第160話 初出社

 リクルートスーツを着て、麻衣子は入社式会場へ向かった。

 といっても、集合ビルの一室、このビルに入っている会社なら登録制で使用できる会議室で、入社面接もここで行われた。


 麻衣子が入社を決めたのは下着メーカーで、女性の雇用が多く、女性が働きやすい職場を謳っていた。育児休暇制度がしっかりしており、職場復帰支援も充実、短時間労働の規定も十分。実際にワーママ率が高い。

 会社自体は、有名なメーカーではなく、インターネット販売がメインのマイナーな会社であったが、口コミからジワジワと顧客を伸ばしていた。


「冴木麻衣子さん」

「はい」


 新入社員はわずか三名、麻衣子と男女一人づつだった。社長や重役などが並ぶ前に椅子が置かれ、三名だけの入社式が行われていた。


 すでに起立している二名に並んで、麻衣子も立ち上がりお辞儀をした。


「以上三名が今年度の新入社員になります。羽淵はねぶちはデザイン部へ、他二名は販売営業部へ配属です。社長、一言お願いいたします」


 重役の半数以上が女性であり、司会進行していた女性は副社長を名乗っていた。

 その副社長に促されるように立ち上がったのは、奇抜な格好をした背の高い男性で、社長というには若々しい。まだ二十後半……いっても三十前半というところだろう。


「社長の武田だ」

「社長、フルネームでお願いします。社員が社長の名前を知らなくては話しになりませんから」


 社長は、ブスッとしたまま横を向く。なにやら不機嫌に見えるが、元から仏頂面なのだろうか?

 格好はともかく、顔だけならかなりのイケメンがもったいない。

 それにしても、入社式に社長が自己紹介を渋るって……。


「武田……だ」


 聞き取ることができないくらい、名前の部分だけ声が小さくなる。

 首を振った副社長は、まるで幼稚園の先生のように、社長の紹介を始めた。


「はい、社長は恥ずかしがり屋のようなので、私から紹介いたします。社長は武田忠太郎、武田忠太郎とおっしゃいます。年齢は32です。目下、真剣交際中ですので、アプローチしても無駄……。ウウン! まあ、それはおいておいて、我が社は……」


忠太郎にギロリと睨まれ、副社長は咳払いと共に話しを社史にすり替えた。

 この会社は、忠太郎の父親が作った下着の卸売りの仲介会社が元になっており、忠太郎が学生の間に企業、今の独自の下着メーカーの会社に発展したらしい。

 忠太郎が経営を引き継いでからは十二年、ネット販売を主流にしてから十年、会社の業績は右肩上がりで、社員十人の会社が、今では七十数人の社員を抱えるまでになった。

 社長はデザイナー兼経営をこなしているらしい。


 社長の紹介から始まり社史が語られ、最後に重役が紹介されて入社式は終了した。


 大学であればあとはリクリエーションをしておしまいになるところだが、ここは会社であるから、当然のように部署ごとに仕事になるわけだ。


 麻衣子と男子一人は同じ部署のため、女の先輩に案内されて販売営業部のブースへ足を向けた。


 麻衣子と同期になる二人のうちの一人、女子の羽淵柚奈はねぶちゆずなは、デザイン部所属で、デザインの専門学校を卒業していた。その学校で行われた卒業記念ファッションショーにおいて、社長自らスカウトしたとかいう逸材らしいが、少し不思議ちゃんが入っている。見た目は日本人形のように和風美人なのだが、仕事のオンオフで人格が180度変わるのだ。

 もう一人の同期は安西渉あんざいわたる。数少ない男性社員であるが、あまりパッとしない。不細工という訳ではないが、いるのかいないのかわからないような存在だ。ただ、そんなごく普通な安西の趣味は身体を鍛えることで、慧のような持久力のある細マッチョではなく、脱ぐと顔とアンバランスな肉体の持ち主でもあった。


「冴木さんは東京の人? 」

「え? ううん、新潟。安西君は? 」

「僕は千葉」


 話しかけられたものの、話しが途切れてしまう。さっきから、単発の質問に、短い返答を繰り返すだけで、話しが膨らまない。千葉の名産って……と考えていると、新入社員の教育係になった、三年目の先輩が喫煙所から戻ってきた。


 彼も数少ない男性社員の一人で、真田さなだ征篤ゆきあつ先輩だ。

 はっきり言って、チャラい系にしか見えない。社会人にしては茶色過ぎる髪に、今時片耳ピアスで、イメージ的には中西寄りかもしれない。さすがに社会人だから、あそこまで酷くないが。


「お待たせ~。安西ちゃんは煙草やらないの? 」

「やんないです。喫煙すると、肺の機能が落ちますから、持久力と運動能力の低下に繋がるんですよ」

「ああ……うん」


 今まで会話が長続きしなかった安西が、何やら流暢に話し出す。真田は乗り出して話し出した安西に、若干引きぎみになる。


「それに、喫煙者は喫煙していない状態だと神経が興奮しなくなるから、瞬発力が落ちたり、筋力が著しく低下するんですよ! 筋トレする上で、喫煙は絶対におすすめしません! (安西個人の意見です:作者)」


 喫煙者の大多数は、喫煙することの健康被害や、副流煙による二次健康被害などについて言われることが多い。安西のそれも健康被害には違いないが、何やらピンポイントな見解を述べているような気がする。


「わかった、わかった。俺は筋トレの趣味はない……って、おまえ凄い筋肉だな」


 真田が何気なく安西の二の腕を叩いた時、Yシャツの下の筋肉の盛り上がりに気付き、ベタベタ触り出す。安西も嫌がりもせず、力こぶなどを作っている。


「人は見かけによらないな。冴木ちゃん、触ってみろよ! まじ、カッチカチだから」

「あた……私はいいです」

「何だよ。別に男の腕なんか触り慣れてるだろ」

「先輩、僕は全然気にしませんけど、冴木さんにそれはセクハラっすよ」

「え? まじ? 」


 呆れ顔の安西に、真田はごめんごめんと手を合わせる。


「やべえ、うちの会社女子のが多いのもあって、セクハラには厳しいんだよ。冴木ちゃん、告発しないでね」

「しませんよ。」


 見た目はチャラいが、そんなに悪い人ではないらしく、麻衣子にそれ以上安西筋肉ネタを振ることはなかった。


「安西君って、ジムとか通ってるの? 」

「ええ、三日に一度くらいかな」

「安西ちゃん、毎日じゃないの? そんなに筋肉つけてるのに」


 真田の問いに、安西の目が光る。


「毎日の筋トレは逆効果です! まあ、部位が違えばいいんでしょうが、筋トレしたら、十分なタンパク質をとって、睡眠休養が必要です。睡眠休養をとることで成長ホルモンが分泌され、それによって傷ついた筋繊維が修復するときに太くなる。いわゆる超回復するわけですよ! 超回復って、二十四時間とか四十八時間休むことによっておきるんで、続けて筋トレなんて無意味な愚行です! (安西個人の見解です)」

「へえ……、で、今日のノルマなんだけどね……」


 真田がふった筋肉ネタだが、必要以上に語り出す安西に、真田は適当に相づちをうち、仕事に頭を切り替えさせる。安西は不完全燃焼気味だったが、仕事と言われてなおも趣味の話しに興じるほど、社会人の自覚がないわけじゃなく、切り替えしてデスクに向かう。


 そして告げられた今日のノルマだが、慣れていれば定時プラス一時間ほどで終わるはずだが、初めて見る書類に、初めてのPC作業で、通常通り終わる訳がなく、麻衣子がPCの電源を落としたのは、終電ギリギリの時間だった。




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