第139話 男二人に女一人
「どうも奈良です」
一番最初に声を発したのは奈良だった。
「それ、こいつの荷物。貸して」
慧は挨拶もしないまま、奈良から麻衣子の荷物を受けとると、クルリと向きを変えた。
「ちょっと、待って! 慧君何でここにいるの? 」
「何でって、おまえの妹が迎えに行けってラインしてきたんだよ」
「……? 」
杏里が何でそんなラインを送ったのかわからず、麻衣子はとりあえずこの二人の紹介をしなければと思った。
「奈良君、彼氏の慧君。慧君、幼馴染みで……杏里の家庭教師してくれてるの。たまたま帰省が重なって、偶然同じ新幹線だっただけで……」
「偶然じゃないよ。杏里ちゃんに聞いて、同じ新幹線とったんだし」
「そうなの? 」
慧は心の中で舌打ちした。
あの女、何を目論んでいやがる!あんなライン送ってきやがって、人を煽るような真似して、こいつにはわざと麻衣子と同じ新幹線に乗るように仕向けて。
慧のところには、一枚の写真と麻衣子が帰る新幹線の到着時間を記し、迎えに行かないと後悔するかもよという文面が、可愛らしいスタンプと共に送られてきたのだ。
写真は、かなり遠めにだが、土手のような場所で抱き合う男女が写っており、一見カップルにしか見えなかった。最初はデバガメかよと、くだらないと消去しようとしたが、下にいる人間は見覚えのある洋服で……。
奈良を見て、確信になった。
あの写真は奈良と麻衣子で、二人はこの帰省で何か関係があったんだと。
慧のことを彼氏と紹介しても動揺しないところを見ると、麻衣子に彼氏がいることは事前に伝えていたのだろう。それにしても、知ってもなお麻衣子にアピールしているようだし、諦めるつもりがないのは明らかだ。
彼氏に隠れてうまくやろうとしているのか、麻衣子を自分に振り向かせる自信があるのか知らないが、鬱陶しい男だ。
今度は明らかに二人に分かるように舌打ちをする。
「帰るの? 帰らないの? その男とどっか行くつもりだった? 」
もとから無愛想な慧だが、不機嫌さが滲み出た声色だった。
「どっか行くって、朝飯も食べてないから、食べてから帰ろうって誘ってただけだけど。慧君?だよね、朝飯は? 」
「……。」
「食べてなさそうだよね。じゃあ、一緒に食べよう」
奈良は何を考えているのか、慧を朝食に誘い、さっさと前を歩きだしてしまう。
慧も、この男がどういう出方をするのか見るためにも、ついて行くことに決めた。
この中で一番生きた心地がしなかったのは麻衣子だろう。
最後までしなかったものの、100%浮気をしてしまったという自覚があった。いや、自分から、した訳じゃないし、無理やりな部分もあったけど、拒否しきれなかった自分がいて……。あれは浮気なんだ、浮気が自分にできてしまうんだと知った麻衣子は、昨晩寝れないくらい悩んでいた。
許してもらえるかわからないけれど、慧に会ったら包み隠さず話して、許しを乞おうと決心したばかりで、それがいきなり慧は現れるわ、浮気相手は彼氏を朝食に誘うわで、パニック状態になっていた。
無言で歩く三人は、八重洲地下街を適当に歩き、朝から開いていた喫茶店に入った。
まだ八時台だというのに、客はそこそこ入っている。四人席に座ると、奈良がまず席につき、その向かい側に麻衣子が座った。慧は麻衣子の隣りに座る。
男二人はサンドイッチの軽食とアイスコーヒーのセットを頼み、麻衣子はトーストとアイスティーのセットを頼んだ。
三人で共通の話題などなく、痛いほどの沈黙が続く。
慧が喋らないのはいつもの通りだが、いつもはスマホゲームをいじったり、無言でも何かしている慧が、ただ黙って座っている姿は、麻衣子には恐怖だった。
慧は何かを勘づいている!
