第132話 初めての手繋ぎデート?
「あれ、杏里ちゃんは? 」
杏里が店を出ていってから、わずか五分ほどで、奈良が店にやって来た。走ってきたのか、まだ春にしては肌寒い気候だというのち、額にうっすら汗をかいている。
「ごめん、佑君の野球の応援に行くとかで、さっき出ていっちゃったの」
「へえ、あいつ野球やってんだ。見かけによらないな」
「あの子、ああ見えて運動神経いいから」
「そう言えば、高校の時とかも、運動部のスケットに駆り出されてたな」
佑は器用貧乏とでもいうのだろうか。なんでもそつなくこなすが、主力になるには一歩及ばず、また運動で大成するには体格が貧弱過ぎた。身長も低いし、筋肉もつきづらかった。
「ごめんね。なんか杏里が無理言ったみたいで」
麻衣子は改めて奈良に頭を下げた。断ってくれて構わないからというような雰囲気を漂わせる。
「全然。勉強教えるの好きだし、週一でも家庭料理食えるのはありがたいし。徳田が作りにきてくれるって? 」
「やだ、あの子ったら。もう奈良君にそんな話ししてたの? あたしはさっき聞いたばかりなのに」
「ダメなの? けっこう楽しみにしてたんだけど。女の子の手料理なんて、食ったことなかったから。あ、家庭科の調理実習以外で」
「たいしたものは作れないよ」
「いいって! ってか、徳田、料理得意だよな。小六の時の調理実習のハンバーグ、徳田の班のすげえうまそうで、俺、マジで羨ましかったし」
小学生の時から家事をしていた麻衣子は、家庭科の授業では先生並みの腕前を披露していた。あまり料理をしたことない新米の男性教諭が担任だったから、よけいに麻衣子の腕前が際立って見えたのかもしれない。
「本当に、本当にいいの? 」
「いいって。来週の土曜日からって話しだけど、徳田の方こそ大丈夫? 」
「まあ、夕方からバイトだけど、それまでならね」
「やった! 」
いつのまにか料理を作りに行くことが決定事項になり、ガッツポーズをとり喜ぶ奈良の笑顔に、幼い日の笑顔がダブる。
「奈良君は昔と変わらないね」
「何? 進歩ない? 」
「そうじゃなくて、なんかまいっちゃうな。つい、子供の時の気持ちに戻っちゃう」
「子供の時の気持ちって? 」
奈良の表情がふと真面目になり、麻衣子の知らない男の顔を覗かせる。暖かいが真剣な眼差しを向けられ、つい居心地の悪さを感じてしまう。
「……なんとなく……ね。……奈良君、甘いもの好きなんだよね? このケーキ食べてよ。杏里が注文して食べないで行っちゃって」
麻衣子は、奈良の視線にドギマギしながら、視線を外してケーキを奈良の目の前に置いた。
「いいの? さっきから、食べないのか気になってたんだよね」
奈良はいつもの笑顔に戻り、素早くケーキを一口食べた。
その満足そうな顔を見て、昼食だけでなく、何か甘いおやつも作って持っていこうと、すでに乗り気で食事とおやつの組み合わせを考え始めた。
奈良がケーキを食べ終わると、杏里に参考書を選びたいと言われ、麻衣子は店を出て二人で本屋へ向かった。
「この間、杏里ちゃんの学校のノート見せてもらったんだけど、ちょっと大学受験考えるには、レベルが足りないって言うか、自力で頑張らないと、国立は難しいかも」
「国立? 」
「杏里ちゃん、国立狙いだって言ってたよ」
参考書に手を伸ばそうとしていた麻衣子の手が止まる。
麻衣子は忠直の生活状態など知らなかったから、大学の費用は父親が出してくれると聞き、普通に私大に行くことを決めてしまった。
今思うと、かなりの負担だったに違いない。
それを知っているから、杏里は国立を狙おうとしているのだろう。
「あの子ったら……」
麻衣子は大学四年生になった。このまま無事に卒業し、就職浪人なんてことにならなければ、来年には新社会人になるはずだ。
杏里は来年は高三、大学入学は再来年になるはず。一年頑張れば、杏里の大学の入学金を貯めれるのでは? と、麻衣子は頭の中で計算する。今までの貯金もあるし、医大歯科大とかを希望しない限り、私大でも自分が何とかしてあげれるはずだ。
「そう……。でも、もし勉強を見てて、国立は難しいと思ったら、私大も視野に入れるようにアドバイスしてあげてね。あたしも来年は就職するし、出来る限りの援助はするから」
「四年間、学費の面倒見るつもりか? 卒業しなきゃ意味ないし」
「もちろん。あたしも父親に出してもらったんだから、今度はあたしが杏里にしてあげなきゃ。今まで妹がいるなんて知らなかったから、何にもしてあげてないもの。そのためにバイト入れまくってるのもあるし」
