第129話 初恋

 新宿東口、ベタな待ち合わせ場所だが、地方出身者にはハチ公前くらいわかりやすい待ち合わせ場所だ。


 そんな東口に、裾が広がったハイウエストジーンズを履き、レモンイエローのフェイクファーのアウターを着た麻衣子が、お巡りさんの真横に立ち、スマホ片手にあかりを待っていた。


 声をかけられないために、スマホでメールを打っているふりをする。ナンパもだが、勧誘やホストの営業などもうっとうしいからだ。

 周りにも、麻衣子のように待ち合わせをしているだろう人々がうじゃうじゃいる。麻衣子と同じようにスマホとにらめっこしている人がほとんどだ。


 その中、麻衣子をガン見してくる男が一人いた。


 黒髪に黒縁眼鏡、ジーンズにグレーのチェスターコートを着て、お洒落ではないが、無難にまとめている。ナンパをしそうなタイプにも見えない男なのだが、なぜか麻衣子を睨むように見ていた。


 若干の居心地の悪さを感じながら、待ち合わせ場所だから移動することもできず、なるべくその男とは視線を合わせないようにうつむいてスマホをいじる。あかりにラインを打つも既読すらつかないため、今移動中なのかもしれない。

 JRの階段を振り返ると、あかりが階段を駆け上がってくるのが目に入った。


「ごめん、遅れた! 麻衣子と……奈良! 」

「えっ? 」


 あかりは、麻衣子の前にやってくると、さっきまで麻衣子をガン見していた男に向かって手を上げた。

 男は大股で歩み寄ってくると、麻衣子の前に立った。


「久しぶり」


 麻衣子に言ったのか、あかりに言ったのかわからないが、奈良と呼ばれた男は爽やかな笑顔を浮かべた。


「徳田かなとは思ったんだけど、違ったらと思って声をかけれなかったよ」

「あはは、麻衣子はかなり変わったからね」

「そうか? そんな変わってないだろ」

「あの……あれ……え? 」


 奈良は、あかりを小突いた。


「おまえ、徳田に俺が来ること言わなかっただろ」


 あかりはペロリと舌を出す。


「サプライズも面白いかなって」


 麻衣子は今一理解が追い付かず、二人のやりとりをボーッと見ていた。


「とりあえず、移動しようぜ」


 二人の後について混雑した道を歩き、地下の店に入る。

 店の中は暗く、半個室……というか、牢屋がコンセプトなのだろうか? 鉄格子で囲まれた半個室になっていた。

 麻衣子とあかりが並んで座り、奈良は目の前に一人で座る。この並びになるということは、二人は付き合っているというわけではないのだろうか?


「奈良にさ、麻衣子と東京で会うって言ったら、自分も会いたいって言うからさ、プチ同窓会にしてみました。ではでは、再会を祝して、乾杯! 」


 とりあえず頼んだ生ビールで乾杯した。暖房のきいた店内では、冷えた生ビールも美味しく喉を通過する。


「二人は連絡取り合うくらい仲良かったんだ」


 二人共、異性同性関係なく友達が多い方だったから不思議はないが、二人で飲みに行くほど仲が良いとなると、意外な感じがしなくもない。


「勘違いするなよ。俺の友達の彼女がこいつの親友ってだけだから」

「ほうほう、奈良は麻衣子に勘違いされたくなかったんだ」


 ニマニマとからかうようなあかりの口調に、奈良は平然と肯定する。


「そりゃそうだろう。勘違いされる相手がおまえじゃな」

「ひっどいなあ。奈良ってさ、小学生の時は優等生キャラだったじゃん。実際はこんなん奴なんよ」

「こんなんてどんなんだよ」

「見たまんまでしょ。けっこう毒舌で、ズケズケ言うの。失礼な奴ってこと。そのくせさ、怒りマックスになると、一言も口聞かなくなるんだよね。しかも根に持つタイプ」

「そんなことねえよ」

「嘘だね。斉藤ちゃんのこと、小学校ネタでフッたじゃん」

「斉藤ちゃん? 」


 小学校ネタというと、同級生の斉藤のことだろうか?

