第141話 勘違いだったか!

 もう、これ以上ないという重苦しい雰囲気の中、麻衣子はへこたれそうになりながらも部屋の掃除を続けた。


 慧は昨日帰ってきた筈で、たった半日程度でどうしてこんなに部屋が荒れるのか?! というような散らかりぶりだったが、麻衣子にはそれが逆に良かった。

 やることもなく、壁の方を向いて動こうとしない慧と対峙するなんて、恐ろし過ぎるからだ。


 部屋を出ていかれないだけマシなのだろうか?

 この場合、出ていかなければならないのは麻衣子かもしれない。多少家賃を払っているとは言え、元は慧の部屋なのだから。


 もうすぐお昼の時間帯になる。


 冷蔵庫は空だし、買い物に行かないといけない。


「慧君、お昼どうしようか? 」

「……」


 顔が見えないから、寝ているのか起きているのかもわからない。

 覗き込んでみる勇気はない。


「買い物、行ってくるね」


 麻衣子は寝ていた時用に、買い出しに行きますとメモを残し、お財布とエコバッグを持って部屋を出て鍵を閉めた。


 部屋に残った慧は、鍵の閉まる音を聞いて、ムクリと起き上がった。


「ハア…………」


 何もやらずに横になるというのも、かなりシンドイものがある。

 最初の一時間は怒りをおさめるために動けなかったが、徐々に飽きがでてきて、身体を動かしたくてムズムズしていた。

 もちろん、怒りがおさまった訳ではない。

 不愉快過ぎて、ゲロを吐きそうだった。


 しかし、いつまでも麻衣子を無視して気まずいままいる訳にはいかないだろう。それこそ、慧に嫌気が差し、奈良の元に走るきっかけになるかもしれないからだ。

 それがわかっているものの、予想外な自分の独占欲(付き合っていれば当たり前な)に、慧は大いに戸惑い、気持ちの持っていき方がわからずフリーズ状態になっていた。


 ベッドから下りると、まずトイレに向かい我慢していた尿意を解放する。かなり限界を迎えていたせいか、なかなか途切れなかった。

 トイレが落ち着くと、次は喉の渇きを潤す。

 水ではなくビールを開けたのは、やってられない!! からだろう。

 一気に350ml缶を空にすると、空の缶を流しに置いて部屋に戻る。

 ベッドに寄りかかってスマホを手にすると、ラインが一件入っていた。


 杏里からで、【お姉ちゃんと喧嘩してないで……】と、見出しのみ読んだ。


 喧嘩?

 おめえのせいだろうが!

 ったく、余計なライン寄越して、あんな写メ付きじゃなきゃ、迎えになんか行かなかったし、行かなけれりゃ気がつきもしなかったのに!


 完全に八つ当たりである。

 知らなければ、いきなり別れましょう……となる可能性だってあるのだから、少しでも修繕できるうちにバレてよかった……とはならないようだ。


 完全に杏里に腹をたてながら、ラインを開いて全文に目を通す。


 杏里:お姉ちゃんと喧嘩してないでしょうね?

 お姉ちゃん泣かしてたらただじゃおかないから


 いや、泣きたいのはこっちだし……。


 杏里:奈良さんが、これ以上お姉ちゃんに手を出さないようにしたいなら、まずお姉ちゃんを大切にすること(`Δ´)


 これ以上も何も、もうないだろう。妊娠でもするってのか?


 杏里:第一、お兄さんくらい貞操観念ゆるゆるの人が、まさかお姉ちゃんのちょっとした浮気くらいで怒ったりしないよね?


 慧が読んでいるとわかると、続々とラインが届いてくる。

 既読がついたのを確認したのだろう。


 杏里:お兄さんがやったことに比べれば、お姉ちゃんのなんか可愛いじゃん


 時期的に、杏里が慧の浮気を知っているわけがなく、また麻衣子もそういうことを妹に愚痴るタイプではないから、佑が杏里にチクったんだろう。


 確かに浮気はした。それは否定しないが、自分の浮気は身体だけだ。麻衣子のは多少の気持ちが入っているぶんだけ、重いのではないだろうか?


 慧:あいつらのが質が悪いだろ


 始めて、読んでいるだけでなく返信した。


 杏里:何で?


 何で? こいつは俺と違って( ? )情緒がないからな。


 慧:お互いに気持ちがある分、完璧浮気じゃん。俺のは浮気じゃなく遊びだったからな


 最低な文章を送りながらも、あいつには理解できないかもな……と上から目線で考える。


 三十秒くらい間があって、杏里から転げ回りながら爆笑しているウサギのスタンプが送られてきた。


 杏里:ヤバイ! 笑いすぎて顎外れるかと思った


 ものごっつ失礼な奴だな!


 杏里:お兄さんでもそんなこと思うんだ。意外過ぎて、笑いが止まらないんですけど。キスくらいで浮気って、どんだけ純情なの?


 慧は、イライラしながら流し読みして、スルーしそうになった文章を二度見する。


 ……何だって?

 ……キスって何だ?


 慧は、何度も読み返す。


 イヤイヤイヤ、待て待て。


 一人でプチパニックになり、落ち着け~ッ! と、深く深呼吸する。


 キス、口づけ、接吻……。


 言い方を変えようが、キスでありSEXにはならない。


 なんだよ! キスかよ?!


 キスは浮気じゃないか? と言われれば浮気だろう。普通の人間の感覚では……。

 でも、ヤりまくりだと思っていた慧にとって、たかがキスくらい! と安堵のあまり笑いがこみ上げてきたとしても、しょうがないかもしれない。

 ただキスをしたと聞けば、やはり悶々としたはずで、それが最悪のことを想像した後では、清々しい気分にすらなるのは、慧だからなのだろうか?


 慧:キス以外はないのか? それって確認したのか?

 杏里:見てたもん。


 そりゃそうか、写メ撮ってるくらいだもんな。


 慧:あれ以外の時は?

 杏里:ないよー。ずっと一緒だったもん。


 慧は、『お兄さんでもそんなこと思う……』から先をリピートして読み返す。


 ちょうどそこへ麻衣子が帰ってきた。沈んだ声で「ただいま……」と、慧の方を見ずに言った。


「飯……何?」

「スパゲッティだよ。すぐに作れるから」


 慧から声をかけられ、麻衣子はパッと顔を上げる。

 慧を見、表情を明るくする。


「ふーん。俺、ナポリタンがいいな」

「うん、ナポリタンの材料買ってきたよ。慧君、ナポリタン好きだもんね」

「麻衣子の作るナポリタンは美味しいからな」


 慧はキッチンまで行くと、麻衣子を後ろから抱きしめ、肩に顎をのせた。


「慧君? 」


 さっきまでの態度が嘘のようで、麻衣子は戸惑いながらも嬉しくてフンワリと微笑んだ。

 慧は後ろから麻衣子の頭を押さえると優しくキスをした。

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