第142話 上書き……保存しました
「おまえさ、俺で満足しとけって」
ピーマンを手に持ったまま、リラックスした状態で慧に身体を預けていた麻衣子は、幸せな気分で慧の言葉を聞いていた。
触れた身体が、ウエストに添えられた手が、繋がった唇が、ずっしりとした安定感を与え、ジワジワと湧き上がるような快楽を麻衣子に与えていた。
熱に浮かされた身体に、染み入る水のように、麻衣子は慧のことだけでいっぱいになる。
「……うん」
慧は麻衣子の髪の毛に指を絡ませなかまら、いつにもない優しげな表情をしている。もっとよく見たくて、麻衣子は慧の方へ向き直った。
「ピーマンくせえよ」
まだピーマンを切ってないし、そんなに匂うとも思えないが、慧はピーマンを突っついて顔をしかめた。ちょっとした照れ隠しなのだろう。
慧はピーマンが嫌いだ。
サラダとかに入っているピーマンは避けて食べるくせに、麻衣子の作るナポリタンに入っているピーマンは好んで食べる。
これでもか! というくらい薄切りにしているせいか、しっかり炒めるからか、そんなに気にならないらしい。
たまに店で食べたりすると、厚切りでピーマンを主張したナポリタンなどが出てくることがあり、慧はすこぶる不機嫌になる。
ピーマンだけでなく、幼稚園児レベルで好き嫌いのあるこんな面倒くさい慧の好き嫌い撲滅のために、麻衣子はあれやこれや工夫して料理を作っており、慧は胃袋までもガッチリ捕まれている訳だ。
「飯、早く作れよ。腹減った」
料理の邪魔をしたのは慧だが、そんなことにはおかまいなしに、ぶっきらぼうに言う。そう言うわりには麻衣子から離れることもなく、その耳は赤くなっている。
麻衣子は慧にキスしてから身体の向きを変えると、鮮やかな包丁裁きでピーマンを切り出し、そのピーマン臭さにさすがに慧はキッチンから退散する。
料理ができるまで慧はスマホをいじり、麻衣子はそんな慧を見ながら料理を作る。
今までと変わらない日常。
それにしても、なぜいきなり慧の態度が急変したか、嬉しいけれど謎である。
買い物に出た三十分ほどの時間にいったい何が?
気にはなったが、とりあえずご飯を作らなくてはと、麻衣子は料理に集中することにした。
パスタが茹で上がる時間にソースを作る。ケチャップは二種類のメーカーをブレンドし、ウスターソースにタバスコを少々。野菜やソーセージを炒めてから、混ぜておいたソースを投入し、少し煮詰める。パスタを入れ、ソースと混ぜてバターを少し入れてコクをだす。いつもの麻衣子のナポリタンが出来上がる。
野菜は薄切り、ソーセージは厚切りが麻衣子流で、慧に合わせて作るようになったのだが、すでに定番の味になっていた。
慧の皿に大盛りに盛って出すと、慧はいただきますも言わずに食べ始める。
「いただきます」
麻衣子は先に作っておいたサラダから食べ始め、スパゲッティを食べ始めたくらいで慧の皿は空になる。
「おかわり! 」
麻衣子は、残りのナポリタンをよそいにキッチンへ向かう。
「あのね、今回のことは本当にごめんなさい。あたしがしっかりしてなかったから……。でも、もう二度としないし、絶対に二人っきりになるようなことはないから」
お代わりのナポリタンを慧の前に置くと、慧は麻衣子の言葉には答えず、とにかくナポリタンをすすった。食べ終わると、ティッシュで口の回りを拭き、満足したようにベッドに寄りかかる。
「まあ、初恋は初恋だしな。今、恋愛感情があるかないかじゃないの? 」
「ないよ。……そりゃ、初恋を意識した時は、凄く気になっちゃったりしたけど、それは昔の記憶で、今じゃないもの。ただ、好きだったって記憶があるもんだから、ちゃんと拒めなかった」
「で、キスした? 」
麻衣子はコクリとうなずく。
「最初は……呆然として、何が起こったかわからなかった。でも、理解した後も、拒まなかったから、それは浮気だと思う。ごめんなさい」
「何で拒まなかった? 」
初恋の相手だから?
