第157話 番外編だよ中西君

 大学の講義初日、いつもなら講義前はうるさいくらいざわついている教室が、シーンと静まりかえっていた。

 生徒達の視線は一点に集まり、その注目の人物は何も気にすることなく読者をしている。

 そこへ、授業が始まるギリギリに中西が教室へ入ってきた。

 ただならぬ緊張感にも気がつかず、ご機嫌そのものの中西は、定位置に鞄を置くと、前の席の女子達に話しかけた。


「へい、レディーズ! 正月は俺に会えなくて寂しかったんじゃないかい? 」


 いつも通りの中西の声が教室に響き渡る。きっと、教授の声だってこんなには響かないだろう。


「ちょっと、なかにー! 」


 中西は、前の席の女子に腕を引っ張られた。


「なんだい? 積極的な女子は嫌いじゃないぜ」

「あの子、この講義とってたっけ? あんな子知らないんだけど」


 女子は、中西の耳元で聞こえないくらいの小さな声で言った。


「あの子? 」


 女子の視線は、二つ後ろの席で読者をしている亜美に注がれていた。


「イヤだなあ? ずっといるじゃないか? 何? イジメとかじゃないよね? 」


 大学生になって、無視とかあり得ない! と、中西は亜美の席に近づいて行った。


「おまえ、今までいない人になってんだけど、なんかしでかした? 」

「何も」


 亜美は、本から顔を上げて中西を見上げた。

 前髪が眉のわずか下で切り揃えられており、その整った顔があらわになっていた。

 伏し目がちの亜美も魅惑的だったが、二重の大きな目をパッチリと開けて、中西を見上げる完璧なまでの左右対称な顔立ちに、至る所でため息がおこる。


 亜美が教室に入ってきた時、そのあまりの美少女っぷりに、間違ってドラマの撮影でも始まったんじゃないかと、誰一人として口を開くことができなかったのだ。

 それなのに、普通に話しかけた中西に、みな驚愕し、教室にざわめきが戻った。

 至る所で、「中西さんの知り合いらしいよ。誰だ、あの美少女は? 」という囁きが広がり、中西の友達の女子達が、恐る恐る話しかけてきた。


「なかにーの知り合い? 」

「知り合いも何も、亜美だろ、梶井亜美」

「梶井さん?! 」


 教室のざわめきが、響めきに変わった。

 亜美がスックと立ち上がると、確かに背の小ささから亜美で間違いなさそうで、顔を半分隠せば、なるほど亜美その人になった。


「……か……梶井……さん? 」

「はい」

「梶井さんなんだよね? 」

「しつこいですね」


 亜美は明らかにムッとした表情を浮かべ、これだから前髪を切りたくなかったんだとばかりに前髪を引っ張った。


 昨晩、中西の部屋で前髪をアップにする練習をしていた亜美であるが、家事全般オールAの彼女の唯一の弱点は、自分にたいしては非常に不器用であることだった。

 化粧も苦手だし、髪の毛を結うなんて……、唯一できるのは昔ながらの三つ編みのみ。編み込みや捻り髪など、まず無理!

 前髪を結んでみたら、頭頂部でピンッとおっ立ってしまう始末。ピンでとめれば、全く遊びのない見事な七三分けになってしまう。あまりのセンスのなさに、中西がばっさりと前髪を切ってしまったのだ。

 ついでに伸ばしっぱなしになっていた後ろの髪の毛にもハサミを入れ、下手な美容師よりも上手にセミロングのユルフワ髪に仕上げた。


 実は中西は自分の髪の毛も自分で切っており、普通の大学生をするよりも、美容の道に進んだほうがはるかにむいているかもしれない。

 地味で目立たなかった高校時代、憧れもあってファッション雑誌を読みあさった。自分っていけてる?と勘違いした浪人時代は、美容院にも通ったものの、自分の思い通りの髪型にならず、色々手直ししているうちに、自分で切れるまでに上達してしまった訳だ。


