第161話 麻衣子と慧の休日
毎朝六時起き、朝ごはんを作ったり、簡単に部屋の掃除をしたり、着替えて化粧をして出社の準備ができるのは七時過ぎ。それから慧を起こし、一緒に朝食を食べてから八時前には家を出る。
定時に帰れることは皆無で、だいたいが終電間際だ。ただ、最近は少しPC作業にも慣れてきたせいか、入社当初よりは仕事量が倍増している。
産休、育休、短時間勤務など、働く女性を応援する制度が充実している分だけ、男性社員やまだ結婚していない女性社員にしわ寄せがくるのはしょうがないのかもしれない。
それでも、女性社員はいづれ自分達も……ということがモチベーションになるのか、最初からそういう会社だとわかって(面接の時に説明を受けた)入社するせいか、文句はでてこない。
何より、サービス残業はなく、全て給料に反映するため、基本給は他社に比べて格段に低いが、手取りでいえばけっこうな額面になる。
まだ麻衣子はもらっていないが、ボーナスにも大きく影響してくるらしい。
一回目の給料日、麻衣子は給料明細を見て、間違いじゃないか……と、経理に問い合わせしたくらいだった。
「何だよ……、まさか日曜日も仕事じゃねえよな? 」
いつも通りに早起きした麻衣子は、いつも通りに部屋を片付け、いつも通りに朝食の準備をしていた。
味噌汁の香りで目が覚めた慧は、ベッドの隣りをまさぐり、麻衣子がいないことに不機嫌になりながら、薄目を開けて麻衣子の姿を探した。
薬学部に入ってから、慧も今までみたいにお気楽に学生を満喫することはできず、毎日のレポートや小テストに、大学が終わってから図書館に足を運び、図書館の閉館時間まで缶詰め状態。
ぼっちというわけじゃないが、途中入学なのと、男子がえらく少ないせいで、大学の勉強のやり方が掴めずにいた。慧も自分から聞けばいいのだろうが、年下の同級生に愛想よく話しかけるスキルは持っておらず、とにかく一から十まで自分でやるしかなかった。
お互いにこんな状態だからか、平日に触れ合う機会はほぼなくなり、もちろん会話も0に近かった。
「今日は休みだよ。だから、ずっと寝てたらもったいないじゃん。やることすまさないとね」
「やること……」
ベッドから起き上がると、朝食を並べていた麻衣子を後ろから抱きしめた。
「朝ごはんだよ」
「やることやるんだろ? 」
「冷めちゃうから」
麻衣子も口だけで、慧を拒絶はしていない。引かれるままにベッドに戻り、キスしたまま横たわる。
麻衣子の唇から首筋、胸へと慧は唇をずらしていく。素早く麻衣子のTシャツを剥ぎ取り、ナイトブラを押し上げる。ホックがないから外すことができないし、簡単に脱がすこともできない。
麻衣子は自分からスルリとナイトブラを外す。
「慧君、大学はどう? 」
「まあまあ……」
麻衣子の方が早く出て、遅く帰るから、慧の生活ぶりはわからない。夕飯が作れなくて悪いなと思いながら、慧の愛撫に身を委ねた。
「サークルは? そういうのは入らないの? 」
「サークルはないみたいだ。うちの大学だけの部活だけで」
「へえ、珍しいね。……で……部活には……入るの? 」
「見学は……いった」
会話が途切れがちになるのは、もちろんナニをしながら会話しているからで、四年間、ほぼ毎日数回ヤっていたことを考えれば、一週間ぶりでもかなり久々な気分になり、すこぶる新鮮だった。
★★★
「やっぱ、麻衣子のはいい! 」
「麻衣子のはって、他でしたわけ?! 」
「違う、違う、違う! 」
「だって、慧君、最近全然したがらないじゃん。前は毎日だったのに。今は平日は全然だし」
慧は、麻衣子の背中に指を這わせる。
「何だよ、おまえは不満なん? 」
「そうじゃないけど、なんかさ、慧君が我慢してるのって意外っていうか、そういうの我慢しない人じゃん」
「どんだけ鬼畜なんだよ」
慧は麻衣子の鼻をつまむ。
裸でまったりなこの時間が、本当に久しぶりな気がする。一緒に朝風呂に入り、二回戦目に突入し、朝とは思えない疲労感に二人でベッドに転がっていた。
以前は当たり前だったのに、今じゃあまりに日常が忙しくなりすぎて、こうやって二人で過ごせるのが特別な気持ちになる。
「俺も忙しくてさ。何気に、理数系……っつうか、医歯薬系は大変だわ」
「そんなに? 」
