第128話 冴木麻衣子の一日

 バレンタインデー、麻衣子の名字が徳田から冴木にかわった。

 特に公言したわけではないので、親しい人しか知らないし、「徳田さん」から「冴木さん」にかわることもなかった。

 サークルでは相変わらず徳田のままで通したし、この年になると親の再婚……実際の両親が揃うのだが……もあまり関係ないというか、麻衣子の生活にはそんなに影響しない。


 杏里は無茶苦茶喜び、あまりにしょっちゅう遊びにくるので、忠直は引っ越しを決意した。

 麻衣子が慧と同棲しているのは、麻希子にはまだ内緒だったが、忠直は知っていたため、一緒に住もうとは表向きには言ってこなかったが、できれば一緒に住みたいと、さりげないアピールはしてきていた。


「あかりちゃんがね、三日くらいこっちにくるよ」

「ああ、ラインきたね。一日くらい会えないかって」


 杏里は、慧の部屋で真剣な顔でペディキュアを塗っていた。


「おまえね、そういうのは自分の家でやれよ。部屋がくせーんだよ」

「お兄さんのケチ! 」

「うるせー! パンツ丸見えだっつうの」

「見なきゃいいじゃん」

「おまえが俺の真ん前にいるんだろうが」

「もう、うっさいな」


 こっちが本物の兄妹じゃないか? というようなやりとりで、ギャーギャー言い合っている。

 麻衣子は、そんな二人のために昼食を作っている最中だった。

 もうすぐ佑もくるだろうから、仕上げは佑が来てからにしようと、チキンライスのみ作っておいた。

 今日のお昼はオムライスだ。


「お姉ちゃん、おなかすいた! 」

「佑君くるんでしょ? もう少し待とうよ」

「佑なんていいから食べようよ」

「おまえら、人んちを待ち合わせ場所にすんじゃねえ! 」

「いいじゃん! ここなら、お昼代かからないし」

「食費出しやがれ! 」

「お金持ちのくせにセコい! 」

「金があるのは親だけだ。それに、食費は麻衣子持ちだぞ。姉ちゃんにたかるな」

「そうなの? 」

「光熱費とかは払ってないから」


 慧の金銭感覚はかなりズボラだ。生活費は親が払っているのだから当たり前かもしれないが、家賃も光熱費も麻衣子に要求することはない。

 だから、麻衣子がわずかばかりだが家賃を慧に渡していた。それも、最初はただ部屋に置きっぱなしになってしまっていたので、慧の家賃が振り込まれる口座を聞き出し、そこに振り込むことにした。紗栄子も通帳を見て麻衣子が振り込んでいるのは知っているようで、会う度に振り込まなくていいのよと言われる。それでも麻衣子が振り込むものだから、どうやら最近はそれを定額貯金に移しかえているらしい。

「二人の結婚資金よ」などと言っているが、別れたらどうするつもりなんだろう?


「じゃあ、ご飯代払う! 」

「いいのよ、別に。大してかかってないから。ほら、お米はうちから送られてくるし」

「うー、じゃあ、今度お夕飯おごるね! 」

「いいねぇ、リッチはディナーよろしく」

「お兄さんは、自力で払って!」


 そこから、またギャーギャーやりだす二人を見て、実はこの二人は相性がいいんじゃないかと思わずにいられない。

 麻衣子と二人の時は、慧はほとんど喋らないからだ。だからと言って、無言が気まずいとかはなく、お互いにやりたいことをやり、寄り添う時は寄り添う。それが居心地が良かった。


 チャイムが鳴り佑がやってきて、

 四人でお昼を食べた。杏里と佑は映画を観に行くからと、佑の食後の片付けが終わり次第出掛けて行った。


「バイトまで時間あるけどどうする? 」


 たまにはデートがしたいなと思いながら、慧に視線を向ける。

 部屋の片付けは午前中にしてしまったし、食器は佑が洗ってくれた。やることのなくなった麻衣子は、スマホをいじっている慧の横に座る。


「ヤる? 」


 慧の手が麻衣子の太腿にのびてきて、杏里がやってきたため中断された本日二回目のHを誘う。


「それより、表出ようよ」

「まだ寒いだろ」

「今日はいい天気だよ」

「昼寝日和だな」


 麻衣子は、慧の手の甲をつねり立ち上がる。

 それならと、大掃除並の掃除を始めた麻衣子だった。


 ★

 無駄に掃除をして疲れ、さらに慧と二回戦もきっちりこなし、居酒屋のバイトでキリキリ働いた麻衣子は、多少グッタリしながら帰りの電車を待っていた。

 いつもなら、ホームに立ったままスマホでもいじっているのだが、今日ばかりはホームの真ん中にあるベンチに座っていた。


 ラインが届き、スマホを開くと、あかりからのラインだった。


 あかり:来週の金曜日から三日間そっちに行くんだけど、どこかで会えるかな?


 麻衣子:バイト調整したから、土曜日なら一日空いてるよ


 あかり:ナイス! じゃあ土曜日に会おう。そっちにいる他の同級生とも会う約束してっから、夕方くらいからならブッキングしないかな


 麻衣子:わかった。夕方五時ぐらいかな


 あかり:そんくらいで


 電車がきて、空いた座席に座ると、麻衣子はスマホのスケジュール帳にあかりとの予定を打ち込む。

 麻衣子のスマホのスケジュールには、バイトの予定がびっちりだ。

 シフトにより、入りの時間がまちまちなので、細かく予定が書いてあった。


 最寄り駅につき、通いなれた改札を出ると、駅前のコンビニの雑誌売り場で慧が立ち読みしていた。


「慧君」


 コンビニに入り、慧に声をかけると、コンビニのビニール袋を下げた慧が「おお」と手を上げる。

 いかにも買い物にきたついでに立ち読みしてましたみたいな体だが、バイトで遅い麻衣子を迎えにきてくれたのはバレバレだ。何せ、家のすぐ斜め前に新しいコンビニができたのだから。

 でも、「迎えにきてくれたんだ?」なんて言っても、断固否定されるだけだというのはわかるから、余計なことは言わない。


「何か、新しいお菓子でも出た?」

「いや、買いたいのはなかった」

「何が欲しかったの? 」

「……マシュマロみたいなやつ。チョコが表面にコーティングされてるんだと」


 別に、甘いお菓子が好きなわけでない慧が、あえて甘いものを買いに来たと言う。


「残念だったね。あたしも気にして見とくよ」

「ああ」

「そうだ、次の土曜日、あかりと会うんだけど、慧君も一緒する?」

「しねえよ。別に、おまえらの昔話しに興味ねえし」

「まあ、そうだよね」


 年末にあかりにも会っているから、一緒に飲めるかなと思い聞いてみたが、慧は全く興味なさげに歩き出す。


「家でゲームでもしてる」

「ふーん。家にいるんだね」

「出かけるかもしれねえけどな」


 麻衣子は、慧の腕に腕をからめて引っ張る。


「浮気はダメだからね」

「しねえって」


 口では疑う素振りはしても、実際はそこまで心配していない。

 今までの経験から、何かあれば看破できる気がするし、慧もばれるだろうと思っているようだから、麻衣子と別れる危険を押してまで、浮気にうつつを抜かそうとは思わないだろう。


 この時麻衣子は、「慧が浮気しないように」しか考えておらず、違う可能性については……。

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