第150話 麻衣子をお願いします
慧は、麻希子と並んで馴染みの商店街を歩いていた。
自転車店の前にくると、慧を呼ぶ声が響いた。
「慧~! 」
「おう! 」
自転車店の跡継ぎ、上野琢磨が店からヒョッコリ顔をだした。
「おまえ、帰ってこないんじゃなかったの? まい……違うな。何? おまえ宗旨替えした? 」
「ちげえよ、バカ! 麻衣子のおふくろさん」
「ああ、やっぱ! 似てると思ったんだよ」
「嘘つけ! 下らねえこと考えた癖に! 」
琢磨の首根っこを押さえて、ヘッドロックをかけようとする慧の腕をスルリと抜けると、琢磨は爽やかに頭を下げた。
「ども、うちのバカが麻衣子ちゃんにはお世話になってます」
「アホか! いつ俺がおまえの身内になったよ」
「あんだよ。いつもうちに入り浸ってたんだから、身内みたいなもんだろ。ってか、何? おふくろさんがくるってことは、とうとう?! ヤバい、みんなに知らせないと」
「ちげーから! 」
じゃれてる二人を目を細めて見ていた麻希子は、琢磨に向かってお辞儀をした。
「麻衣子の母です。麻衣子のこと知ってるの? 」
「うちらの同窓会にもきたし、その時幼馴染みの元って奴の店でやったんすけど、店が忙しかったら手伝ってくれて。まじ、慧にはもったいない。うちらみんな破局を願いましたね」
「ざまあ! 別れる気はねえよ」
「まじで、おまえにはもったいなさ過ぎる。元なんか、いまだに麻衣子ちゃんのこと嫁に欲しいって言ってるし。元の母ちゃんも誉めまくってるもんだから、商店街中があの慧のくせに、上玉捕まえて生意気だって噂してるぜ」
「あら、慧君ちみたいにうちは裕福じゃないし、釣り合わないんじゃないかしら? 」
琢磨はキョトンとしたように麻希子を見て、ブハッ! と思い切り吹き出した。
「そりゃ、慧んちはそれなりに金あるんだろうけど……でも慧だしなあ」
「なんだよ、それ! 」
「だって、おまえの悪行、知らん奴はいないだろう? 」
「ああ、もう! いらんこと喋るな! おまえは自転車でも磨いとけ! 」
慧は、ズンズンと歩いていく。麻希子は琢磨にお辞儀をすると、慧の後を追いかけた。
「ヤンチャだったの? 」
見た目は真面目そうにしか見えないし、いわゆる不良と呼ばれるタイプには見えないが、そんなに悪さをしたんだろうか? と、麻希子は首を傾げる。
「どこにでもいる悪ガキだっただけだから。ガキの時は、色々イタズラするじゃないっすか」
ガキの頃……と言っているが、実際には大学に入るまでのごく最近のことで、娘のいる親などは、慧に近寄るな! と口酸っぱく娘に言い聞かせるほどだった。
家柄とか、お金があるからとか関係なく、そういう意味では慧は要注意人物だった訳だ。
「まあ、男の子はそうかもね」
慧の友達や近所の人には、麻衣子は好印象を与えているようだと分かったが、やはり一番は家族親戚からの扱いだろう。母親には気に入られてるようだが、慧の兄や兄嫁は? どういう経緯で跡継ぎの話しになり、将来麻衣子の子どもが跡継ぎに……という話しになったか知らないが、兄達は不快に思っているはず。麻希子は、いくら慧の友達が麻衣子に対して好感触でも、やはり結局は親類との付き合いだから……と、慧の後をついて歩く。
商店街を抜け、住宅街に入ってすぐ、大きな家の前で慧は足を止めた。回りの家と比べても大きく立派な門構えで、その門を無造作に開けると、数歩歩いて中の玄関を開けた。
「ただいま~」
中から上品そうなふっくらした中年の女性が出てきて、驚いたように慧を見た。
「まあまあ……。帰ってくるなんて聞いておりませんよ」
「ちょっと寄っただけ。母さんとかは? 」
「奥様は奥で美鈴さんとおせちを……つまんでます」
「つまみ食いかよ。八重さん、麻衣子の母親」
「初めまして。突然お邪魔いたしまして……」
「まあ、まあ、麻衣子ちゃんの! 奥様、奥様、お客様です 」
奥から細みの女性が出て来た。
「なあに、八重さん。あらやだ、慧ってば一人で帰って……、どちら様? 」
紗栄子は、慧の後ろの麻希子に気がついた。
「どうも初めまして。冴木麻希子と申します。麻衣子の母親でございます」
