第130話 パンケーキ
「なあ、俺の紺色のジャケット知らない?」
パンを片手に、慧はクローゼットの中をゴソゴソと漁りながら言った。
「えっ? 今日出かけるの? 」
「ああ、佐久間と多田と約束があるから。言ってなかったっけか?」
「聞いてないよ」
いつも昼過ぎまで寝ている慧が、起こさなくて起きたから珍しいとは思っていたが、出かけるからだったらしい。
麻衣子は、食事の手を止めてクローゼットの方へ歩いて行くと、慧が探した中からジャケットを取り出した。
「これだよね? 」
「そうそう。おっかしいなあ。探したんだけどな」
麻衣子がいなくなったら、きっと慧はどこに何があるかもわからなくなるだろう。慧は麻衣子から渡されたジャケットを羽織ると、残りのパンを頬張り、麻衣子の紅茶を飲み干した。
「おまえ、夜バイトだろ? 」
「そう。六時から」
「もしかしたら、佐久間達と飲み行くかも」
「わかった」
「やっべ、遅刻だ。ほんじゃ、行ってくる」
何処に何をしに行くということを言わないまま、慧は遅刻だと口では言いながらも、慌てた様子もなく部屋から出ていく。
テーブルの上には、朝食兼昼食で作ったスクランブルエッグにサラダは手付かずに残されていた。
「全く、出かけるなら事前に時間を言っていけばいいのに」
残りものを冷蔵庫にしまい、自分のご飯を食べてしまう。
慧がいないのなら、今日は邪魔されずに部屋の片付けができそうだ。
三月に入り、少しづつ暖かくなってきたから、真冬の洋服は片付けてしまってもいいだろう。
ある程度片付けが終わったら、慧の誕生日プレゼントでも探しに行こうかと考えた。
予定通り、部屋の片付けをし、プチ衣替えも終わりそうになった時、麻衣子のスマホが鳴り、ラインの新着を告げた。
奈良:久しぶり!今日は暇?
スマホを手にして、麻衣子の動きが止まる。
奈良と再会したのは二週間前。
最初の一週間は、無意味にスマホの画面を見ることが多かった。別に奈良からの連絡を待っていたわけではないけれど、妙に落ち着かなかったし、スマホにラインが入るとドキリとした。
麻衣子:夕方のバイトまで、暇といえば暇
奈良:じゃあさ、ちょっと付き合ってよ。パンケーキ食べたいんだ!
奈良がパンケーキ?
麻衣子は思わず笑ってしまう。
麻衣子:いいよ。どこ行く?
奈良:原宿。並んでるみたいだから、先に並んどく。二時間後店集合で
店のHPのアドレスが送られてきて、麻衣子は場所を確認した。一時間待ちは当たり前の有名なパンケーキ屋だった。
麻衣子は簡単にシャワーを浴びると、ナチュラルに見えるようにメイクをし、気合いの入りすぎない洋服を選んだ。黒のスキニーパンツに、大きめストライプの抜き襟の開襟シャツ。淡いピンクのツイードコートを羽織る。
デート使用ではなく、あくまでも友達と食事を意識しているつもりだが、いつものメイクより五分ばかり時間がかかったのは、化粧のりの問題だけではなかったかもしれない。
まだ約束の時間には早かったが、奈良だけに並ばせるのも……と思い、早めにアパートを出た。第一、男子が入りにくいと言っている店、並ぶのだってかなり居辛いに違いない。
約束の店についたとき、奈良はすでに並んでいて、列の前寄り辺りにいた。前には五組くらいだろうか、列はほぼ女性ばかりで、中にはカップルもいたが、男性だけで並んでいたのは奈良だけだろう。
「奈良君」
「徳田……」
奈良は、見るからにホッとしたように麻衣子を見下ろすと、麻衣子が並ぶスペースを身体をずらして作った。
「ヤバいよな、こんなにアウェイだとは思わなかった」
「確かに、女性ばっかだね」
狭いところに入ったので、奈良との距離が物凄く近い。
「奈良君って、甘いの好きなんだ」
「好きっていうか、なんか流行ってるじゃん? 一度食ってみたいみたいな」
「あたしも食べたことないな。厚みのあるホットケーキだよね? 」
奈良は信じられないと麻衣子を見下ろす。
「女子って、そういうのでキャーキャーするんじゃないの? 可愛い! みたいな? インスタにあげたりしてさ」
「うーん、そうなのかな? あたしや、周りの友達はそういう感じじゃないかも」
美香達はもっぱらコスメの話しばかりだし、理沙は甘いものより酒一点推しだ。麻衣子も甘いものは好きだが、高いお金を払ってまで食べに行こうとは思わなかった。
杏里や佑なら、こういうところにきているかも知れないが。
「……そうか。じゃあ、この選択はまずったかな? 」
「いや、自分じゃこないから、楽しみだよ」
慧も、こんなに並んでまでパンケーキを食べようとは思わないだろうし、奈良に誘われなかったらこなかったはずだ。
三十分程待っただろうか、やっと麻衣子達の番になり、店の中に入った。
客層が女性がメインだから、店内も乙女チックな内装かと思いきや、予想外にシンプルで、白と緑を基調に清潔感がある内装になっていた。
「これなら、居辛くはないかな」
奈良は席に案内されてる最中、キョロキョロと辺りを見回して、あれ? と声をあげた。
「あれって……、相田弟じゃね?」
店の奥の窓際に佑と杏里が座っていた。
「……本当だ」
「へえ、デートか。あいつも彼女できたんだ」
奈良の視線に気がついたのか、杏里がふと視線を外して麻衣子の方を向く。