奈良は、麻衣子の頭に手を置き、グリグリと撫で回した。
「ヤッバ! やっぱり徳田だな」
奈良は参考書を三冊ほど選ぶと、それを持ってレジに並ぶ。
麻衣子は、お金を出そうとしている奈良の袖を引っ張ると、自分も財布を出した。
「杏里のでしょ? ならあたしが払うから」
「いや、教える為に必要だし、これはお礼がはらうよ」
「でも……」
店員が、どちらでもいいから支払いを済ませてと言わんばかりに値段を言ってきたため、奈良が素早く支払いを済ませてしまう。
「さっきのケーキ代の替わり」
さっさと財布をしまい、奈良は麻衣子の手を引っ張りレジから離れる。
奈良はそのまま麻衣子の手を離すことなく、自然と手を繋いだまま歩き出した。
麻衣子もその手を振りほどくことなく、ただ手汗をかかないかと余計な心配をしながら奈良に引かれるまま歩いた。
恋人繋ぎではなく、友達繋ぎ。
はぐれないように……という意味だよね? と、麻衣子は自分に言い訳のように言い聞かせる。
「ちょっと、座る? 」
奈良は、どこにでもあるような公園に入って行く。ベンチを見つけ、二人で並んで座った。
手は……繋いだままである。
「桜……見たかったな」
目の前には大きな桜の木が立っており、すでに青々と葉で覆われていた。
「本当はさ、花見に誘おうかと思ったんだ」
「え? 」
「二人で花見、したかったんだ」
桜の木を見上げながら、奈良は懐かしそうに目を細める。
「小学校の桜の木、覚えてるか?」
「校門のとこの? 」
「いや、裏庭のとこ。」
裏庭と言っても、倉庫とゴミ捨て場があるだけで……、そういえば小さな桜の木が倉庫の横にあったかもしれない。
「あった……かな? 」
「あったんだよ」
奈良の表情は優しく、手も強く握るでもなく、触れているだけなのだが、心がホッコリしてくる。
「徳田さ、いつも一・二年の時ゴミ捨てしてたじゃん」
「ああ、男子がふざけてばっかで、全然掃除しなかったからね」
「いつもさ、手伝いたいなって後ついていってたんだけど、おまえいつも足速いでやんの。全然追い付かなくて」
何を思い出しているのだか、奈良はクックッと笑う。
「そんな徳田がさ、葉桜になりかけた桜を見上げて、初めて足を止めたんだよ」
「そう……なの? 」
麻衣子は全く記憶になかった。
「ああ。で、やっと追い付けて声かけれたんだよ」
麻衣子の記憶の中では、いつも奈良とゴミを捨てに行っていたような気がしていたが。
「そうだっけ? 奈良君はいつも手伝ってくれたイメージしかないけどな」
「あの時の桜を見上げてた徳田の顔、あれがすげえ頭に残ってるんだよな」
桜を見上げる……。そんな殊勝な性格ではなかったような気もするけど。
実際は、散り行く桜に見惚れていたのではなく、葉についた虫を見上げてたいたのだが……、それは奈良も知らなければ、麻衣子も覚えていなかった。
「人の嫌がることを率先してやって、どっちかっつうとリアリストの徳田が、桜に目を奪われて立ち尽くしているギャップ? なんか、グッときたんだよな。それが徳田を気にするきっかけになったっつうか……」
「きっかけ……」
そのきっかけを、麻衣子はさっぱり思い出すことができず、奈良の妄想じゃないかと思わなくはない。
照れたように初恋のきっかけを話す奈良に、告白されているような気恥ずかしさを感じ、昔話しをしているだけだと、自分に言い聞かせる。
「子供の時の話しだもんね。久しぶりに会って、幻滅されてないといいけど……」
奈良の手に力が入った。
「いや、イメージ通りに成長してたっつうか、以上っつうか……。いいなって思うし」
……告白だろうか?
というか、この状況は良いのだろうか?
慧の顔が頭に浮かんで、これは浮気なのでは? と、急に不安になる。
いまさらなのだが、奈良の手の力強さが、生々しい現実として、麻衣子のピンク色に染まっていた思考をクリアにした。
目の前にいるのは小学生の奈良ではなく、大人の男の人なんだと、その手の大きさや力強さから実感する。
麻衣子の身体が強張ると、奈良はフッと力を抜き、麻衣子の手を離した。
「行こうか」
手を繋ぐことなく、親しい友人の距離で歩く。
隣りを歩いているのは、二十一才の男性で、小六の男の子じゃないんだ……と、意識した麻衣子だった。
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