罪悪感からくる思い込みであるはずだが、今回はそれが正しかった。
「慧君は……」
「松田」
「 ……? 」
「松田慧」
親しくもないのに、気軽く名前を呼んで欲しくなかった慧は、フルネームを名乗る。
「ああ、松田慧君ね。俺は奈良道也」
別に、自己紹介をしたわけじゃない慧は、不機嫌さいっぱいで視線を反らす。
「で、慧君は徳田と大学からの付き合いなんだよね? 」
名前を呼ばれたくないのがわかっていて、嫌がらせをされているとしか思えない。
「そうだけど」
「俺は、小一から一緒で、中学からは違うんだけど、たまたま共通の知り合いがいて再会したんだ」
「知ってる。こいつの初恋なんだろ」
奈良は嬉しそうに笑った。
この状況で笑えるなんて、かなり図太い神経だなと、慧は呆れるを通り越して感心してしまう。
「そうみたいだね。俺の初恋も徳田で、両想いだったみたいだ」
「小学生の時な」
「あの時告ってれば、そこに座ってたのは俺だったんだろうけど」
麻衣子の隣りに座っている慧に、奈良は素直に羨望の眼差しを向け、その目が強い意思を表すように目頭に力が入った。
なるほど、こいつは後者か……。
挑戦的に真っ直ぐ慧をとらえる瞳は、隠れて浮気を楽しもうというものではなく、ガチで真っ向から勝負すると訴えているように思えた。
今までなら、恋愛の土俵に上がることなく、のらりくらりとセフレ関係を楽しみ、鬱陶しくなれば関係を切っていた慧だが、さすがに今回はそういうわけにもいかない。
面倒くせーな……というのが正直な感想だが、まあしょうがない。
「で? 」
「でって? 」
慧は頭をかきながら、奈良の顔を正面から見る。怒っているわけでも、嫉妬しているわけでもない、うざったいという表情で。
「だから、どうしたいわけ? 」
「そりゃ、徳田と付き合えればとは思うけど、今はまだ無理みたいだから、俺のこと良く知って貰えればと思う」
「よく知るって、幼馴染みなんだろ? 俺以上にお互いよく知ってんじゃないの? 」
「でも、成長した俺は知らないから」
「成長……ね」
慧は鼻で笑う。
身体はでかくなっただろう。
アソコだって成長したはずだ。
でも、基本的な人格とかはそんなに変わらないと思う。成長して変わったとしたら、隠すことが上手くなったくらいだろう。
「例えば、こいつのどんなとこが良かったわけ? 」
小学生の恋愛なんて、大した理由なんかないだろうし、もしその時に両想いになったとしても、大学生になった今まで続くとも思えない。
「うーん、色々あるからこれって言えないけど……、人の嫌がることを率先してやったり、家庭科とか得意で家庭的なとことか、しっかりしてて現実的なこと言うくせに、センチメンタルな面があるとことか……」
これって言えないとか言いつつ、ずいぶん羅列しやがる。
それにしても、こいつの好きだった初恋の女って、本当に麻衣子か?