「お姉ちゃん?! 」
「お姉ちゃん? 」
杏里が立ち上がり、麻衣子に手を振った。
「ああ、うん、妹だわ」
杏里がやってきて、麻衣子の腕をとった。
「ウワッ、偶然! ねえ、うちらの席にきなよ。四人席だから座れるし」
杏里は、チラッと奈良を見ると、店員に一緒に座りますと言って麻衣子を自分達の席に引っ張って行く。
杏里は席を移り、佑の隣りへ移動する。麻衣子と奈良は隣り合って座ることになってしまう。
何と説明すればよいのか……。
ニコニコしている杏里から視線を反らすように、麻衣子は店内を見回す。
「本当、女性ばっかだよね。……あの、この人は、その……」
「奈良先輩。この間、姉さん……姉がご迷惑かけたんじゃないですか? 」
「そっか、佑君、奈良君のこと知ってるんだ」
「まあ、学年違うけど、小中高一緒だから。この間も、姉さんがまいちゃんを驚かすんだとか言って、奈良先輩に連絡とってたけど」
「うん、あかりちゃんと飲む約束してたら、奈良君も来てびっくりしたよ。小学校以来、久しぶりだったんだよね」
奈良はメニューを見ていたが、話しを振られて顔を上げる。どうやら、真剣に何を頼むか悩んでいたようだ。
「俺もてっきり徳田には伝えてあるんだとばかり思ってたけどな。で、久しぶりに会って、俺の趣味に付き合ってもらったってわけ」
「奈良先輩、甘党ですもんね」
「ああ、でも男一人じゃちょっとな」
「奈良さん、大学生なんですよね? 一緒にきてくれる彼女とかは? 誘えばきてくれる子、いっぱいいそうだけどな」
「杏里! 」
初対面だというのに、馴れ馴れしげに話す杏里に、麻衣子は眉を寄せた。というか、奈良の女関係を聞きたくなかっただけかもしれない。
「杏里ちゃんって言うのか。残念ながら彼女もいないし、誘ってきてくれる女友達もいないんだ。男ばっかでつるんでるから。さすがにこういうとこは男子にはハードルが高くてね」
「ふーん。佑は全然平気よね? 可愛い店とか、一人でも余裕で入れるもんね」
まあ、佑の見た目なら、ありかもしれない。乙女チックな店も似合いそうだし。
杏里とこういう店に入っていると、カップルというより、同性の仲の良い友達みたいに見えてしまう。
「そんなことないよ。一人はやっぱり恥ずかしいさ」
「だよな。お姉ちゃんのおかげでここにもこれたし、マジ感謝」
杏里達が頼んだパンケーキがきて、それを見て心を決めたようで、奈良はイチゴのパンケーキを頼み、麻衣子はオーソドックスなパンケーキを頼んだ。
「出来上がるのに二十分くらいかかるから、お先に~」
杏里が頬張り、美味しいと頬を押さえる。杏里はイチゴのパンケーキ、佑は抹茶のパンケーキを頼んでいた。
「奈良先輩って、まいちゃんと仲良かったんですか? 」
「一年、二年の時は同じクラスで仲良かったよ」
「へえ、同じクラスになったのはその二回? 」
「ううん、六年も」
「奈良さんも、お姉ちゃんが初恋だったりして」
「そんなことあるわけないでしょ! バカなこと言わないの」
「え? そうだけど。ってか、俺もって? 」
杏里はニヤニヤ笑って佑を小突く。
「ここにもいるから。お姉ちゃんが初恋の僕ちゃんが」
「相田弟もか! 」
「も……ね。」
奈良はしまったという表情になったが、すぐに照れ笑いになる。
「いやさ、徳田ってブリブリした女どもと違って、なんか話しやすかったって言うか……。女ってさ、小さくても女じゃん? たまに気持ち悪ッ! って思ったりしてたんだけど、徳田はそんなとこなくて、対等に話せるとこが良かったんだよな」
「わかります! それに、凄く面倒見も良かったし。小さいからってバカにすることもなくて、ちゃんと話してくれて、僕が仲間に入っても遊べるようにしてくれたりで」
「なんか、二人してお姉ちゃんの想い出があってずるい! 」
ヤキモチをやく方向が間違っている杏里だったが、麻衣子至上主義なのだから致し方ない。
「杏里ちゃんは、再婚がきっかけで徳田と知り合ったの? 」
「違うもん! お姉ちゃん歴ならあたしが一番長いんだから。小さい時から写真見て、ずっと会いたかったし」
「写真? 」
「あたしとお姉ちゃん、異母姉妹だもん。父親は一緒。あの母親から生まれるんなら、絶対麻希子さんから生まれたかった! 」
「まあ、色々あるのよ……」
言葉を濁す麻衣子に、奈良は言及することなく、大人な対応をする。
「徳田の初恋って? やっぱり幼稚園の時とか、早かったりするわけ? 」
麻衣子はドキリとする。わずかに視線を反らし、そうね……とうなずいておく。
まさか、この前奈良が初恋かもと自覚したなんて言えない。
「アハハ、お姉ちゃんの初恋、奈良さんだったりして」
「そ……そんなわけないじゃない! 」
声がうわずりそうになり、麻衣子は水を一口飲んだ。
それからの会話はあまり記憶になかった。
多分、お互いの大学のこと、杏里の高校のことなどを話したような気がする。
麻衣子の初恋は両想いだった……。
パンケーキのように甘くフワフワした感情が麻衣子の心を満たし、小学六年生に戻ったような気持ちになった。
その夜、麻衣子は初めて慧とのSEXを理由をつけて拒んだ。
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