第109話 バイト最終日

「すっげ……疲れたぁ」


 遅めの賄いを食べた後、畳にゴロンと横になると、閉じてしまいそうな瞼をなんとか開いた慧が、麻衣子の尻を撫でながら伸びをした。


「疲れたでしょ。太陽の下って、それでなくても体力使うもんね」


 麻衣子は、慧のために布団を敷いてあげようと立ち上がる。


「ほら、ちょっと脇に避けてよ。布団敷くから」


 慧は、起き上がる手間も省いて、ゴロゴロと転がって移動する。


「おまえ、よくこんなの一週間もできたな。しかも、夜はサークル飲みにも参加してさ」


 確かに三日間くらいは死にそうに疲れて眠かったが、人間慣れるものである。というか、手の抜きどころがわかってくるのだ。

 それに、休憩時間は海に入るところではなく、爆睡してしまっていたから、せっかく海の家で一週間過ごしても、麻衣子は一回も海に入っていなかった。いや、サークルの面子で花火大会をした時に、浴衣を着てちょこっと足を浸したが、まあそれくらいだった。

 なので、せっかく持ってきた水着も、ただの下着と化し、身体は白いまま、ビキニの後もついていなかった。


「おまえ、まじで体力あるって」

「そう? 」


 今日は慧が一緒だったから、休憩時間に一睡もしておらず、さすがの麻衣子も睡魔に負けそうではあった。


「じゃ、行くか……」

「行くってどこに? 」


 布団を敷き終わった麻衣子は、てっきりいつも通りやるだけやって爆睡モードになるのかと思っていたのだが、予想外に慧は全身の力を総動員させて立ち上がり、麻衣子を手招きする。


 見るからに疲労困憊なんだが、そこまでしてどこに行くつもりなのか?

 慧がどこかに行きたいのなら、もちろんついて行くつもりではあるが、正直、寝ればいいのにとは思っていた。


「俺のバイト代、現物支給なんだよな」

「宿泊費と食事代でしょ? 」

「それは、バイトしてりゃついてくるもんだろ」


 確かに、麻衣子もただで寝泊まりし、三食付きでさらに日給がでる。


「じゃあ、現物って? 」

「バーでの飲み代。しかも、おまえと二人分。龍之介さんと交渉済み」


 龍之介さん……ね。


 いつから名前を呼ぶほど親しくなったのか?いらないやきもちをやきそうになり、麻衣子は戸惑いで視界がぶれる。


 いや、ちゃんと彼氏(海斗)いるし、何に不安になっているかわからないから!


 慧に龍之介の趣向の話しはできないし、したところで、男相手にやきもちをやいている自分にウンザリされるだけだろう。

 麻衣子はため息を飲み込み、慧の後について部屋を出た。


 バーはペンションのウェイティングルームにもなっているため、もちろんペンションの中からも行けるのだが、夜九時を過ぎると行き来できなくなる。

 防犯の意味もあるのだが、裏口から一度出て、バーに入らないとならない。

 麻衣子達も裏口にビーサンを持っていき、初めてバー・シーホースに足を踏み入れた。


 バーの中は薄暗くなっており、ジャズがBGMに流れている。

 宿泊客のカップルが二組、すでにテーブル席に座り、カクテル片手に二人だけの世界をかもし出していた。

 他にカウンターに男性客が二人、日焼け具合から地元の人っぽい。そして、女性客が二人……あれは昼間の逆ナンOLだ。本当にきたらしい。


「麻衣子ちゃん、慧君、きてくれたんだ」

「龍之介さん、現物支給っすよね? 」

「もちろんだよ。どうぞ、こっち座って」


 わざわざOL側は避けて、地元の男性達の隣りの席を用意してくれる。


「あっ! 昼間のバイト君だ」

「やっだあ、うちらが来るって知ってて来たんだ。お姉さん達が相手したげるよ」

「あのね、君達、隣りに可愛い彼女がいるでしょ? からかわないであげて。それに、君達は僕に会いに来たんじゃないの? 」


 龍之介がさりげなく注意し、女達はシナをつくりながら、「当たり前じゃん」とハモる。


 彼女達の興味が龍之介に向いているおかげで、麻衣子と慧は平和に過ごすことができた。バイトが終了したのと、旅行先というWの解放感で、疲れきっていた二人はいい感じに酔っぱらってしまった。


 隣りで飲む慧の日焼けした腕を見て、無性に手をつなぎたくなった麻衣子は、さりげなく手を近いところに置いてみたりして、会話に集中できないでいた。一週間の禁欲生活は、麻衣子にしても影響しているようで、珍しくムラムラしている麻衣子であった。慧と違って、ムラムラと言ってもくっつきたいだけであるが。


 それにしても、一週間も我慢していたわりに、珍しく発情してこない慧を見て、一抹の不安を感じる。


 まさか、この一週間誰か違う女と?!

