第140話 勘違い

 トーストを噛み切り、ムシャムシャと咀嚼する音がし、ほぼないアイスコーヒーをストローですすり上げる音がズズズッと店内に響く。


 奈良がいなくなった今、四人掛けに二人で並んで座っているのは、何とも居心地が悪かった。


「すいませーん、アイスコーヒーお代わり! 」


 慧が通りかかった店員に声をかける。


「まだ飲むの? 」

「悪い? 」

「悪くはないけど、もう帰るのかなって」


 慧は、おもむろに席を立つと、奈良が座っていた側に座り直した。


「別に……。おまえが俺に話しがあんじゃねえの? 」

「は……話しって? 」


 正直に話そうとは思っていたが、いざ促されると言葉が喉に引っかかる。


「俺と別れて、あいつんとこ行くわけ? 」

「それはない! 」

「だって、今も好きなんだろ? 初恋の彼氏な訳だから」


 言葉に刺があるのは、意識してないところで、妬いているからなのだが、慧は自分のそんな感情には気づいていなかった。


「ああ、最近、俺とヤってても上の空だったしな。あいつがいたからか」

「……違うよ」


 確かに、そんな時期もあったから強く否定できない。

 でも、今は全力で違うと言いたい!

 ただ、流されてキスを許してしまったが、気持ち的なことではない……と断言できてしまう自分も情けないが。

 付き合いが長くなると、似てきてしまうのだろうか?

 自分がこんなに淫乱だとは思いたくなかったが、あの時の自分は間違いなく奈良を拒絶していなかった。

 麻衣子はキュッっ唇を噛む。


「ごめんなさい! 」


 テーブルに頭がつきそうなくらい頭を下げた麻衣子は、しばらく頭を上げることができなかった。

 そんな麻衣子を見て、やっぱりなという気持ちと、こいつも普通のヤりたがりの女と一緒かという気持ちで、慧の中で何か薄ら寒い感情が湧き上がってくる。


 自分しか知らなかった女が、違う男の形を覚えた訳で、この数日で何回ヤりやがったのか? 素直に一人寝をしていた自分に、腹立たしささえ覚える。

 麻衣子に感化されて、たった一人の女で満足するようになった自分がバカみたいじゃないか?!


「で? 」

「で? 」


 慧の冷たい声音に、麻衣子の身体が震え、顔を上げた。


「(SEX)何回ヤった? 」

「……(キスの)回数なんて数えてない」


 慧はさすがに呆れてため息が出た。運ばれてきたアイスコーヒーをストローを抜いてがぶ飲みすると、コーヒーの苦さに眉を寄せる。


「覚えてないくらいヤったのかよ」

「……ごめん」

「謝るくらいならヤるなよ」

「……ごめん」

「で、どうする訳? 杏里の家庭教師、まだ頼むつもり? 」

「それは、あたしには決められないよ」

「……まあ、そうだな。おまえは飯作りに行くの? 」

「それは……、約束だから。杏里もいるし、大丈夫なんじゃないかって」


 今、一番信用できないのは杏里な気がするが、慧はあえて杏里からきたラインについては喋らなかった。


「理由つけて会いたいわけだ」

「そうじゃないよ! 」


 麻衣子の顔がクシャリと歪む。

 何を言っても信じてもらえないだろうし、そうしたのは麻衣子の方だ。


「行くぞ」


 慧が伝票を持って立ち上がる。

 聞きたいことは聞いたし、麻衣子と奈良が(SEXを)ヤりまくったことがわかったわけだ。後をどうするかは麻衣子が決めるだろう。


 そんな投げやりな考え方は、歩き方にも出ていて、後ろから歩く麻衣子は横に並ぶことも、近づくこともできなかった。


 家につくまで、二人は一言も喋らなかった。通常から会話が多い方ではないが、この沈黙は麻衣子に重石となってのしかかってくる。自分の不貞をズンズンと感じ、後悔の気持ちでいっぱいになる。


 部屋に入った慧は、ベッドに横になると、壁の方を向いてしまった。いつものようにスマホをいじることもしない。


「寝るの? 」


 麻衣子がベッドの脇に座って話しかけても、慧はこっちを向こうともしなければ、数日後ぶりだというのに麻衣子に触れることもなかった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 慧に嫌われることが、こんなに辛いとは思わなかった。

