第133話 佑の家で……

 奈良が杏里の家庭教師を始めてから一ヶ月が過ぎた。

 毎週料理を作りに行くのもすでに習慣になり、杏里と二人で買い物に行ったり、料理をしたりするのも楽しかった。

 勉強時間は一時間半。

 その間麻衣子は本や雑誌を読んで過ごした。


 奈良との距離は近づいてはいなかったが、友達としてのブランクは感じさせないくらい親しくなっていた。


「やっぱ、徳田の飯はうまいよな」

「ありがと」


 今日の昼御飯はハンバーグとサラダ、手作りのカボチャのスープにライスだった。

 ハンバーグには、パン粉のかわりにおからパウダーが入っており、ふっくらと仕上がっている。


「本当、お姉ちゃんのご飯サイコー! 忠直が羨ましがってたし」

「ハンバーグ、夕飯用に多めに作ってるから、持って帰れば? 」

「ラッキー! 夕飯作らないですむ」

「徳田は一緒に住んでないんだよな? 」


 父親は実の父親だし、異母姉妹の杏里は麻衣子になついている。アパートまで近くに引っ越してきているのに、何故一緒に住まないのかと、不思議に思ってもしょうがない。


「そうだね」

「たまには相田弟の部屋じゃなく、徳田の部屋で勉強したら? 料理だって、自分ちのがしやすいだろ? 」

「うち? 」


 麻衣子はドキリとした。

 慧の……彼氏の存在を内緒にしているわけではないし、聞かれたら言うつもりではいるけれど、いまだ聞かれていないし、あえて自分から言うのも……。逆に奈良に彼女がいるのかも聞いていなかったし。

 ても、部屋のことを聞かれたら、答えないわけにはいかないだろう。彼氏と同棲しているからうちは無理なんだということを。


「実は……」

「お姉ちゃんちはダメだよ! 」


 正直に答えようとしていた麻衣子に被せるように、杏里が割って入ってくる。


「何で? 」

「……佑んちよりバイト先に遠いから。バイトの時間を考えると、ここでやった方が時間のロスがないから」


 確かに、距離でいえば佑の家の方が居酒屋政には近い。でも、そんなに差があるかと言われれば……ないかもしれない。

 しかし、奈良は素直に杏里の言葉を信じたらしく、それ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。


 昼食も食べ終わり、食後のデザート(今日は奈良が買ってきたケーキ)を出しに冷蔵庫へ向かった時、杏里のスマホが鳴った。


「うん、これから勉強。……ああ? 何がないって? それなら箪笥の中だって。……ない? そんなわけないじゃん。……うん、……うん、わかった。待ってて」


 スマホを切ると、杏里は大袈裟にため息をついた。

 ケーキを杏里の目の前に置くと、凄い勢いでケーキを食べて立ち上がった。


「ごめん、三十分……四十分かな、ちょっと待ってもらえる? 奈良さん、マジでごめんね。忠直が、お客さんにもらった時計なくしたみたいで、今日その客と同伴らしいんだよ」

「忠直? 同伴? 客? 」


 奈良には忠直……麻衣子達の父親の職業とかまだ言っていなかった。


 麻衣子が戸惑っていると、杏里ががあっけらかんと暴露する。


「忠直ってのは父親ね。あたしとお姉ちゃんの血の繋がった父親。で、ホストしてるの。アラフィフのくせに需要があるみたい」

「ホスト……」


 杏里がスマホに入っている忠直の写メを見せると、奈良はヘェッとつぶやいた。


「三十くらいにしか見えないな。これならホストもありか。徳田のお母さんも若々しいの?」

「……年相応だと思う」

「麻希子さんは、落ち着いてるからあれでいいんだよ。麻希子さんまで 忠直みたいだったら、うちらが困るし。それより、ちょっと家帰って探してくるから、奈良さんちょい待ってて」

「ああ、いいよ。今日は予定ないし」


 杏里はバタバタと佑のアパートから出ていき、麻衣子と奈良が二人っきりで残された。


「テレビ……でも見ようか? 」


 ワンルーム、八畳あっても、キッチン込みの八畳だ。ベッドの前にローテーブル、その前にテレビ。収納があまりないのか、壁際には大きな洋服かけと、小さな箪笥が置いてある。人がいられるスペースというのが限られていて、テレビを一緒に見るとなると、ベッドに寄りかかり横並びになるしかない。

 さすがにベッドに座るのは悪いし……、麻衣子はキッチン側に座ったまま、顔だけ向きをかえてテレビを見た。


「体勢……きつくない? 」

「大丈夫だよ。土曜日だからかな、あんまり面白いテレビやってないね」

「こっち来なよ。寄っ掛かれるし」


 奈良が身体をずらしてスペースを作る。

 断ると意識しているように思われる気がして、麻衣子は素直に奈良の横に移動した。それにしても距離が近い。


「徳田って……いい匂いがするよな」

「香水は使ってないよ」

「ああ、シャンプー? 柔軟剤かな。似た香りがすると、徳田のこと思い出す……って、俺、変態チックなこと言ってねえ? 」


 自分で言って、自分で突っ込んでいる奈良に、麻衣子はクスクスと笑う。


「少しね。奈良君じゃなかったら、ちょっとひくかも」

「だよな……。匂いとか、どんなフェチだよって感じだし。やばい、徳田が近いからテンパっちまった」


 奈良は顔を赤くしており、大きな身体を小さくして、ひたすらアイスコーヒーのストローをクルクル回している。

 お互いの距離を気にしているのは、麻衣子だけではないらしい。


「もしも……もしもだけどさ、小六の時、俺が徳田に告ったりなんかしてたら、徳田は何て返事した? 」

「えっ? 」

「例えばだぜ」


 麻衣子は真剣に考えた。

 考えたが、実際にその時じゃないと答えはでない。

 奈良に好意はあったものの、異性との交際を考えられたか? と聞かれると、多分実際に付き合うとかはまだ無理だった気もするし、あの時の母親が奈良の存在を許すはずもなかった。


「難しいね」

「難しい? 」

「だって、小六の時でしょ? 付き合ってる子達がいないわけじゃなかったけど、自分にはまだ早い気がするし。もし、付き合ったとしても、中学とかで別れちゃったら、自然消滅しちゃったんじゃないかな」

「付き合えたかもしれないんだ?」

「多分……、いや、わからないよ」


 奈良の視線を感じならがらも、麻衣子はテレビを見ているふりをした。

 奈良の距離がほんのわずかだが、近くなったような気がして、麻衣子は自分の体温が上がるのを感じる。


「じゃあ、もし……、俺が今、徳田のこと好きだって言ったら、迷惑? 」

「迷惑……なんてことは……」


 麻衣子がうつむいて小さな声で言うと、奈良は吐息が感じられるくらいまで距離を詰めてきた。

 思わず身体が固くなり、身動きが取れなくなる。


 拒絶しなきゃ!


 そうは思っているものの、一ミリも動くことができない。

 恐怖でではないことに、麻衣子自身戸惑い、より思考がストップしてしまう。


 う……動け!!


 奈良の顔が麻衣子を覗き込むように近づき、その唇までの距離は数センチにまでなる。

 奈良は麻衣子を押さえつけているわけではなく、その手は麻衣子の身体のどこにも触れていなかった。





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