第136話 杏里の計画
夏休みに入り、奈良は大学院の入試に向けて勉強しなくてはならなくなり、その間杏里の勉強は麻衣子が見ることになった。
奈良自身は、週に一回だし、全然大丈夫と言ってくれたらしいが、珍しく杏里が気を利かせてしばらくはお休み! としたらしい。
そんなこんなで結局、慧のことを話そうと決意してから一度も奈良に会えておらず、一日に数回くるラインのみの会話となっていた。
前は数日に一回ほどだったラインが、今は毎日挨拶のような他愛のない内容のものが数件くるようになり、それが目下麻衣子の悩みの種だった。
内容が挨拶程度のものだったり、スタンプのみだったりで、特に好きだみたいな内容ではないから、麻衣子から「彼氏がいるの」という会話にも持っていけないし(それも自意識過剰な気がする)、とりあえず今は奈良の試験が終わるのを待っている状態だ。
「お姉ちゃん、奈良さんの大学院の試験っていつか聞いた? 」
麻衣子の部屋で問題集を解きながら、杏里はチラリと麻衣子を盗み見る。慧は、杏里により自分の部屋から追い出されて、喫茶店にでもいるか、大学の部室で寝ているか。
「たぶん、八月の中頃みたいよ。お盆直前ってラインにあったかな」
「ふーん、じゃあお盆はこっちにいるんだね」
「どうだろう? 試験終わったら帰るかもね」
本当は奈良の試験日も杏里は知っていたし、お盆に実家に帰るつもりであることも知っていたが、奈良から連絡がきているか確認したくて聞いていた。
奈良の気持ちは、杏里は確認済みだった。その上で、麻衣子に彼氏がいる……でも奈良との間で気持ちが揺れていると伝えていた。
ついでに、慧がいかに麻衣子を蔑ろにしているか、自分は奈良を応援しているとも伝えた。
実は、毎日の何気ないラインも、杏里の指示だったりする。
麻衣子が慧の存在を知らせるつもりだというのは知っていたから、好意がある素振りは見せないように、でも小まめに連絡をとるようにとラインした。
慧が全く彼氏らしいことをしないし、マメとは縁遠い存在であるから、奈良のマメさをアピールする意味もあった。
それに、ちょこちょこっとした連絡というのは、女子は嬉しいものだったりするから、奈良の好感度アップになるとふんだ。
「お姉ちゃん、忠直からの伝言なんだけど、お盆は一緒に帰りましょうって」
「お盆……か」
正直、帰るつもりはなかったんだが……。
「ほら、仕事するようになったら、そんなに帰れるものじゃないからって。あと、正月は親子水入らずできなかったから、今度は親子四人で過ごしたいって。だから、お兄さんは今回は連れて帰っちゃダメよ」
連れて帰るどころか、帰るかどうかもまだ決めていない。
「泊まれて13日と14日くらいだけど。バイトの休みが13日から15日だから」
「16日までいられるじゃん」
「でも、シフト昼から入ってるよ」
「朝帰ればいいっしょ。したら、忠直が知り合いから車借りるから、四人で行こうよ」
「四人? 」
「佑も、同じ時に帰るって。あいつからは高速代とガソリン代とるし」
「うん……考えとく」
「お姉ちゃん帰らなかったら、忠直泣くと思うよ」
「……はは」
本当は、奈良もいれて五人であったが、杏里はそのことには触れなかった。
「車小さいみたいだから、絶対お兄さんは連れてこないでよ! 」
「だから、まだ帰るとは……」
「忠直は親子水入らずを期待しまくりだからね。近くに越してきたのに、全然お姉ちゃんに会えないって文句言いまくりなんだから!あたしばっか狡いって、クスンクスン泣くんだよ。五十間近の親父が! 」
確かに、忠直とは休みが合わず会えていなかった。
「マジでウザイんだから!! お姉ちゃん、毎日顔合わしてるあたしの身にもなってよ」
勉強どころではなく、身を乗り出してくる杏里に、麻衣子はわかったわかったとなだめる。
「今回は帰るよ。お父さんにもそう伝えて」
「了解! 麻希子さんにも言っとくね」
杏里はニッコリ笑うと、やっと問題集に集中し始めた。
お盆に奈良と麻衣子をなるべく一緒にいさせて、二人の仲をとりもとう……などと、麻衣子にしたらかなりおせっかい( 迷惑? )なことを考えながら……。
★
「行ってきます」
麻衣子は戸締まりの確認をし、誰もいない部屋に挨拶をして鍵を閉めた。
慧は二日ほど前に実家に戻り、帰ってくるのは麻衣子と同じ日を予定しているらしい。
一ヶ月ちょいの夏休み、特にバイトを入れているわけでも、就活をしているわけでもないのだから、もう少しゆっくりしてきてもいいと思うのだが、麻衣子を連れてこないのなら、そんなにいることないし、家で受験勉強しろと言われたらしい。二日前に帰ったのは、友達との飲み会があったからだ。
麻衣子は小さなキャリーバッグを引っ張り、二駅先の杏里の家に向かった。
衣服や化粧のことをあまり細かく言われなくなったので、三日分の洋服に化粧道具一式が入っている。
杏里のアパートの前には、白のエスティマが停まっており、忠直が荷物を積み込んでいるところだった。
小さな車??
