第167話 教室で

「……松田君、あの、今日部活なんだけど、出られるかな? 」


 茶道部の同級生の佳奈が、モジモジしながら立っていた。


「あぁっ? 」


 ついいつもの調子で無愛想に返事をし、怯えた様子の佳奈を見て、眉間のシワを少し緩める。


「部活なんだろ? 入部したんだから出るよ」


 そう、慧は茶道部に入部した。部員十七人中、男性は三名。慧を入れてである。

 ゆえに、茶会の時は確実にメインに回される……つまり、着物を着て点てる亭主にならないといけないらしい。

 茶会の時は、亭主、半東、水屋・お運びの3つに別れる。

 大学の茶会の場合、亭主はお手前のみをする人間で、一見メインに見えるが、一年や二年などの新人や目立つ男子がやる。半東は、道具の説明や正客・次客へのお運びで、何気にこの暗記がややこしいらしい。「お床のお軸は……、花は……、花いれは……」などと、ブツブツと唱えて暗記している。水屋は裏方のようで、実は高価なお道具の管理をしないといけないらしく、すごく責任重大だ。また次客以降の客のお茶を全部点てたり、お菓子を人数分用意したりと、とにかく忙しい。


 これは全部受け売りで、春の茶会(学園祭以外の茶会で、薬科大の茶道部が五大学集まってやる茶会)に向けて説明を受けたのだ。


 茶会は学祭だけ、その前に忙しくなると聞いていたから、お遊びみたいなもんだと思っていたら……、甘かった。


 部活は週一回。

 一時間半みっちりと。正座を崩すことなく、エンドレスで茶を飲み続ける。

 拷問かって思わなくはない。

 ただ、みな平然と正座しているのを見ると、まさかしんどいとか言い辛い。


「そう、良かった。盆略点前も終わったし、今日から平点前になるから」


 袱紗のさばきかたや、茶杓や茶入の拭き方を習い、盆の上に乗っている道具でお茶を入れる練習をした。お茶って、あれだけじゃないのか?


 慧の疑問を読み取ったのか、佳奈は簡単に説明を始める。


「うちらが習うのは、1・2年が盆略点前と平点前、3年が炭点前で4年が濃茶。茶会はだいたいが棚点前かな。だから、松田君は学祭までに棚点前まで覚えてもらうのかな」

「はあ? 」


 座って、茶飲んで菓子食ってれば良かったんじゃないのか?第一、平だ棚だって意味がわからない。


「うちのお茶の先生がさ、男の子がお茶点ててるの見るのが好きでさ、松田君は学祭で点てさせられると思うから、頑張ってね」


 男がたてるのが好きって、下ネタかよ?


 もちろん佳奈はそんな意味で言ったわけでもなく、人のよさそうな笑顔を浮かべていた。


「佳奈! 」


 そこへ凛花が怖い顔でやってきた。顔が綺麗なだけに、険のある表情をすると、とにかくきつめに見える。


「凛花ちゃん……」


 佳奈の笑顔が引っ込み、慧の後ろに一歩隠れる。

 凛花は、慧が茶道部に入ってから、自分じゃなく佳奈を選んだと変な誤解をし、やたらと慧に執着するようになった。慧が好きからというわけではなく、意地みたいなものだろう。


「次の実習、あなた当番でしょ!早く支度に行きなさいよ。まったく、どんくさいんだから! 」

「ああ、うん。ありがとう。今行く。松田君、じゃあ放課後ね」


 そさくさと階段教室を出て行く佳奈を横目に、凛花は慧のテーブルに腰かけた。目の前にムチッとした太腿が現れ、わざとらしく足を組む。


「松田君、茶道部なんか辞めて、テニス部に入りなおせばいいのに! 男の人で茶道って、女々しく見られない? 」

「いや、座ってればいいだけだし、楽でいいよ。俺、動き回るの苦手だからさ」


 凛花は慧の身体に視線を向ける。さっきまでの不機嫌そのものの目つきではなく、イヤらしさを含んだ熱のこもったような視線だ。


「そんなふうには見えないけどな」

「オレ、筋肉つきやすいから」


 それでも、最近Hの回数が激減しているから、多少筋肉が落ちた気もするが、慧の細マッチョは健在であった。


「松田君がテニス部入ってくれないんなら、私が茶道部に入っちゃおうかな」

「なんで? 」


 凛花は、フフっと笑うと慧の横の席に移動し、身体を擦り寄せてきた。慧の腕に腕を絡め、胸を押し付けるようする。

 きつい香水の香りと、柔らかい胸の感触を腕に感じながら、慧はこれが五年前ならなあ……と残念に思わなくはなかった。


 一番後ろの席で、周りに人がいないのをいいことに、凛花は慧の太腿に手をのせると、指をわずかに移動させる。際どいギリギリのところを触り、慧の反応を見ているようだ。


 こいつ、完璧ビッチだわ。


「ね、一回くらい実習休んでも、レポート出せばいいだけだから、ちょっと抜け出そうよ」


 慧の耳元で囁くように、耳たぶにわざと唇を当てて喋る。


「やだね。病気でもねえのにさぼれっかよ」


 慧の口から出た言葉とは思えなかったが、文系と違って一単位でも落とせば留年の薬学部は出席も重要であった。

凛花の手は徐々にある一点を目指すように動き……。


 まあ、俺はなんもしてないし、二人っきりってわけでもないし、これは浮気じゃないよな。


「ね、抜け出そうよ」


 凛花は、それなりに経験も豊富で、男が途切れたことがなかった。常に数人のキープがいるし、SEXしたいと思えば、誰かしら呼べばくるのが当たり前で、欲求不満になったことはない。


 そんな凛花が、初めて「この人としたい! 」と思った。

 慧の顔がタイプだったわけではない。あえて言うなら、まさに身体が、下半身がモロタイプだったのである。脱がなくてもわかる! それくらいには経験豊富であった。


「おまえ、痴女かよ」

「嫌じゃないでしょ」


 触られるだけならと、一瞬ダメダメな慧

顔を出しそうになったが、すぐに思い直したように、凛花の手を鋭く払いのけた。


「……おまえ、まじ痴女だな。」

「我慢しちゃって……」

「アホか」

「ね、放課後どう? 」

「部活だとさ」


 慧は荷物を持って立ち上がった。実習書で股関を隠しながら、とりあえずトイレへ向かう。


 ヤバいだろ、あいつテクありすぎだし。

 でも、これは全然浮気じゃない!

 俺は一切触ってないし、胸だって揉んでない。


 言い訳をしつつ、慧はトイレの個室で一人……はてた。


 ああ!!

 マジ、しょうもな!




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