「誰でもって訳じゃないけど、奈良君だから……でもない」
麻衣子の言っていることが分からず、麻衣子の次の言葉を待つ。
麻衣子にしたら浮気の告白になるわけで、言葉も重くなる。
「嫌悪感はなかったの。……だけど、特別の感情がある訳でもなくて、なんかできちゃったって言うか……。キスできるくらいには嫌いじゃなくて、Hできないくらいには好きじゃない……みたいな。今まで、そういう対象で男の子を見たことがなかったから、よくわからないんだけど、あたしって実は凄く淫乱なのかもしれない……」
少し残ったパスタを箸でいじりながら、麻衣子はとんでもないことに気づいてしまったとばかりに、顔を赤らめた。
「自分がこんなに簡単にキスとかできると思わなかったよ。でも、もうしない。懲りたし」
「まあ、その方がいいんじゃね?おまえ、男をあしらうとか無理だろうし、キスで満足する男はいねえからな。キスして、触って、挿れてでワンセットじゃん」
「それは無理」
「なら止めとけ」
「……。もちろん、二人にならなければ大丈夫だと思うけど」
「じゃあ、会うなよ」
「……杏里の勉強は? 」
「図書館は……ダメか。喋れないもんな。茶店は? 飯もでるぞ」
「毎回じゃ、高過ぎるよ」
「杏里の彼氏は相田なんだから、あいつに面倒見させろよ。同じ中高だろ? 杏里が手を出したとしたら、一番嫌なのはあいつだしな」
「杏里が手を出すの? 奈良君じゃなく? 」
妹可愛いというフィルターがかかっている麻衣子には、杏里の本質はわかっていないらしい。
「自分のこと好きだとか言ってる奴が、その妹にも手を出そうとするって、随分鬼畜な奴が初恋だな」
杏里が受け身というなら、奈良が押し倒すなりしないと成立しないのだから、男女間に間違いが……云々は、奈良って鬼畜野郎だから見張らなきゃ……ということになるんじゃないだろうか?
以前の慧なら、その鬼畜ぶりを遺憾無く発揮できただろう。実際、姉と妹両方とセフレだったこともあったし。
「でも、杏里くらい可愛ければ、惹かれちゃうかもしれないし。個室で二人っきりって、流されてどうなるか……」
「まあ、それはそれでいいんじゃね? 」
「え? 」
慧にしたら、杏里が誰とヤろうが関係ない。杏里が佑と揉めようが知ったこっちゃないってことだ。
「だって、それは杏里と相田とあの男の問題だろ? そこにおまえが入り込んで、4Pでもするつもりかよ」
さすがの慧も、3Pの経験はない。……それは別にどうでもよいのだが、いつもの慧の毒舌が復活してきて、麻衣子はうーんと悩んでしまう。
杏里の姉として、無料奉仕で勉強を教えてくれる奈良に、料理でもてなすという理由と、若い男女が間違いがおきないようにという理由から、麻衣子も勉強会に参加するようになったが、料理だけならお弁当を作って届ければいいし、その後のことは奈良と杏里、佑の問題と言えなくはない。
第一、奈良に実際手を出されているのは麻衣子で、わざわざ奈良に会いに行くということは、それを求めていると思われかねない。
滅茶苦茶なことを言っているように思われるが、慧の言うことも理解できる。
「わかった。杏里にお弁当を届けるだけにする」
「それは行くんだ」
「ダメ? 」
「勝手にすれば。ってか、杏里に取りにこさせろよ」
「その辺は臨機応変に……」
慧は、これで話しはお仕舞いとばかりに、麻衣子にのし掛かり、床に押し倒した。
今回のキスは、ケチャップ味の荒々しいキスだった。
麻衣子の身体の力が抜け、慧の重さを全身で感じる。
「なあ、こんなキスもした訳?」
「……それ聞くの? 」
慧が浮気をした時だって、どんな風に清華を抱いたかなんて聞かなかった。聞きたくもなかったし。
「言えよ。上書きしてやっから」
慧は、どうやら同じことをして麻衣子の記憶の中の奈良とのことを、自分との記憶に置き換えたいようだ。
理解はできないが、慧がそうしたいと言うなら、麻衣子は断れる立場じゃない。
「まあ……そんな感じ」
慧は、思い付く限りのキスを麻衣子にする。
あまりに長い時間、念入りにキスされ、麻衣子は我慢できないように身体をもぞもぞと動かした。
「ねえ、……しよう? 」
麻衣子からの滅多にないおねだりであった。
「あいつにも言った? 」
「言うわけないでしょ!! 」
さすがに麻衣子がブチッとキレると、慧は麻衣子を抱き上げてベッドに運んだ。
「まあ、信じてやるよ」
バイトまであと三時間。
麻衣子達はベッドの中から出ることはなく、ベッドの軋む音と、麻衣子の抑えた艶声だけが静かな部屋に響いた。
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