第110話 キス

 まずトイレを探してみた。

 女子トイレではあるが、慧はそういうのには無頓着で、迷うことなく女子トイレのドアを開けて中に入る。

 お互いの疲労の度合いから、トイレで眠りこんでしまうことも有り得るだろうと、声をかけるだけでなく、個室のドアを全開に開け、中を一つづつチェックする。

 しかし、どこにも麻衣子はいなかった。

 トイレじゃないと部屋か? と思ったが、ペンションに続くドアは戸締まりがしてあるはずで……。

 立ち入り禁止と書いてあるプレートをくぐって、奥の食堂へ続く角を曲がる。

 すると、暗い食堂の扉に寄りかかるように、麻衣子がボケッと立っていた。寝ているわけではないらしい。


「おまえ、何してんだよ」

「……ちょっと酔いざまし」

「こんな暗いとこに立ってたら怖いだろ」

「あたしが? あたしを見た誰かが? 」

「両方。酔い、覚めたか? 」

「もうちょいかな」


 慧は、麻衣子を急かしてバーに戻ろうとせず、隣りに立って煙草に火をつけた。


「あ、こんなとこでダメじゃん」

「携帯灰皿あるし。海斗さん? 来たぜ」

「そうなんだ……」


 本命が来たなら、変なやきもちをやく必要はなくなるかな? と、麻衣子のモヤモヤが少し軽くなる。


「あの二人、付き合ってんな」

「えっ? 」

「龍之介さんと海斗さん。隠すつもりもなさそうだし」

「そう……だね。仲良しみたいだよ」

「やっぱか」

「結婚も考えてるって……。家族公認みたい」


 慧の表情を盗み見るが、特に慧の表情に変化はない。

 つまりは、龍之介に気持ちは傾いていないということでいいのだろう。


「もし万が一、万が一よ、龍之介さんに迫られたら、慧君はどうする? 」

「は? 断るけど」

「佑君だったり、拓実先輩だったりしたら? 」

「ぶん殴る」


 同性の恋愛に偏見はなさそうだが、自分がその対象になることはない……ということか? 浮気レーダーを働かせる相手は女性限定ですみそうだ。同性同士のカップルを初めて見たから、どうやら麻衣子の考えすぎだったみたいだ。


「じゃ、もし凄く可愛い好みのタイプの男の子だったら? 」

「……男も女も好みのタイプってないけど、おまえが男だったら、まあできちまうかもな。うん、おまえが女で良かったよ。未知の世界に足を踏み入れたくはないからな」


 いつもなら、くだらねえ! と返事すらしてくれないだろうが、やはり慧も酔っぱらっているせいか、律儀に答えてくれる。しかも、予想外な返事だ。予想外過ぎて、今までの意味のない心配が、本当に無意味だったんだとわかる。今のところ、ヤキモチをやく相手はいなさそうだ。


 慧は、麻衣子の右手に指を伸ばすと、薬指にはまった指輪をクリクリと弄る。


「ずっと外してたな」

「そりゃ、飲食のバイトだし。飾りついてるから、バイトの時はできないよ」

「シンプルなやつならいいのか?」


 石のついてない指輪って、エンゲージリングみたいですけど?


「今度、バイトでもつけれるようなやつを買ってやるよ」

「いいよ、これで十分だし」

「……男避け。おまえ、脇があまいからな」

「シンプル過ぎると、エンゲージリングみたいになっちゃうよ。まあ、右手につければいいんだろうけど」

「おまえ、左右でサイズ違うの?」

「どうだろう? 」


 右手の指輪を左手薬指にはめてみる。

 少しゆるいが、落ちるというほどでもないし、たぶんサイズは一緒だろう。


「同じで大丈夫だね」

「少しゆるそうだから、多少は太っても大丈夫そうだな」

「やだ、太らないよ」


 いい感じに引き締まっている麻衣子の身体は、慧には魅力的だったが、同様に他の男にも魅力的に映るわけで……。何を着ていても、男は視姦する生き物であるということを知っている慧は、麻衣子が男達にチラチラ見られるだけで、こいつ頭の中で麻衣子とヤってやがる! と、イライラが爆発しそうになる。

 それなら、男が目を背けるくらいデブデブに太らせてやろうか等と、くだらない妄想をしてみるものの、さすがにそんな太った麻衣子とはできる体位も限られてくるだろう。それは嫌だなと、麻衣子デブデブ計画は断念していた。


 慧の性格上、絶対に口に出しては言わないけれど、こんなくだらないことを考えるくらいに、慧は麻衣子に惚れていた。


「戻るか? 」


 煙草を携帯灰皿に入れ、慧は麻衣子の腕を引いた。

 自然と身体を引き寄せ、唇を寄せる。

 SEXにつながる濃いキスではなく、軽く音が鳴るくらいのソフトなキス。


 麻衣子はふと思い出す。


 慧とキスするのは、だいたいSEXを始めようとしている時か、最中であり、何気ないキスなんて数えるくらいしかなかった。それくらいSEX以外のスキンシップが皆無であるわけなんだが、唯一同じようにキスされた時の自分の気持ちがよみがえってきた。


 初めて慧と経験してしまった日の朝、すでにHした後だったが、麻衣子の記憶に残っているファーストキスだ。

 あの時、凄くドキドキして、初めて慧を異性として意識したんだった。


 麻衣子は、自然と笑顔がこぼれる。


「どうした? 」

「別に」


 慧の腕にするりと腕をからませると、慧の手を取る。慧も指をからませてきて、特に気にする様子もなく歩き出した。




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