杏里は車が小さいから慧は無理みたいなこと言ってなかっただろうか?この車って、七人か八人乗りなんじゃ?
「ずいぶん大きな車借りられたんですね」
「麻衣子、おはよう! 会いたかったよ、マイスウィート」
「はあ……どうも」
両手を広げ、麻衣子をハグしようとする忠直の手をかいくぐって車に近づく。
「忠直、ウザイ! お姉ちゃん一番後ろでもいい? あたし車酔いしやすいんだ」
「全然、どこでも大丈夫……よ」
なぜか麻衣子から預かった荷物を助手席に放り込んだ杏里は、スライドドアを開けて麻衣子を中に引っ張り入れた。
このエスティマは七人乗りで、運転席は忠直、助手席は荷物置き場、二列目に杏里と佑が乗っており、三列目に奈良が座っていた。
「やあ、久しぶり」
「……久しぶり」
三列目、真ん中に座る。
端には荷物が山になっており、奈良と密着しないと座れないくらいのスペースしかなかった。
「狭くてごめんね。なんか、忠直がバーベキューやりたいとか言い出して、フルセット借りてきたもんだから」
「家族でバーベキュー、旅行の鉄則だろ」
「だからウザイってば」
「杏里は冷たい……。昔はもっと可愛かったのに」
「はいはい。人数揃ったし、出発するよ」
人数が揃ったということは、麻衣子は知らされていなかっただけで、奈良も人数に入っていた……ということか?
朝、おはようとだけラインが入っていたが、一緒に帰ることなど一文字もなかったのはなんでだろう?
「試験……どうだった? 」
「完璧……ってのは言い過ぎだけど、まあ大丈夫だと思う」
「そう。良かった」
会話がストップしてしまう。
意識しないように、なるべく離れて座ろうとするが、荷物のせいで膝が触れ合うくらいの距離になってしまう。
「あ……暑いね」
なるべく離れようと身体をギュッと縮めるが、足が、腰が、腕が、奈良の体温を感じてしまう。
関越はそれなりに混んでいて、所々かなりノロノロ運転になった。お盆の帰省なのだからしょうがないのだろうが、麻衣子には果てしなく長く感じられた。
途中ICで休憩を取りつつ、忠直は一人で運転しきった。奈良が交代しますと言っても、借りた車だから自分が……と言って、通常四時間弱でつく道のりを、七時間かけて運転し、長岡についたときは夕方で、麻衣子は途中寝落ちしてしまい、ついた時には奈良にもたれて爆睡していた。
「……徳田、ついたぞ」
奈良に肩を叩かれ、麻衣子は深い眠りから目覚めた。
「ごめん! 寝てた! 」
ヨダレがたれてないかチェックするほどの爆睡ぶりで、奈良の肩は無事のようだ。
「すげえ寝てたな」
「ごめん、万年寝不足で」
「いいよ、役得だし。徳田寝顔見れた」
甘々な奈良の笑顔に、麻衣子は一瞬目眩すら感じ、赤くなりながら奈良から離れて、自分の無防備さを猛省した。
麻衣子のアパートの前に車を停めて車から下りると、奈良と佑が忠直に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ううん、またね」
「はい、失礼します」
奈良と佑は自分の家に帰っていき、忠直が荷物などをアパートに運びいれる。
「杏里! 」
「なあに、お姉ちゃん? 」
奈良のことを黙っていた杏里に文句を言ってやろうと、顔をしかめて杏里に詰め寄ると、杏里はあっけらかんとした笑顔を向けてくる。
「……なんでもない。部屋入ろう」
その無垢に見える笑顔に、麻衣子は戦意がそがれたのか、奈良のことを問い詰めることなく自分の荷物を引きずって部屋に向かう。
逆に好都合かもしれない。こっちにいる間に、奈良と会う時間を作って、慧のことを告白してしまおう。
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