第三章

第116話 盗撮

 文化祭の浮かれた雰囲気も落ち着いた頃、麻衣子は何となくではあるが視線を感じて振り返ることが多くなった。

 それはサークルへ向かう大学構内の廊下であったり、バイトへ向かう電車の中であったり、買い物中のスーパーであったり。

 実害があるわけではないのだが、やたらめったら視線を感じるのだ。


「ストーカーみたいなやつ? 」


 久し振りに美香と学食でお昼を食べている時、麻衣子はポロリといつも感じる視線についてこぼした。


「うーん、どうなんだろう? 視線を感じて探しても、これだ! って人がいるわけじゃないから、気のせいかもしれないんだけどさ」

「まあね、実際、麻衣子のことチラ見している男子は、ウジャウジャいるけどさ」


 学食には大勢の学生がおり、学祭でミスコンもどきに出たせいか、麻衣子が知らなくても麻衣子のことを知っている人間は沢山おり、男子も女子もさりげなく麻衣子をチェックする視線を向けてきていた。

 男子の視線は好意的というか、煩わしいものの無視すればいいだけなので気にはならないのだが、女子の視線は「何であの子がそこまでいいの? 」的な、敵意まではいかないが冷ややかなものも混じっていて、何とも居心地悪さを感じる。


「旦那には話したの? 」

「慧君? 言わないよ。だって、気のせいかもしれないし、実害があるわけじゃないし」

「まい、毎晩バイトで遅いじゃん? 帰り道とかヤバくない? 」

「うーん……でも、帰り道とかはあんま感じないんだよね。どっちかって言うと、日中の方が多いような……」

「何にせよ、気を付けた方がいいよ。」

「うん」


 話しはコスメや、ファッションの話しに飛び、誰かに見られている……なんて会話はいつしか頭の隅の隅に追いやられていた。


 昼御飯も食べ終わり、麻衣子は美香と別れて図書館へ向かった。レポートの資料集めのためであったが、すでに他の学生にめぼしい本は借りられており、これだという本が見当たらない。

 人のいない本棚の前で、何か使える本が残っていないか背表紙を眺めていると、パシャリとスマホのシャッター音が響いた。


「……? 」


 最初は自分に向けられた音ではないだろうと思っていたが、連写のような音になり、麻衣子は思わず振り向いた。

 その途端、本棚の影に隠れる人影。明らかに麻衣子を狙って向けられていたスマホを見た麻衣子は、人影が隠れたのとは逆側に歩き出した。

 大学の図書館はかなり広く、麻衣子がいるのは一番奥の、調べ物さえなければ足を踏み入れないだろう小難しい経済学の本棚だ。

 外出中の札が置いてあったから、司書は昼御飯でも食べに行っているのか不在みたいだったし、入り口からここにくるまで、学生の姿を見ていないから、最悪隠し撮り犯とこの広い図書館内に二人きりかもしれなかった。


 入り口には遠回りになるが、麻衣子は本棚の間を早足で歩く。さっき手に取った分厚い本をしっかり胸の前に抱えているのは、借りようと思ったからではなく、万が一襲われた時に、投げるなり叩くなりして武器にするためだった。


 麻衣子のヒールの音と交わるように、早足で歩くカツカツ言う音が聞こえてくる。

 麻衣子の後ろを追っているようなその足音は、どんどん近づいてくる。麻衣子は慌ててヒールを脱ぎ、足音を消した。そのまま、少し戻って本棚と本棚の間の隙間に身体を隠した。本棚はスライドして本を探せるようになっているため、ちょうどよいスペースがあったのだ。

 本棚の列を覗いたくらいでは、麻衣子の存在はわからないだろう。まあ、しらみ潰しに捜されたらアウトだけれど。

 足音は、一列づつ本棚を捜すように覗いては移動していた。足音が遠退いて行き、麻衣子はホッと息を吐く。


 これは、冗談でなくストーカーだろうか?