 奈良のとりまきの一人で、キャピキャピした少しうるさい子。自分は可愛いと思い込んでいるタイプの女の子の名前が斉藤なつめだったはずだ。


「斉藤なつめ。小学生の時は、なつめっちとか呼ばれてたかな」

「ああ、覚えてる。彼女、あかり達と同じ中学行ったんだ? 」

「こやつを追いかけてね」


 奈良は知らん顔をしてビールを飲みきった。関係ないことだが、どうやら奈良はアルコールに強いらしく、次は大ジョッキでビールを頼んでいた。


「でもさ、なんか奈良の怒りをかったみたいで、斉藤ちゃんずっと無視されまくってて、クラスメイトがいる中なら邪険にされないだろうと思ったのか、中一の終わりにみんなの前で公開告白したんだよね」

「凄い……根性だね」

「まさか、みんなの前でこてんぱんにフラれるなんて思わなかったんじゃん。……甘かったんだな」

「みんなの前でフッたの? 」


 それは少し可哀想かもしれない。


「だって、あいつ人の悪口を平気で言える奴だぞ? そんな奴好きになれっかよ」

「なんか、小学校の時に、斉藤ちゃん達が奈良の友達の悪口言ったんだって。で、それから斉藤ちゃん達のこと大嫌いになっちゃったらしいよ。それをそのまんま斉藤ちゃんに伝えちゃってさ。まさか、好きですの返事が大嫌いじゃ、号泣もするわな」

「あ、おまえのことも男女だって言ってたぞ」

「アハハ、まじで? 否定しないけどね」


 もしかして……。


 自分のことを奈良の前でバカにしていた斉藤達が思い浮かんだ。あの時奈良は何も言わなかったが……。


 奈良は大ジョッキのビールを飲み干すと、麻衣子の方をぐっと見た。


「実は俺、徳田に会いたいって、訳があったんだ」

「……」


 奈良は、机に頭がつくんじゃないかというくらい頭を下げた。


「ごめん! おまえ、あいつらの悪口聞いてただろ? 俺、あいつらと話しもすんの嫌になって、あいつら無視して帰ろうとしたんだけど、後で考えたら、あれじゃ俺も同罪だよな」

「何々? 意味わかんない」


 あかりが麻衣子の腕を突っつき、麻衣子は曖昧に笑った。

 多分、麻衣子がキモいとか言われたあの時の話しをしているんだろうけど……。


「なんかさ、斉藤らが徳田のこと地味子だとかなんとか言い出して、根も葉もない噂話しをしだしたんだ。で、それを徳田は聞いてたんだよな? 俺が怒って帰ろうとしたら、ドアのとこにいる徳田見っけてさ。俺追いかけたんだけど、おまえどんだけ足速いんだよ。全然追い付けなかった」

「そんなことあったの? 言ってくれたら斉藤ちゃん達シメたのに」


 教えなくて良かったと、心底思った。あかりは、男女関係なく、ボコる時はいっさい手加減をしなかったから。


「あれから徳田、俺のこと避けてたじゃん? だから、あいつらと同類だって思われたんだと思ったら、すっげえショックで、ちゃんと話す機会もつくれなくて。卒業してからも、それが気になってて……。だから、ごめん! あの時、あいつらに一言言えなくて」

「ああ、奈良は怒るとだんまりちゃんになるからね」


 なるほど……。奈良は彼女らに同調して黙っていたわけじゃなかったんだ。


 凄く気にしていたわけではなかったし、今ではそんなこともあったなくらいのことだが、奈良が今まで気にしてくれていたことが嬉しかった。わだかまりもなくなり、嫌な思い出が溶けてなくなるような気分になる。


「そんな、気にしてくれててありがとう。別に怒って避けてたわけじゃなくて、喋り辛かっただけなの。ほら、地味だったのは間違いないし、奈良君に迷惑かけても悪いから」

「迷惑なわけないだろ! 六年の時、また同じクラスになれて嬉しかったんだから。ただ、思春期真っ只中っつうか、恥ずかしさとかあって話しかけられなかったけどさ」


 あかりが目尻をおもいっきり下げて、奈良の顔をニヤニヤと見る。


「もしかして、奈良の初恋って麻衣子? やあねえ、そうならそうって言ってよ。あたしも気を効かせたのに」

「なら、今からでも効かせろよ」

「それは無理! 」


 冗談めいたやりとりをしながら、三人は酔いも手伝い、昔話しに花が咲く。特に、一年と六年は三人共同じクラスだったため、同じ想い出を共有していても、見方が違っていたりして面白かったし、後日談のような知らなかった話しを聞くことで、まるでジグソーパズルのピースが埋まっていくように想い出が膨らんでいった。


