第151話 麻衣子の勘違い

 今年のバイトも終わり、いつもより重い足取りでマンションについた。

 電気のついている部屋を見て、小さなため息が漏れる。

 母親のいる部屋に帰るのは、本当に億劫だ。昔から苦手意識があったが、慧との将来の話しを反対され、より鬱陶しい気持ちが膨れ上がっていた。

 麻衣子自身、結婚なんてまだ考えていなかったし、先の話しだと思っていたが、実際に反対されると何がなんでもしたくなるというか、急に現実味のある話しに思えてくる。


 まだ先は長いのだから、ゆっくり母親の考えを変えていけばいいのだろうが、麻希子が麻衣子の話しを聞くとも思えなかったし、自分の言葉で麻希子が変わるところなど想像できなかった。


 自分の部屋まで来て、鍵を開けようとして鍵がかかっていないことに気づく。


「ただいま~、母さん、鍵は閉めないとダメよ。都内は空き巣とか危ない……んだから……? 慧君、母親は? 」


 ロールカーテンは開けられ、いつものようにベッドに寝転がった慧が、スマホゲームをしていた。


「なんか、今日から冴木宅に泊まるらしいよ」

「聞いてないけど……」

「だろうな、さっきいきなり思い立ってたからな」

「なんだってまた? 」

「年末くらいは自分の部屋ですごせばって」

「は? 」


 麻衣子は上着を脱ぐのも忘れ、荷物も置かずに立ち尽くしていた。

 スマホから顔を上げた慧は、ニヤッと笑う。


「バレちった」

「えーッ!!! 」


 慧が手招きし、麻衣子がべったりに近寄る。説明があるのかと思いきや、ベッドに引きずりこまれる。


「慧君……ちょっと」


 上着を脱がされ、ズボンを半分までずり下ろされながら、麻衣子は珍しく抵抗する。SEXすることに抵抗しているわけでなく、母親のことが気になって、それどころじゃないのだ。


「あんだよ! 少しは俺を労れよ」

「そりゃ、まあそうなんだけど」


 面倒くさがりの慧が、麻希子に付き合って東京観光なんてしてくれたのだから、いやってほど労ったってばちはあたらない。慧の要望はオールOKでもいいくらいだ。だが、今はそんなことより母親である。


「ちょっと……待って。ね、母親にバレたって何で? 」

「初日からバレてたみたいだな」

「初日から? ! 」


 麻衣子は慧の手をうまくブロックしながら、慧にバレた理由を話すように促す。慧は、すっかりその気だったのが、待て! 状態にすこぶる不機嫌になる。


「初日、慌てて髭剃って、髭剃り片付けるの忘れたみたいだな」

「髭剃り……」


 慧の髭剃りは、ごく普通のT字の剃刀で、女子の無駄毛剃りで使ってる……と、誤魔化せなくもない。


 つまり……、慧は鎌をかけられたわけだ。


「……で? 」

「ああ? 」

「母親……は、どうしろって? 」

「知んね。俺にマンションに戻れって……。 もう無理!」


 それから慧が満足するまで身体を重ね、落ち着いた時には夜中も夜中、二時をまわっていた。隣りでは、慧が麻衣子を抱き枕に、すっぽんぽんで寝息をたてている。


「ちょっと、慧君! 風邪ひくってば! 」


 麻衣子は慧を揺らすが、まったく起きようとしない。

 しょうがなく、慧の身体を押しやってベッドから下りると、部屋着を着て洗面所へ向かう。本当は風呂に入ってさっぱりしたいところだが、疲れた身体はすぐにでも眠ることを求めていた。