「だってよ、講義の時に小テストとかあんだぜ? 高校生かよ。実習とかも、毎回レポート提出あるし、口頭試問とか、受かんなかったらエンドレス実習だしよ。覚えることも特殊だし、まじで図書館が第二の我が家かって感じ」
珍しく饒舌な慧を珍しげに見ると、麻衣子はクスクス笑った。
「頭いい慧君でも、そんなに苦戦してんだ」
「別によくねえよ」
麻衣子の髪の毛を手で弄びながら、慧はうーんと唸る。
「どうしたの? 」
「いやさ、この部屋って、大学……前の大学に近いから借りた訳じゃん」
「まあ、そうなんだろうね」
「でもさ、今の大学からはそれなりにあるし、おまえの会社からも遠いじゃん」
「まあ、そうだね」
確かに、今まで大学まで十分くらいだったが、麻衣子の会社までは一時間ちょい、慧の薬科大までも四十分くらいかかる。
「引っ越すか……」
「別に構わないけど……」
慧の大学の近くに引っ越すとなると、麻衣子の会社までは三十分くらいになるだろうか?通勤時間は大幅に半減だ。ただ、わざわざ麻衣子の家の近くに越してきた忠直と杏里に何と言おうか。
まあ、杏里は佑の家から近いというのも、引っ越しを後押しした理由だろうが。
「うちの親に話しとくから」
「ああ、うん。でもさ、次のとこは私ももっと家賃払うから。それなりに給料もらってるし」
「杏里の学費も貯めてんだろ? 家はうちの親に払わせとけ」
「でも……」
「うちの親はそういうタイプだから。甘えられたいんだよ」
引っ越す話しはすでに決定したらしく、慧はさっそく母親にラインをうった。
すると、すぐに電話がかかってきた。
「ゲッ! 麻衣子出て」
「何であたし? 慧君にかかってきたんじゃない」
しょうがなく、麻衣子が出た。
『あ、まいちゃん? 』
『はい、あた……私です』
『やだ、何かしこまってるのよ。やあねえ』
慧のスマホに電話をかけてきて、もしもしを言う前に麻衣子が出たと思うとは、さすがに慧の母親だ。
『いや、社会人になったからあたしじゃちょっとまずいかなって思って』
『あらあら、大変ねぇ。うちの事務に就職してくれても良かったのに』
『そういうわけには……』
『そうそう、引っ越しするんですって? 』
『今、慧君とそんな話しを……』
『わかったわ! まいちゃんや慧は忙しいだろうから、私が探しとくわ。会社と大学が近いとこね』
『でも……』
『いいの、いいの。私は暇だからね。候補があがったら、また連絡するわ。何か、こだわりはある?』
『はあ……、収納……』
『収納ね! そうね、収納は大事ね。他には? 』
『特には……』
『わかったわ! 任せて! じゃあね』
紗栄子はことごとく麻衣子の話しを遮ると、早口で話しを進めて勝手に電話を切ってしまう。
「聞こえた? 」
「聞こえた。まあ、好きにさせてやってよ。老後の楽しみってやつで」
「やあねえ、悪いわよ」
「いや、まじで。うちの親はおまえんとこと違って、いい年だから」
慧の家は兄もいるし、確かに麻衣子の両親よりも一回りくらい上かもしれない。しかし、慧の母親の紗栄子はいつも綺麗にしているし、肌の張り艶もいいから、年齢よりもかなり若く見える。
いままでズボラにあぐらをかきまくっていた麻希子と並ぶと、そんなに年齢差を感じないくらいだ。
あれを見ると、日頃のケアがいかに大事かわかる。まあ、ある程度お金がないと難しいのかもしれないが。
「今より少し広いといいな」
「そんな、贅沢言わない」
慧の実家に比べれば、今の部屋でもかなり狭いのだろうし、慧の両親的には学生向けのマンションなのかもしれないが、普通の家庭からしたら学生がマンションに住む自体贅沢だ。麻衣子が最初に住んだ、ボロい昭和チックなアパートこそ、まさに学生が住むアパートだと、麻衣子は今でも思っている。
「まあ、寝れりゃいーんだけどよ」
慧にしたら、ベッドとお風呂とトイレ、後は麻衣子さえいれば、どこでもかまわないのである。
「なあ、そろそろ飯食わね? さすがに腹へったわ」
すでに昼に近いような時間になっている。テーブルには覚めた味噌汁と鮭の切り身。酢の物も少し乾燥気味だ。
麻衣子は苦笑いをすると、ロングTシャツを一枚着て、ベッドから立ち上がった。
「今、温めなおすね」
文句を言わないあたり、さすが麻衣子であった。
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