 足音が聞こえなくなった段階で、麻衣子はスペースから出て、持っていた本を返却棚に置いた。

 もう資料を探す気もなくなり、教室に戻ろうとした時、後ろから肩をガッシリ捕まれ、麻衣子は悲鳴を上げることなく腰を抜かしてしまった。


「ヒッ……」

「俺に会ったのが、腰抜かすほど嬉しかったのかい? 」


 目の前には、中西がニヒルを気取ったややひきつった笑顔で立っていた。麻衣子の腕を掴み立ち上がらせると、麻衣子の手から転がったハイヒールを手に取り首を傾げる。


「ここの図書館、土足禁止だったっけ? 」

「ううん、そういうわけじゃないの。中西君、さっき、経済学の本棚の方にいた? 」

「いんや、今来たばっか」


 中西の足元を見るとスニーカーで、カツカツ音が鳴るようには見えない。

 つまりは、盗撮犯とは別人ということだ。

 というか、あの音が鳴るためには、革靴のような靴を履いていないと鳴らないだろう。もしくは女性の履くヒールとか。

 盗撮犯=ストーカーという図式が頭にある麻衣子は、ヒールはすぐさま頭の中から除外する。


「中西君は、何の本を探しにきたの? 」

「ああ、経済学の立石教授の書いた本をね」

「ああ、あれね。奥にあったよ」

「まじ? どこどこ? 」


 麻衣子はヒールを履くと、中西を経済学の本棚に案内する。

 中西がいれば、盗撮犯がいても襲われることはないだろうと思ったのだ。


 少し高い所にある本を背伸びして取ると、これでしょ? と中西に手渡した。


「ああ、これ、これ! さすが麻衣子、図書委員だっただけある」

「やあね、中学の図書委員は関係ないでしょ。たまたまさっき、本を探していた時に目に入っただけよ」

「いや、なんか、昔のこと思い出しちまうぜ。二人で、図書館デートしたよな。返却の本、本棚に返したりしてさ」


 それはデートではなくて、図書委員の仕事なだけですけど?


「よく、夕暮れ時に二人っきりで、横並びに座ってたよな。俺もあの時はお子様だったから、手も握ってやれなくてごめんな」


 横並びって、本の貸し出しのために座っていただけで、やはりただの係の仕事である。

 手なんか握られた日には、たぶんひっぱたいていたんじゃないだろうか?


「おっと! いくら懐かしくても、俺との思い出に引きずられちゃダメだぜ」


 麻衣子が一言も喋ることなく、中西は本棚に寄りかかるポーズをとり、髪をかきあげながら下唇を突きだして前髪に息を吹き掛ける。

 さりげなく中西と距離をとりながら、麻衣子はそろそろ勘違いを解いた方がいいんじゃないかと考える。


「あのさ……中西君って、ずいぶんキャラ変わったよね? 」

「これが本来の俺なんだよな。中学の時は猫かぶっていたっつうか、自分を出しきれていなかっただけみたいな? 」

「そう……。あのさ、中学の時だけど、確かに噂されたりとかはあったかもしれないけど、あたし達って……そういう関係じゃなかったよね? 」


 中西の手が麻衣子の肩に回る。


「恥ずかしがることはないんだぜ。俺ら、確かに口には出さなかったけど、心は通じ合ってたじゃん。まあ、中学生らしいお付き合いっていうの? 今じゃ綺麗な思い出だよな。」


 そんな思い出、一ミクロンもないんだけど……。


「まあ、おまえは俺と別れてから、今の彼氏に押しきられちまってしょうがなく付き合ったんだろうけどさ、過去ばっか見てたら幸せにならねえよ」


 麻衣子は、さりげなく中西の手から逃れる。


「過去なんか見てないし、慧君の彼女で幸せだから」

「いいって、いいって、痩せ我慢はよ。」


 中西には全く話しが通じていない。今度は腰に腕を回され、抱きしめられるかっこうになる。


「ちょっと?! 」

「いいから! せめて思い出だけでもって思う麻衣子の気持ちはよくわかるぜ」

「ハア? 」

「でもよ、一度でも関係もっちまったら、おまえは俺から離れられなくなっちまう! 」

「いやいや……、何言ってるのかわからないんだけど? 」

「いいんだって! 全部わかってるんだからよ」


 麻衣子を抱きしめる腕に力が入り、麻衣子は中西の腕の中にスッポリ入ってしまう。中西といえどやはり男であるから、力では麻衣子は敵わない。


「あのね、離してくれないかな?」

「離れたくないって逆説か? 」

「いや、マジで! 」

「マジでキスして欲しいってか?いや、そこまで言われたら……、うん、俺も男だ! 」


 中西は片手で麻衣子の顎をホールドし、タコみたいな顔で唇を近づけてくる。


「ムリムリムリムリ……! 」


 麻衣子はできる限りのけ反って、中西のタコ攻撃を避けようとする。


 後一センチ!


 麻衣子は唇を上下共に噛みしめた。

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