「梶井さんって……そんな顔だったんだ。やだ、こんなに可愛いのに、なんであんな髪型して顔隠してたの?! 」


 亜美だと理解し、話しかけるきっかけさえできてしまえば、女子は逞しかった。遠巻きにしていた女子まで亜美に群がってきて、あれやこれや話しかけ始める。

 中西などは、そんな女子の勢いに弾き飛ばされるように、女子の輪から押し出された。


「中西さん」


 弾き出された先で、席につこうとしてつけないでいた流星と鉢合わせする。


「やあ、明けましておめでとう」

「おめでとうございます。あの女子の群れはなんですか? 」

「フム、亜美が髪を切ったら、何やら物珍しく映ったらしいな。」


 背の低い流星は、女子の輪の中心にいる亜美が見えない。

 彼女にしたい……と思っている女の子の素顔だ、気にならない訳はない。

 回りをウロウロして、亜美の顔が見れないか色んな角度から覗き込む。

 とうとう、隙間からチラッと亜美の顔を見ることができ、流星は雷にうたれたように立ち尽くす。


「あ……あれは誰です? 」

「だから、亜美だろう」

「そんな、だって……」


 流星が受けた衝撃は半端なかったらしく、亜美の方を指差して、口をパクパクさせる。


「みんな、何をそんなに驚くかな? 亜美は亜美だし、ちょっと髪を切っただけのチビなガキなのに」

「何言ってるんですか?! あの見た目はヤバイでしょ! 超絶美少女ですよ?! そんじょそこらを歩いているレベルじゃないですから! 」


 回りの人間と中西の温度差が半端なかった。今さら亜美がチヤホヤされている意味がわからず、中西はこんなチビガキがねぇ……と、呆れ顔になる。


 しばらく騒々しい亜美の周辺を眺めていたが、永年の付き合いから、亜美のイライラが爆発寸前になっていることに気がついた。

 亜美は、話しかけられればうっとおしそうに淡々と答えていたが、正直手当たり次第投げ飛ばしたい衝動にかられていたのだ。まだ亜美の怪力も、必要以上の強さも知られていないから、みな怖さを感じることなく、徐々に馴れてくると妙に馴れ馴れしい態度になっていく。それが亜美のイライラを倍増させていた。


「やばいな……」


 中西はつぶやき、いつものご陽気な様子で、女子の群れの中に割り込んでいった。


「はい、はい、通りますよー。あれ、美和ちゃん、今日の洋服いい感じじゃない? 里美ちゃんはそのルージュ新作でしょ? おぉ、花音ちゃんは今日もイカしてるじゃん」


 女の子を誉めつつ中に入り、まさに今、無言で立ち上がり、今にもキャーキャーうるさい女子に手をかけようとしていた亜美の肩をムンズとつかんだ。


「はい、はい、はい、ちょっと失礼しますよ」


 亜美を引っ張って教室の後ろへ行く。


「おまえね、階段教室で人ぶん投げたら、ちょっとだいぶ危ないからな」

「投げないよ」

「嘘だな。手が伸びてたじゃんか」

「投げないってば」


 さすがに女子は投げないし、投げるつもりはなかったのも本当だ。ただちょっと、コツンと、うるさいよとアピールしようとしただけだ。

 亜美の怪力で軽くコツン……、大惨事になることは目に見えている。中西の判断は正しかったと言えた。


 亜美は、和兄が髪なんか切るから……とぶつぶつ文句をたれる。唇を尖らせて上目遣いをする亜美であるが、中西にはいっこうに響かない。中西以外なら、きっと目尻がデレッと下がっていたことだろう。


 それにしてもだ、亜美が可愛いかどうかはおいておいて、他人……特に男子が亜美を見る目が180度変わっていることには気がついていた。

 そのせいで、中西の最低限度の人間らしい生活が脅かされることになるなど、考えてもいなかった。


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