 もしくは、性別を越えた恋愛に目覚めてしまったとか……。


 珍しく饒舌に喋っている慧の横で、どんどん無口になる麻衣子を見て、龍之介が何やら慧に耳打ちした。

 あまりの距離の近さと、何やら艶っぽく見える龍之介の微笑みに、麻衣子は頭を揺さぶられるようなショックを受ける。

 半分以上は酔っぱらっているせいなのだが、目が回るようなその感覚を、ショックを受けたためと勘違いした麻衣子は、フラフラと席を立ち上がる。


「麻衣子ちゃん、大丈夫? 」

「おまえ、もう酔ったのかよ? 」


 カウンターから出て麻衣子に手を差し出そうとする龍之介を制して、慧が麻衣子の腰を抱き寄せてしっかりと支える。


「……トイレ」

「ついてくか? 」


 麻衣子はフルフルと首を横に振り、フラフラと歩いていく。麻衣子のスタイルの良さに目が惹かれたのか、カウンターに座っていた男性客が振り返って麻衣子を目で追う。


「チッ……」


 明らかに不機嫌そうにカクテルを飲み干す慧に、龍之介は可笑しそうに目尻を緩ませる。


「君も不器用だね」

「なことないっすよ」

「あるある。しかも、ヤキモチやきだろ? 」

「別に……」


 麻衣子に危機意識が足りないだけで、断じてヤキモチをやいているわけじゃないと、慧は心底信じていた。

 今までで彼女がいたわけでもなく、好きだという感情すら持て余している慧は、束縛したいという気持ちが自分にあることが信じられず、全て麻衣子の緩い貞操観念が男を引き付けているんだと信じてイラついていた。


 確かに、大学入学当時の麻衣子は、ちょっと屈めばパンチラし放題なミニスカートに、下着のようなキャミソールを着て、いつでも襲ってくれ! というかっこうをしていたが、今はかなりシンプルかつ機能的な格好になっている。

 ただ、以前の挑戦的な格好は、逆に一般の男子には引かれ気味だったが、今はオールマイティーの目を惹いていた。


「麻衣子ちゃん魅力的だからね。慧君としては心配だね」

「別に……。心配なんかしてねえし」

「またまたあ。なんか、本当、慧君って昔の海斗みたいで、やっばいなあ」

「海斗って? 」

「僕の幼馴染み。もう少ししたらくるよ。レストランで働いてるんだけど、夜はこっち手伝ってくれるから。でもさあ、女の子にはもう少し愛情表現した方がいいと思うな。ああ! 二人っきりの時は甘々なのかな? 」

「なわけあるか!」


 そんな会話をしていると、入り口がカランカランと開いて、海斗が顔を出した。

 温和でいつもニコニコしている龍之介と違い、何もなくても不機嫌そうな海斗は、カウンターにいる慧やキャーキャー龍之介にからんでいる女達を見て、眉間の皺がグッと深くなる。


「彼が海斗。海斗、ほら麻衣子ちゃんの彼氏の慧君」

「ああ……」


 海斗はムスッとしたままカウンターの中に入り、龍之介は軽食のメニューを各テーブルに配る。

 海斗が料理担当らしい。

 途端にオーダーが入り、海斗はカウンターの中の調理スペースで料理を始める。


「すっごーい! 男性なのに包丁上手。料理できる男って、なんか色気あるよね? 」

「彼、和美かずみのタイプっぽいもんね」

「うん、好き好き~」


 女達は、目の前で料理を始めた海斗に、キンキンした声を出してアピールする。海斗はそれに答えるでもなく、無言で料理を作っていた。


「でもさ、龍之介君もいい男だし、和美困っちゃう~」


 何を勝手に困っているのかわからないが、女達はクネクネしながら「やあだあ! 」と、お互いを叩きあっていた。


 龍之介はたまに会話するものの、海斗にはガン無視されているというのに、女達はへこたれることなく、二人に猛プッシュしてくる。

 そのアグレッシブさに、この二人の標的が自分じゃなくて良かったと、心底思う慧だった。


「ね、麻衣子ちゃん遅くない?」


 龍之介がチラリと時計を見て言い、確かにと慧も時計を見る。

 すでに十五分はたっていた。


「龍之介、味見」


 海斗が龍之介にスプーンを差し出し、龍之介は海斗の手をつかんでそのままスプーンを口に運ぶ。さりげなく海斗の腰に回された手やその仕草を見て、慧はすぐにピンときた。


 この二人は肉体関係にあると。


 男同士だしまさかね……という思考はない。何の偏見もなく、慧の中で確定事項だった。


「ちょっと見てくる」

「その方がいいよ」


 慧は、ゲイに言い寄る無意味な女達を横目に、店から出て麻衣子を探しに行った。



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