第147話 母親、上京する

 新幹線のホームに、麻衣子、忠直、杏里が立っていた。もちろん、十時二十八分着の上越新幹線ときの到着ホームで、麻希子の到着を待っているのである。


「麻希子お母さんがお姉ちゃんとこ行くんじゃなく、あたしがお姉ちゃんとこに行こうか? 」


 確かにそれがありがたいが、決めるのは母親である。


「麻希子さん、麻衣子のこっちの生活一度も見てないから、一度きちんと見たいって言ってたよ。それに、同居の子にも挨拶したいって」

「美香はもう帰省してるっていうか……」

「まあそうだよね。あ、新幹線きた! 」


 ときはゆっくりとホームに到着し、麻希子が一番に下りてきて忠直に抱きついた。


「お帰り、麻希子さん」

「ただいま、忠直君」


 お互いの家は別にあるのだから、この場合はいらっしゃい、久しぶりが正しいのだろうが、二人はいつも会う時はただいま、帰るときは行ってきますと挨拶していた。


「とりあえず……、麻衣子の部屋へ行って荷物をときたいわ」

「いきなり? 」

「何? ダメなの? 」


 朝、まだ慧は部屋で寝ていた。

 一応、部屋は片付けてでてきたが、慧がちらかしている可能性もあり、何よりまだ寝ているかもしれないというのが問題だった。

 てっきり、色々見て回ったりして、家にくるのは夜だと思っていたのだ。


「ダメじゃないけど……、美香が今日帰るって言ってたから、まだ寝てるかもしれないし」

「あら、まだ帰省してないの? じゃあ逆に早く行きましょ。挨拶しておきたいわ」

「いや、家につく頃には出てる筈で……」


 麻希子は、イライラと麻衣子を見る。


「何でもいいわ。まずはあなたの部屋ね! 」


 麻希子の荷物を忠直が持ち、二人が先頭に立って歩きだした。

 麻衣子は慧に電話したかったが、麻希子の前で部屋を出るようになど喋れないので、慧にラインをうった。


 麻衣子:母親がきます。片付けてすぐに家を出て!