確かに家事はパーフェクトな麻衣子だが、家事が趣味なわけじゃない。やらなきゃならない状況で、しょうがなく身に付いたスキルなわけで、どちらかというと嫌なことを先にすますタイプだから、率先してやるのではなく、グダグダやりたくないとごねるより、さっさと済ませてしまった方がマシ……と考えているのだろう。まあ、綺麗好きではあるようだが、掃除自体が好きとも違う気がする。
また、現実的ではあるが、しっかりなんかしていない。どちらかというと世間知らずで、うっかりさんだ。何しろ、初体験を他人と勘違いして慧を受け入れてしまうほどの。
センチメンタル……これだけは真面目に理解できなかった。
これも麻衣子の生い立ちに関係あるんだろうが、例えて言うなら、庭に紫陽花や沈丁花などを植えるより、食べられる野菜や果実を植えた方がマシと考えるのが麻衣子だったから。
慧に対しても、くだらない恋愛ごっこを要求してくるようなおセンチな真似はすることはない。それが凄く居心地が良いのであった。
「センチメンタルねぇ……」
麻衣子にチラリと視線を向けると、もうすでに麻衣子の許容範囲を超えていたのか、目の前のトーストに手をつけることなく、ただアイスティーのストローをかき混ぜ続けるという、意味不明な行動をとり続けていた。もしかしたら、今の会話も聞こえていないかもしれない。
慧はパクパクとサンドイッチを頬張ると、冷静に二人のことを見る。
初恋だか何だかんだ知らないが、こいつは思い込みでしか麻衣子のこと見てねぇな。こんな奴に負ける気がしねえ……って、あの写真がこいつらなら、浮気されてんだけどな。
自虐的は突っ込みを自分にしつつ、慧は麻衣子を突っついた。
「おまえは? 」
「えっ? 」
ストローを動かしていた手がピタリと止まり、麻衣子の焦点が慧に合う。
やはり、聞いていなかったようだ。浮気の言い訳でも考えていたんだろう。
「おまえはこいつのどこに惚れたわけ? 」
「ほ……惚れてなんかないよ! そういうんじゃないから」
ズバリ、浮気を指摘されたのかと思った麻衣子は、回りも気にせず大声を出した。
奈良は若干傷付いたように眉を寄せ、慧はバカにしたように口を歪ませる。
「アホか。小学生の時の話しだよ。こいつが初恋なんだろ? 」
恋人の前で、初恋の人を紹介して、好きになった理由とか語らないといけないの? と思いながらも、真剣に思い出してみる。
「……なんとなく? だって、最近自覚したくらいだし」
「徳田、それは酷いぞ。何かきっかけとかあるだろう? 」
一・二年生の時は一番身近な男子だった。
麻衣子がクラスの仕事とかしていると、すぐに手伝いにきてくれたり、優しいなって思った。
六年になって同じクラスになれて嬉しくて、また話したいと思って、話しかけるきっかけを探してドキドキしたっけ。
クラスメイトの心ない中傷を、奈良も同調しているんだと思い込み、必要以上に落ち込んで、自分の気持ちに気がつかないまま小学校を卒業してしまった。
偶然の再会で、初恋だったことを意識するようになったが、いまさらその原因を聞かれても……。
「きっかけって、はっきりした何かがあれば、小学生の時に気が付いていると思うし……。あえて言うなら、一番身近な男子だったから? 」
「そんなもんなんじゃない? 何となく好きになってるみたいな。逆にシチュエーションとかあると、思い違いってこともあるしな」
「それは、俺が勘違いしてるって言いたいのか? 」
「別に」
その後、ムッツリと黙り込んでしまった男子達をオロオロと見ながら、早くこの場を終了にしたい麻衣子は、自分の食事のみ手付かずで残っていることに気がついた。
「慧君、あたしこんなに食べれないから、半分食べて」
「いいけど」
慧の皿はほぼ空になっており、慧が唯一苦手なパセリだけ残っていた。麻衣子はそのパセリをつまんで自分の皿にうつすと、代わりにトーストを半分慧の皿にのせ、マーガリンを塗った。
「そういうとこ、そういう感じがいいなって思うんだよ」
「え? 」
「然り気無い気遣いっていうか、古風な日本人女性って感じで。甲斐甲斐しく世話焼く感じ? 」
これは、早くこの場から逃れたかったからで、いつもしてあげてる訳じゃない。飲み会とかで率先して取り分けとかをするのも、世話焼きだからじゃなく、早く片付けたいからだ。
「早く帰りたいだけだろ」
「君は、いつもしてもらってるから気がつかないんだよ。君には悪いけど、徳田は俺の理想なんだ。徳田も、俺のこと嫌いじゃないはず」
言い切ってしまう辺り、凄い自信家なんだろう。ってか、思い込みが激しいタイプ? マジ、うぜーっ!!
「お互いに契約書を交わした訳じゃないし、俺はこれからも徳田にアピールさせてもらう。最終的にどちらが選ばれても恨みっこなしっていうことで。じゃ、俺はお先に。徳田、また連絡する」
奈良は自分の分の会計をテーブルに置き、爽やかな笑顔を残して去って行った。
残されたのは、心底呆れた表情の慧と、困り果てた表情の麻衣子だった。
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