第153話 麻希子と慧

 除夜の鐘は三人で聞いた。

 母親と、この時間まで起きて話したのは初めてかもしれない。


 カウントダウンは稼ぎ時だと、忠直は夕飯を食べたら仕事に向かい、杏里は友達と約束があるからと出かけてしまった。

 実際は友達ではなく、忠直と同様大晦日は太客と過ごすことにより、通常の三倍近いバイト代が見込めるため、忠直と一緒にバイトへ向かったのだ。


 つまりは、家主不在の状態で、客であるはずの三人がコタツを囲み、慧の家にあった日本酒をちびりちびりと飲んでいるわけである。


「慧君はさあ、なんで麻衣子を選んでくれたの? 」


 すでに赤ら顔の麻希子は、それでも酒を口に運びながら慧にからむ。テレビでは、着物姿のお笑い芸人が新年の挨拶をしながら、新年の初笑いを披露していた。

 麻衣子などは、うつらうつらと舟を漕ぎ、慧がお猪口を手から取ってやると、コタツに入ったままコロンと転がる。確実に風邪をひくパターンだ。


「おい、布団で寝ろよ」

「しょうがないなあ。ちょっと待って」


 麻希子は、よいしょと声をかけて立ち上がると、奥の部屋に布団を敷きに行った。


「いいよ、運んで」


 布団を敷いた麻希子が、襖越しに声をかけてくる。


「運んで:……って言われてもな」


 それこそ逞しい男なら、お嫁さん抱っことかひょいとして、スマートに運ぶんだろうが、何せ慧のはただのH筋である。


「お~い、起きろ~! 」


 しょうがないから、後ろから脇の下に腕を通し、畳の上を引っ張って布団まで運ぶ。


「アハハ、雑ね」


 麻希子はヨロヨロしながらコタツに戻った。慧も、まだ眠くもないし、まだまだ飲めるため、コタツに戻って焼酎を開けた。


「あら、芋焼酎? 寒いからお湯割りかしら? 」


 そうは言っても、麻希子が動いてお湯を沸かしてくれる訳じゃなさそうなので、慧は自力でお湯を沸かしてポットに入れて持ってきた。


「ねえ、ねえ、さっきの答えてもらってないんだけどー」

「なんすか? さっきのって」

「だ~か~ら、麻衣子を選んだ理由よ。前に付き合ったきっかけは聞いたけど、麻衣子でいいって思えたのは何でかなって」


 まさか、泥酔した娘さんを襲ってそのままズルズルと……とも言えず、曖昧に言葉を濁す。


「まあ、何となく……っすよ」  

「それじゃわかんな~い。」


 酔っぱらった麻希子は存外にしつこくて、慧を突っつきながらケラケラ笑う。これが友達や家族なら、「うぜえ! 」の一言ですむんだろうが、さすがに麻希子にそうする訳にもいかず、大きなため息をついて降参した。


「最初は、マジで何となくっす。ほら、まあ顔は見れるし、スタイルもそこそこだし、……ぶっちゃけ気軽な感じで付き合ったっつうか……すいません」

「いや、そんな感じじゃない? やっぱり、大学生だった訳だし。でも、親に会わせたり、将来的なことも考えてくれた訳よね? 麻衣子が初めての彼女って言ってたよね? 他に興味とかわかないの? 」

「……他っすか? 興味っつうか、そりゃいい女がいたら目いきますよ。男っすから。でも、その女にちょっかい出すことと、麻衣子に出ていかれることを比べたら、絶対的に後者はあり得ないんで」


 慧は学習する生物であった。

 清華とのことを思い出し、麻衣子があのまま戻らなかったら……と考えてゾッとする。あんな思いをするのなら、麻衣子一人で十分である。


「ふ~ん。なんか、経験に基づいていそうな感じだけど……まあいいわ。あの子尽くすタイプだから、楽っちゃ楽よね」

「別に、お手伝いさんと付き合ってるつもりはないけど」


 慧はムッとしたように焼酎をあおる。


「だって、家事全般麻衣子一人がやってるんでしょ? 」

「まあ、そうだけど……、でもできない訳じゃないし。やりたくないなら、実家に戻ればいいだけな話しで……」


 麻衣子と一緒にいたいから、一緒にいるんだ……と言いかけて、いくら酔っぱらっても、その一言は恥ずかし過ぎた。


 プイと横を向いて焼酎をつぎ足す慧を見て、麻希子はクスクス笑う。


「不器用ね。……あの子と一緒ね。麻衣子、頑張り過ぎちゃうから、心配なのよね。昔から、全部自分が頑張らなきゃって、反抗期も我慢して、あたしの言うこと聞いて。あたしが威圧的にガミガミ言うタイプだからってのもあるんだろうけど、あたしのそばだと萎縮しちゃうの」

