラックに運び終えると、トラックを中西が、助手席には亜美が乗ってトラックが出発した。
慧と佑は電車で、麻衣子と杏里は少しマンションに残って後片付けをしてから行くことになっていた。
「松田先輩、新しい大学はどうですか? 」
「ああ、まあまあ。勉強は大変だな」
「薬学って、女子多くないですか? 」
男二人だと、大した会話もなく、当たり障りのない近況報告になる。
電車に乗りながら、さすがに無視する訳にもいかず、佑の質問にポツポツ答えた。
「うちは特に多いな。男女比半数くらいって聞いてたけど」
「へえ、可愛い子いました? 」
「どうだかな」
慧は、特に女の子の見た目には拘りがないため、可愛い子には全く興味がない。それよりはスタイルというか、全体的なバランスというか……。バストが大きすぎてもダメだし、痩せすぎもダメ。触りたくなる、そんなスタイルがいいわけで、麻衣子のスタイルはまさにドストライクだったりする。
「そうだ、うちの大学の奴が二人、引っ越しの手伝いにくるって」
「へえ、もうそんな親しい友達ができたんですね」
「親しい? まさか! 」
「でも、手伝いにきてくれるんですよね? 」
「まあ、色々あってな」
まさか、アプローチがうざったいから、麻衣子を見せて諦めさせようとしてるなんて言えない。
ああいう奴らは、口で言っても諦めが悪いし、特に凛花は恋人になりたいというより、ただ落としたいだけ、一回ヤりたいだけだから、ただ恋人がいるって言っても、それでもいいからとか言ってくるだろう。ああいう、自分に自信のある奴は、その自信さえ打ち砕かれれば、迫ってこなくなるはずだ。
佳奈の方は真面目で純情っぽいから、彼女の存在さえわかれば、勝手に身を引くだろう。
そう踏んだ慧は、これからの平和な大学生活のために、麻衣子の存在を最大限活用するつもりで、二人にラインを送った。
二人とも、どうやら家が近かったらしく、住所を教えただけで『すぐに行く! 』と返信があった。
すぐに行く! ……と言っても、支度もあるだろうし、そんなにすぐにはこないだろうと思っていたのだが……。
慧達がマンションについた時、すでに中西達がついていて先に荷運びを始めていたのは想定内として、凛花と佳奈が競うように荷物を運んでいたのは……正直驚いた。
「おまえら……早いな」
「「松田君! 」」
ばっちり化粧をして、引っ越しの手伝いとも思えない格好の凛花に、ジーンズにTシャツと引っ越しの手伝い向きの格好ではあるが、究極に野暮ったい佳奈が、軍手にエプロン姿で走り寄ってきた。
「何よ、家族の引っ越しならそう言ってよね」
「家族? 」
凛花はキョロキョロと周りを見回しながら言った。
部屋を見たからだろう。三DKのファミリー向け物件だ。勘違いしてもしょうがない。
「親と同居のわけないだろう。この年で気持ち悪い」
「なら、友達とシェア? 」
慧の横に佑が立っていることに気がつき、二人は頭を下げた。
「シェアつうか……。前のマンションの掃除が終わったらくるよ」
中西達だけに運ばせるわけにもいかず、四人で荷運びを再開した。
大物は運び終わり、慧が荷物を置く場所を指示していた時、麻衣子達がやってきた。
「向こう、掃除してきたよ。あれなら全体的なクリーニングはいらなそうだね」
「そういう訳にもいかないんじゃない? 次にまた賃貸で貸すんだし」
「佑、台所回りの片付け手伝って。お姉ちゃん、適当にしまうから、後で使いやすいようにかえてね」
「ありがとう」
杏里は、台所に置かれた段ボールの荷ほどきを始めた。
「荷物運び終わったから、トラック返してくるっす」
「中西君、お願いね。トラック返したら、うちで引っ越しパーティーするから、戻ってきてね」
「OK! 亜美を置いてくから、存分にこき使ってよ」
「あと荷ほどきだけだから、亜美ちゃんと行ってきても大丈夫よ」
「あいつ、片付けのプロフェッショナルだから、いたら役立ちまくりよ」
「もうすでに凄い活躍だけどな」
凛花達が一回往復する間に、亜美は三往復くらいしていたし、荷物を運ぶ量も三倍は越えていた。
今は、凛花と佳奈を引き連れて、寝室の片付けをしているはずだ。
「私、お風呂場片付けてくる」
「じゃあ俺がリビングか」
中西がトラックを置きに出ていき、麻衣子は脱衣場に向かった。
「松田君! なんか、女性の洋服が出てきたんだけど……」
凛花が、麻衣子のワンピースを手にリビングに駆けてきた。
「凛花さん、だからそれはこっちだと言いました」
亜美と佳奈が凛花の後を小走りで追いかけてきた。
「ああ、彼女のだな」
「彼女?! 」
「麻衣子~!ちょっと」
呼ばれて麻衣子が脱衣場から顔を出した。
「何? 」
「うちの大学の友達、引っ越しの手伝いにきてくれたんだ」
「そうなの? やだ、最初に教えてよ」
麻衣子はリビングにやってくると、凛花達の前に立った。
スキニーのジーンズに、ラフなチビTを着て、麻衣子のスタイルの良さがよくわかる。ナチュラルメイク調のメイクは、実はナチュラルではなくしっかりしているのだが、一見あまりメイクしていないように見える。
「どうも初めまして、冴木麻衣子です。慧君がいつもお世話になってます」
勝負あった!
慧はわざと麻衣子の隣りに並び、腰に手を回す。
「彼女。今までワンルームに一緒に住んでたんだけど、お互いの会社や大学に遠いしで、ここに越したんだ。親が将来も考えて広い方がいいって、麻衣子とうちの親でここに決めたわけ」
「ここって、賃貸じゃなくて分譲でしょ? なんか、お姉ちゃんがんじがらめじゃない? 早く嫁にこいって」
「杏里! お母さん、そんなつもりでここを買ったわけじゃないと思うわ」
「いや、杏里が正しいかもよ」
「慧君! 」
凛花は茫然と麻衣子を見つめ、佳奈はただうつむいていた。
「ごめんね、変な話し聞かせて。今日はありがとうございます」
「いえ……。クラスメイトですから。ほら、凛花ちゃん、片付け戻るよ」
佳奈が凛花を引っ張って寝室に戻り、麻衣子も風呂場へ戻った。
「お兄さ~ん」
「何? 」
「あの二人、お兄さん狙いだったんでしょ? 」
「馬鹿な話ししてないで、さっさと片付けろって」
「ふーん、あの地味目な子、要注意だよ」
「はあ? 何でだよ」
「さあね。何となく。勘」
杏里は台所に戻り、慧は何故か背筋がゾクッとしてエアコンを見た。28度で寒いわけじゃない。
麻衣子を紹介して、全ては解決の筈だったのだが……。
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