 麻衣子は涙を堪えながら立ち上がると、部屋の掃除を始めた。


 ★

 麻衣子が掃除をしている間、慧は目を開けてベッドに転がっていた。もちろん、寝てなどいない。寝れるはずもない。


 目を閉じると、麻衣子と奈良の情事を妄想してしまい、叫びたくなるのだ。自分がこんな状態になるなんて、全く想像もしていなかった。

 第一、浮気相手になったことは数えられないくらいあり、楽しくSEXできればいいと思っていた。相手の男のことなんか知ったこっちゃなかったし、バレて大変だったって話しはセフレから聞いたことはあったが、他人事としか思わなかった。


 それが今や当事者である。


 まだ疑いの段階では、もしヤってしまったとしてもしゃあない、自分と別れる気がないならいいか……くらいに軽く考えていた。それが、いざ現実のものになると、凄まじい嫌悪感や苛立ち、奈良に対する憎悪などで、暴れたい衝動を抑えるのに、横にならざるえない。


 浮気がバレて彼氏に殴られたとか、彼氏が大暴れして部屋が壊滅したとか聞いた時、束縛系のうざい彼氏だなと思った。彼女も満足させられないくせに、彼氏面だけは立派にするもんだと、バカにすらしていた。それが……。


 見た目にはただふて腐れて寝ているだけなのだが、実際慧の内面は嵐のように怒り、そこら辺の物を投げ散らかしたい衝動を、我慢するのに必死だった。


 ★

 自分のアパートについた奈良は、口笛をふきながら荷物を片付けていた。

 モノトーンで統一された部屋は女性っけはなく、無駄なものを一切置いていないからか、さながらショールームの一室のようだ。


 麻衣子と慧のところと違い、ひたすらご機嫌な様子で、洋服などをきちんと引き出しにしまっていく。


 そこにスマホの着信音が鳴る。


『もしもし、奈良さん? 』

『杏里ちゃん』

『お姉ちゃんと同じ新幹線に乗れた? 』

『ああ、ばっちり。隣りに座れたよ』

『それで、何かあった? 』


 杏里の後ろで雑音が激しいから、高速のPAにでもいるのだろうか?


『何かって? 』

『誰かに会ったりとか』

『ああ、徳田の彼氏が迎えにきてたね』

『ふーん、迎えにきたか』


 なぜか満足気な様子の杏里に、奈良のご機嫌な表情がわずかに歪む。


『あんな男に、徳田がこだわる理由がわからないな。見た目も普通だし、ぶっきらぼうだし。徳田を幸せにできそうなタイプには見えないな』


 それについては杏里はスルーし、慧の様子など、三人で話した会話などを聞いてきた。


『なるほどなるほど……』

『杏里ちゃんは、……俺の味方だよな? 』


 杏里の協力があったからこそ、ただの幼馴染みから一歩踏み出した関係に進めた。


 まるで麻衣子一筋で初恋を引きずっているように見える奈良だが、ずっと麻衣子一筋できた訳じゃない。気まずくなった小六、麻衣子と別の中高とすすみ、それなりに恋愛もしてきた。再開するまでは、思い出すことも少なくなっていたし、付き合う女子が麻衣子に似ているというのも、意識して選んだ訳じゃなく、好きなタイプというだけだ。


 麻衣子と会う直前に前カノと別れたのもあり、麻衣子との再開に運命のようなものを勝手に感じて、杏里の協力にのっかっって、自分の存在を麻衣子の中に捩じ込もうとしていた。


 純粋に麻衣子を慕っていた佑なんかと違い、初恋をアピールしてはいるが、そこまで純粋な想いではない。


『杏里は、お姉ちゃんの味方。お姉ちゃんが幸せになる方を応援するよ』

『なら、俺だろ』


 そこで、断言してしまう辺り、奈良の隠れたオレサマが現れているだろう。


『フフ、どうかな……。じゃあ、また次の土曜日ね』

『ああ』


 電話を切った杏里は、慧にラインをうつことにする。

 きっと今頃修羅場だろうから。


 もう少し奈良に期待していたが、どうやら期待外れなようだ。


 麻衣子を思うなら、自己主張するんじゃなく、あくまでも慧にはただの幼馴染みをアピールするべきなのに。宣戦布告みたいなことを言ってしまったようだし、慧にフォローを入れておかないといけないと、ラインに文章を打ち、既読がつくのを待った。



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