深々と頭を下げる麻希子に、紗栄子はパッと笑顔になり、慧をおもいっきりどつく。
「やだ、慧ったら!! ちゃんと連絡くれなきゃ! お母さん、普段着じゃないの。まいちゃんは?」
「バイト」
「バイト? まあいいわ。どうぞお入りになって。嬉しいわ、お母様にはご挨拶しなきゃって思ってたのよ。美鈴さん、彬、お客様よ。まいちゃんのお母様。八重さん、お茶お願い。ああ、ささ、どうぞ」
紗栄子はスリッパを出して麻希子を家の中に招き入れる。
リビングに案内されると、慧の兄の彬と、結婚して松田美鈴になった義姉もやってきた。
「ねえ、ねえ、お母様とくるって、結婚の報告? ねえ、そうなの? 」
満面に笑みを浮かべ、やったわ! と美鈴と手を握り合っている紗栄子は、どう見ても麻衣子のことをウェルカムな感じである。
「ちげーよ。もしそうなら、なんで麻衣子がこねえんだよ」
「それもそうね。でも、せっかくお母様がいらして下さったんだから、少しはその話しをつめてもいいんじゃないかしら? 」
「アホか! 本人がいないところで勝手なことすんな」
お茶をいれてきた八重に促され、みんなリビングのソファーに座った。
「お父様も呼ぼうかしら。きっと、呼ばないと後でふてくされるわ」
「親父は手術の最中だよ」
「あら、そう? 代わりの先生いないの? 」
「ほら、市長の親類とかで、親父じゃないと」
「……ならしょうがないわね。お母様、これはうちの長男で彬と申します。隣りは嫁の美鈴。お茶をいれてきたのは、昔からうちで働いている八重です」
紗栄子は、簡単に家族の紹介をすると、麻希子の手を握った。
結婚の話しでもなく、麻希子のみ来たことから、違う可能性に思い当たったのだ。
紗栄子の表情が曇り、麻希子の手を握る力が強くなる。
「もしかして……、うちの慧が何かとんでもないことを仕出かしたんじゃないですよね? この子、口は悪いし、態度も悪いし、お母様のお気に障ることでも……」
「とんでもない! 慧君はよくできたお子さんですわ」
紗栄子はホッとしたように麻希子の手を離す。
「てっきり、うちの愚息に腹をたてて、まいちゃんとのお付き合いを反対しにいらしたのかと……。ああ、良かった。まいちゃんは、うちの慧にはもったいないお嬢さんだから、嫁にはやれないって言いにいらしたのかと思って、ドキドキしちゃったわ。」
意味は違うが、嫁にやるのを反対しているのだから、紗栄子の勘違いとも言いにくかった。微妙な笑顔を麻希子は浮かべる。
「いえ、いえ。うちの麻衣子にこそ、慧君はもったいないぼっちゃんで、とても釣り合うとは……」
「とんでもない! まいちゃんのおかげで、慧はニートにならないですんだんだと思いますわ。まさか、この慧から将来の話しなんか聞けるとは夢にも思わなかったもの! サラリーマンじゃ嫁さんとか食わせていけないから資格をとりたいって言われた時は、まいちゃんのいる方角を拝んでしまいましたわ」
「全くだ。こいつが大学に入った理由が、大学に行きたいじゃなくて、働きたくないからだったしな。それ聞いた時、僕は一生こいつの面倒を見るのかと思って覚悟したもんな」
「そうよね。お兄ちゃんには、ずっと慧のこと頼んでいたし、慧のせいで美鈴さんとの婚約も止めた方がいいのか、考えたくらいだものね」
「苦労させるの、目に見えてたから。ニートで常識のない弟がついてくるんじゃな。」
「あら、私はあなたと一緒に働いて、面倒見ようと思ってたわよ。それに、私は家庭に入るより働きたいタイプだから、慧さんがニートになるんなら、子育て頼もうと思っていたし。ほら、長男の嫁って立場もあるから、一人くらいは生む必要があるのかもって、正直そっちの方が気が重かったわ」
「そうだよね、でもまいちゃんのおかげで、それもクリアできそうだし、何より、あの慧が働くつもりで大学に行き直すなんて! 」
彬は涙ぐんでさえいた。
「まいちゃんには申し訳ないけど、松田家の跡継ぎはお願いして、私は心置きなく仕事に打ち込めるし」
「働く気のなかった慧が、将来のこと考えてくれるようになって……、まいちゃんのおかげだよ」