 化粧を落とし、歯を磨くと、瞼がつきそうなのをこらえてベッドへ戻る。慧に毛布をかけて、その横に潜り込んだ。

 母親のことは気になってしょうがないが、今はとにかく睡眠だ。

 慧は麻衣子が戻ってきたのを肌で感じたのか、眠ったまま抱きついてくる。その胸に顔を埋め、深く慧の匂いを吸い込むと、麻衣子はすでに夢の中に入っていた。


 ★

 三十一日、いわゆる大晦日を迎えた。

 麻衣子はスマホのバイブの音で目を覚ました。

 スマホの時計をチェックすると、十一時二十三分。外が明るいから午前なんだろう。

 午前と午後の感覚がなくなるくらい熟睡し、身体は重いが頭はスッキリしていた。


 着信が入っていて、履歴を見ると母親からだった。

 慌てて起き上がってリダイヤルすると、麻希子はすぐに電話に出る。


『おはよう』

『……おはよう。どうした? 』


 同棲のことを言われるのかと、ビクビクしながら聞くと、思ってた以上に明るい麻希子の声が響いた。


『何よ! あんたが今日明日はバイトないって言ってたから連絡したんじゃない』

『ああ、うん、休みだから今起きたとこ』

『やあねえ、まだ寝てたの? お昼食べましょ。慧君連れてこっちにいらっしゃい。今晩は、二人でこっちに泊まりなさい』

『はい? 』

『年末くらい、家族で過ごしたいでしょ。じゃ、待ってるから』


 一瞬、寝ぼけているのかと思った。


 二人で?

 泊まりにこい?

 家族で過ごしたい?


 頭の中で、麻希子の言葉を反芻する。

 気がついたら着信は切れていた。


「どうした? 」


 電話の声で起きたのか、自然に目覚めるタイミングだったのか、慧が麻衣子の尻に顔を押し付ける。


「母親から電話。いや、かかってきてたからかけたんだけど」


 動揺しているのか、どうでも良い情報を口にする。


「で? 」

「慧君連れて昼食べにこいって。あと、年末は家族で過ごしたいから、二人で泊まりにこいって」

「ふーん」


 慧は大きな欠伸をすると、たいしたことじゃないように聞き流し、起き上がって風呂をために行く。

 麻衣子は、そんな慧の後からついて歩き、ねえねえと慧の腕を引っ張る。


「母さんと何したの? 」

「別に……たいしたことしてねぇよ」

「だって、あの母さんが同棲認めるみたいな行動とるのおかしいし、わざわざ慧君まで泊まりにこいって、意味がわからないんだけど」

「おまえのおふくろの行きたいとこに連れて行っただけだよ」

「たとえば? 」

「お台場とか。フジテレビいって、プラプラ店見て、観覧車乗って、海見て……」


 幻聴?


 出不精の慧が、この寒い中母親と海を見たって聞こえたが……?


「デートみたいじゃない? あたしだって行ったことないのに」

「しゃあないだろ。行きたいっつうんだから」


 慧を知っている麻衣子からすれば、最上級の歓待をしており、どれだけ特別扱いしているがわかるが、普通の人からしたら普通のことだ。さすがに、そんなことくらいで慧のことを全面的に認めるような態度にはならないと思うけど……。


「まあ、後は……おふくろさんの希望じゃないけど、うちに連れて行ったな」


 慧は、麻衣子の部屋着に手をかけ、慣れた様子で脱がす。麻衣子も、脱がされやすいように、手を伸ばした。


「え? うちって、慧君の実家?!」

「だな。とりあえず、まあ、見てみるのが早いかなってよ」

「迷惑かけたんじゃない?! 」


 一緒にお風呂に入り、慧はいつものように麻衣子の頭から洗っていく。


「いや、楽しそうに話してたぜ」


 慧の家は普通の一軒家よりはかなり大きく、母親の言う格差というものを痛感したんじゃないだろうか?


「そうだ。土産もらったんだ」

「はい? 」

「うちの親が麻衣子にって。おふくろさんが冷蔵庫にしまってくれたぞ」


 交代して慧を洗っていたのだが、中途半端で麻衣子は風呂を出て冷蔵庫を確認しに行く。

 冷蔵庫の中には、高そうな肉や真冬なのに果物まで沢山入っていた。


「こんなの、食べたことないだろうな……」


 母親との生活を思い出す。

 まず牛肉が食卓にあがることはなかった。果物だって、バナナがいいとこで、給食でスイカやミカンを食べたくらいだった。


 こんな食べ物見たら……。

 もしかして、二人で来なさいというのは、慧との関係を許さないと言いたいのではないだろうか?


 麻衣子は冷蔵庫を開けっ放しで、しばらく立ち尽くしていた。

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