「そうっすか? 」

「うん。だから、東京に出たかったんだろうね。うち的には、生活費なんか出してあげれないのもわかってただろうに。実際、家賃に足りないくらいしか送れなかったし、それもいらないって言われたけど。それだけ、あたしからの束縛が嫌だったのかな」


 お互いに、お互いのことを勘違いしている母子だった。麻衣子が仕送りを拒否したのは母親の生活を思ってだし、生活費以上のものを稼ごうとしたのは、家族が増えていずれ杏里の学費とかで必要になるかもしれない……というための貯金だった。

 決して、麻希子と決別するために自活したのではない。


「麻希子さんに無理させたくなかっただけっすよ。束縛が嫌とか言うなら、会いにもこないんじゃないっすか? それに、あいつが必要以上にバイトすんのも、家族のためっつうか、自分の学費のせいで杏里の奴が高校行かなかったんじゃないかって思ったからで、あいつのために大学の資金貯めてるからだし」

「そんなの、忠直君とあたしで考えるのに」

「それくらい、家族想いな奴だから、いざって時は頼ってやれば喜ぶと思う」


 麻希子はコタツに突っ伏して、「そうなのかな……」とつぶやく。


「あいつは、家族とか友達とか、ばっさり切れるタイプの人間じゃないし、かなり情が厚いよな。だから、図々しい男とかは勘違いしがちで、マジでふざけんなって思うことあるし……」


 奈良とのことを思い出したのか、慧が苦々し気に言うと、麻希子はキョトンとしていたが何か思い当たったのか、クツクツと笑う。


「ごめんね。あたしのせいで、あの子恋愛経験乏しいから、相手の好意に気がつきにくいかもね」

「全くっすよ! マジであんなんで社会人になるのかと思うと、首輪じゃどうにも……」

「首輪? 」


 物理的なアクセサリーくらいじゃ、麻衣子に群がる害虫を駆除できそうにない。何かもっと別の……。


 慧は、襖越しに寝ている麻衣子に目をやる。完璧に熟睡しているのを確認すると、麻希子に顔を寄せて声を小さくした。


「麻希子さんは、できちゃった婚とかありっすか? 」

「えっ?! まさか……」

「いや、まだいない、いないんだけど、きっかけとしてどうかと……」

「う~ん、あたしも似たようなもんだから反対はしないけど。……まさか、娘の彼氏からできちゃった婚を打診されるとは思わなかったな」


 第一、子供を作ってから結婚に持ち込もうというのは、できちゃったではないような気がする。

 麻希子も麻衣子ができたから、数いる忠直のセフレの中で、忠直と結婚できたのであり、計画的な部分がなかったとは言い難い。だからこそ、反対はできないが、母親としては娘には普通に結婚して欲しい。


「まあ、今のところちょっと考えてるだけで、実行しようとはまだ思ってねえけど、万が一そうなった時は、マジすいません」


 以前、麻衣子にも話したが、子供作るのもアリだな……というのは、冗談や言葉の比喩でも何でもなかった。「結婚してくれ」なんて言うくらいなら、既成事実作っちまえと思ったからで、麻衣子は本気に受け取らなかったかもしれないが、慧的には以前よりもその思いは強かったりする。


「まあ、なるべく普通にプロポーズしてあげて欲しいな」

「考えておきます」


 何度となくプロポーズもどきはしてきたのだ。恥ずかしくて、いずれとか、そのうちとか曖昧にしていたが。そのという言葉を取ればいいだけなのだが、慧にはハードルが高過ぎる話しで……。


 プロポーズってのは、男から女にって決まってないよな?

 逆もアリなんじゃねえの?


 ヘタレなことを考えつつ、元旦を迎えた慧だった。

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