 細かい説明を打ってる暇もなく、用件のみうつ。

 既読がつくのを待つが、なかなか既読がつかない。


 麻衣子は、気も漫ろにスマホを度々チェックする。


「お姉ちゃん、そういえばお兄さんって帰省してるの? 」

「えっ? 」


 杏里は慧が佑の部屋を借りることは知っている筈で、昨日杏里から合鍵を預かったばかりだ。


「お兄さん、もう帰っちゃった?でも近いんだっけ? 」

「埼玉だから、遠くはないけど、今回は帰らないって言ってたよ」


 なぜ慧の話しになるのかわからず、杏里も知っている内容を、単調に答える。


「じゃあ、お兄さんも呼んで五人でお昼にしようよ。ねえ、麻希子お母さん? 」

「そうね、久しぶりに慧君にも会いたいわね。麻衣子、呼んでみたら? 」


 そこで、杏里が慧に連絡できるように助け船を出してくれたのがわかった。


「電話してみる。ちょっと待ってて」


 麻衣子は、わざわざ場所を移動してスマホを開いた。

 既読はまだついておらず、慧が寝ているのは確定だ。この内容で既読スルーはないだろうから。


 スマホにかけてもつながらず、家電二回目でやっとつながった。


『慧君?! 』

『ああ? 』


 寝呆けた声の慧が出る。


『ごめん! すぐに家移動して!! お母さんがそっちに顔出すって、今向かってる最中。後三十分くらいでつく』

『マジか?! 』


 さすがに目が覚めた様子で、電話向こうでドタバタ聞こえる。


『でね、お母さんがお昼一緒しようって、どうする? 』

『どうするって、断っていいのかよ? 』


 着替えているのか、ガサガサ音がする中、不機嫌そうな慧の声が響く。


『そりゃ、来てくれたら嬉しいけど』

『とりあえず、家出る。こっちついたら、また電話して』


 ツーツーツーと電話が切れた音がし、とりあえず家を出たようだとわかりホッとする。

 ただ、家に帰るのが怖い。

 脱ぎ散らかしてないといいのだが……。


 マンションにつくと、当たり前だが鍵がかかっていて、部屋の電気は消えていた。まず麻衣子が真っ先に部屋に入り、慧の忘れ物がないかチェックする。

 ロールカーテンが開いていて、慌てて閉めた。


「そっちは? 」

「美香のベッド。あたしはこっち側を間借りしてるの」

「美香さんて、ずいぶんシックなタイプなのね。寒色系が好きなの? 」

「そうね、ほら、あんま女の子女の子した部屋だと、外から見えたりすると狙われて危ないから」

「そうね、確かにカーテンとかは青系統がいいって言うわね。でも、ベッドくらい……」

「彼女、ピンクとか嫌いだから」

 しっかりとロールカーテンを閉め、ベッド側を遮断すると、部屋をキョロキョロ見ていた麻希子の視線がキッチンへ移る。


「女子二人のわりには質素な部屋だけど、キッチングッズは充実してるわね。こういうの何キッチンっていうの? 」

「オープンキッチン? よくわからないよ」

「小さい子どもとかいると、こういうふうに部屋が見渡せるキッチンがいいわね」

「……まさか、予定があるわけじゃないわよね? 」


 麻希子はまだ五十手前、あがったとは聞いていないから、恐る恐る聞いてみた。さすがに来年社会人になるのに、弟妹は勘弁してほしい。


「やあねえ! 授かり物とはいえ、さすがにもう子育てする体力ないわ」


 麻希子はケラケラ笑いながら、ねえ? と忠直の背中を叩く。


「僕はどっちでも。麻希子さんとの子どもなら可愛いだろうし、今度はきちんと成長を見守りたいな」


 イチャイチャ始まるバカ親はおいておいて、麻衣子は暖かい紅茶をいれようとキッチンに立った。


 そこへピンポーンとチャイムが鳴り、慧が部屋に入ってきた。


「あら、慧君! きてくれたのね」


 実のところ、近所の公園で時間を潰していた慧だったが、あまりに寒すぎて麻衣子から連絡がくる前に来てしまったのだ。


「お久しぶりです」


 慧は忠直と麻希子に軽く頭を下げると、「トイレトイレ」と上着も脱がずにトイレに駆け込んだ。


 トイレから出て、上着を珍しく自分でコート掛けに掛けた慧は、テレビのリモコンをリモコン立てから取り出してテレビをつけ、ローテーブルの横にクッションを出して座った。

 あまりに馴染んだその動きに、麻希子の目がスッと細くなる。


「慧君は、この部屋によくくるのかしら? 」

「えっ? ああ、まあ」

「美香とは慧君も親しいから。お母さん達も座って。紅茶いれたから」


 紅茶を運ぶのを杏里に手伝ってもらい、ローテーブルに並べた。

 麻希子達も席につき、麻衣子は慧の横のテーブルの角に自分の居場所を作った。


「そうね。同じ大学ですもんね。それにしても、同居と聞いたから、二間あるのかと思っていた

 わ」

「2DKなんて、都内じゃ高くて。ここもほぼさ……美香が払って、あたしは水道光熱費分くらいしか」

「あらそうなの? そういうことは早く言ってよ。母さん、ちゃんと挨拶したかったわ」

「いやいや、美香、堅苦しいの苦手だし……」


 余計なことを言ったか……と、麻衣子は首をすくめる。絶対に次は挨拶すると言うだろう。


「美香さんは、やっぱり東京で就職? 就職した後も同居するつもりなの? 」

「いや、まあ、別に何も考えてない……けど? 」

「慧君は? 就職は決まったの?」


 そういえば、自分の就職が決まったことは言っていたが、慧のことは何も伝えていなかった。


「お兄さんは進学よね。合格したんんでしょ? 」

「ああ」


 慧は、さすがに両親の前でスマホゲームもできず、手持ち無沙汰に指を弾いていた。


「大学院? 」

「いや、大学に中途入学っす」

「まあ、何かやりたいことができたの? 」

「いや、まあ、手に職っつうか、そんなもんす」

「慧君は薬学部に入るの。おうちが病院やってて」

「お医者さんなの?! ご両親とお兄さんがいるのは聞いてたけど。もしかして、お兄さんもお医者さん?  」

「まあ、そうです。家は兄が継ぐし」

「でも、その後はお姉ちゃんとの子どもが継ぐんでしょ? 」

「杏里! 」


 余計な相談を杏里にしたと、麻衣子は心底後悔する。


「子ども?! 」


 麻希子がマジマジと麻衣子のおなかを見て、慌てて麻衣子は手を振って否定する。


「いないから! その……、あちらのご両親はあたしのこと気に入ってくれてて、将来は……って話しよ。ほら、慧君はまだ後四年学生やるし、あたしも就職するわけだし、今すぐの話しじゃないから」

「あんた、それにしても、そんな話しまででてるなんて、母さん聞いてないよ。慧君のご両親に紹介してもらったって、真面目な恋愛してるんだって思ってたのに、まさか親に内緒で結婚の話しが進んでいるなんて! 」

「話してないし、違うから。将来、まだ付き合ってたらって話しだし、そんな確定事項じゃないから」

「うちはそのつもりだぞ」

「……(慧君!) 」


 慧まで麻希子を煽るようなことを言うのは止めて欲しいと、麻衣子は慧の袖を引っ張る。


「慧君は、つまり、麻衣子と結婚する意思がある……ってことかしら? 」

「まあ、いつか別れるつもりで付き合う奴はいないんじゃないすか? 」


 麻希子は無表情で、怒っているのかなんなのかさっぱりわからない。


「お……お父さんは反対だな。まだ結婚なんて……」

「忠直君は黙って! 」

「忠直は口出すな! 」


 麻希子と杏里に同時に言われ、忠直は「僕だってお父さんだもん……」と、すっかりいじけてしまう。


 しばらく沈黙の後、麻希子が重々しく口を開いた。


「あたしは、その話しは反対です」


 キッパリとした麻希子の口調に、麻衣子と慧は言葉がすぐに出なかった。

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