「ヤバい! 時間だ! 」


 あかりがスマホの時計を見て慌てた。

 今日は高校時代の友達のアパートに泊まる約束をしていたあかりは、伝票を見てお財布から五千円札を取り出した。


「悪い! これで足りなかったら後で請求して。友達んちに、九時までに行く約束してたんだ」

「全然余るよ。お釣り、お釣り」

「一応、社会人なんで」

「よっ! ガテン系」

「そうだ、奈良! さっきから麻衣子のこと徳田って呼んでたけど、麻衣子は今は冴木だかんね」

「えっ? 」


 奈良はマジマジと麻衣子を見る。

 その表情は強張っているような感じるのは、気のせいではないようだ。


「結婚……したのか? 」


 麻衣子の左手薬指に視線を向ける。

 右手の薬指には、慧がくれた指輪はつけていたが、もちろん左手には指輪はない。


「残念だったね、奈良! じゃあ、あたしは撤収するから後よろしく! 」


 あかりは、奈良の誤解を解くことなく、荷物をかついで居酒屋から出ていってしまう。


「冴木……、なんか言いづれえな」

「徳田でいいよ。というか、実は元々は冴木なんだ」


 奈良は、よくわからないという表情をする。

 そりゃそうだ。

 冴木→徳田→冴木になった経緯を簡単に説明した。


「なんだ、親の再婚か……。てっきり徳田……冴木が結婚したんかと思った」

「だから、無理して冴木って呼ばなくていいって。大学では徳田のままだし」


 奈良は、表情を和ませて、残っていたビールを飲み干した。


「この後どうする? 場所かえてもうちょい飲まねえ? 」

「うーん、けっこう飲んだし、ここの食事食べきったらもう入らないかも」

「まじ? じゃあ飲み足りないけどお開きにすっか。……なあ、また今度誘ってもいいか? 」


 奈良に正面から見つめられ、麻衣子の心臓がバクリと鳴った。

 記憶の中の小さい奈良の顔とダブリ、思わずうなずいてしまう。

 六年のクラス替えの時、奈良と同じクラスになって嬉しかったこと。前みたいに話しがしたくて、ドキドキしながら話しかけるタイミングを探っていた時のこと。授業中、奈良の後ろ姿を意味なく眺めていた時のこと。


 色んな記憶の中の奈良と、目の前の奈良がダブって見えた。


 奈良はホッとしたように笑うと、スマホを取り出した。


「ラインと電話番号教えて」


 言われるままにスマホを出して、アドレス交換をする。


 それから三十分ほどかけてテーブルに並んだ料理を消化し、最後の一口を奈良が食べきると、テーブルの上の伝票を奈良が手にして立ち上がった。


「じゃ、お開き……かな? 」

「うん、そうだね」


 話しは尽きないし、まだいくらだって話せる気がしたが、さすがにこれ以上は二人っきりというのはまずいだろう。


 奈良が会計をすまし、麻衣子がお財布を出すと、奈良はなかなか受け取ってくれなかった。

 自分の方が食べて飲んでるんだから、割り勘はおかしいというのが奈良の意見だ。きちんと割ってもらえないと、次また飲む機会があっても悪くてこれないからと麻衣子が言うと、奈良は渋々千円だけ受け取ってくれた。


「また、連絡するから」

「うん」

「今度は昼から遊ばねえ? 」

「昼? 」

「ああ、行きたいとこあんだけど、男だけじゃ入りづらくて」

「バイトの前とかなら大丈夫かな。夜は居酒屋のバイトがけっこう入ってるから」

「OK、じゃあ、今度付き合ってよ」


 手を繋ぐことも、腕を組むこともなかったが、駅に向かうまで、少し手を動かせば触れられるくらいの距離で歩いた。

 親しい友達の距離。

 見上げると笑顔の奈良がいて、思わず鼓動が速くなる。


 自分の初恋は奈良だったんだなと、いまさらながらに自覚した麻衣子だった。

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