兄夫婦は手を取り合って喜び、慧はうざそうにそんな二人を見ている。
「慧君……働くつもりなかったの? 」
「まあ、兄ちゃんいるし、俺が働く必要ないかなって思ってたし、嫁ごと面倒見てもらえばいいかなって思ってたけど? 」
何がいけないんだ? という表情の慧は、どうやら本気でずっと脛をかじろうとしていたらしいというのが見てとれた。
「 でも、まあ麻衣子がバカみたいに働くし、俺が働かなかったらヒモになっちまうから。さすがにそれはまずいかなって。働かなきゃいけないってなったら、サラリーマンはいつリストラになっかわかんないし、会社潰れるかもだし、なら手に職かなって思って受験したけだけ」
婿としてはニート志望だったと聞くと不安この上ないが、麻衣子がきっかけとなって考えが変わったらしく、それを家族揃って喜んでいる。つまり、麻衣子の存在はこの家族にとって陰口を叩くようなものではないということか。
「そう……ですか。なんか、ホッとしました」
「は? 」
「いえね、慧君はいい子なのはわかってたんですが、おうちがお医者様だし、麻衣子が釣り合わないんじゃないかって。うちは片親で麻衣子を育てましたし、最近元の夫と再婚したんですが……その夫は水商売をしておりますし、とてもこんな立派なおうちにお嫁にこれるような……」
「まあ、そんな心配なさってたの?! 」
紗栄子は身を乗り出して、がっしりと麻希子の手をつかむ。
「まいちゃんを見ればわかります。あんなに礼儀正しくて、気づかいができる子、そうはいませんから。私の誘いにも嫌な顔せず付き合ってくれるし、何より八重と気が合いますしね」
「そう、うちは八重が影の権力者だから。両親ともに、八重には頭が上がらないんだよね」
「彬ぼっちゃま、聞こえてますよ! 」
お茶を替えにきた八重が、彬の後ろで咳払いをする。
彬は首をすくめ、そさくさとリビングを退散する。
それから夕方まで麻希子は松田家で過ごし、夕飯をご一緒に……とすすめる紗栄子に、夫が待っていますからと辞退し、慧と揃って松田家を後にした。
「いいご家族ね」
「普通っすよ」
麻希子は、横を歩く慧を見上げると、麻衣子に似た笑顔を浮かべた。
「全く、反対する理由がなくなっちゃったじゃない! 」
「いいじゃないすか」
「あーあ。まあ、好きにやりなさいな」
「あざっす! 」
「お部屋にも戻ってくれば? あたしは今日から忠直君ちに泊まるから」
「えっ? 」
「あそこ、君の部屋でしょ? さすがに女の子二人の部屋にしたら殺風景だもんね。麻衣子だけならわかるけど、友達の部屋には見えなかったし。それに、髭剃りとかは隠した方が良かったかもね」
「ああ……」
そう言えば、朝髭剃って、そのまま慌ててたから置いてでてしまったかもしれない。
「あ、髭剃りは棚にしまっておいたからね」
「すんません」
最初から同棲がバレていたのかと、慧は気が抜ける思いだった。
麻希子はピタリと立ち止まると、慧に向かって深々と頭を下げた。
「麻衣子をお願いします」
「えっ……と、いや、もちろん……じゃないか、こちらこそ」
慧が頭をかきながらシドロモドロ答えると、麻希子はさっき紗栄子と話していた会話を思い出した。
「娘さんをお嫁に出すって考えないでくださいね。うちはもちろん念願の娘が増えるって大歓迎ですけど、そちらは息子が増えると思って、どうぞこき使ってやってください。」
紗栄子は、役に立たないどら息子で申し訳ないけど……と付け足しながら、ケラケラ笑っていた。
院長夫人とは思えないくらいフランクな女性だったし、麻衣子にと沢山お土産を預かってきた。高級そうな肉や果物、慧が重いからやだ! と文句を言わなければ、まだまだ持たせるつもりだったらしい。
麻希子の心配は杞憂に終わったようだし、今では反対するネタがなくなってしまった。
つい最近まで母一人子一人だったのに、いつの間にか四人家族になり、そしてまた近い将来家族が増えるかもしれない。
息子もいいかもしれないと、荷物を運ぶ慧の後ろ姿を眺めた麻希子だった。
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