第108話 慧 逆ナンされる
バイト最終日、麻衣子は夜まで働き、次の日の朝帰る予定になっていた。
なので、サークルの人達を見送り、部屋の片付けをし、次の客の受け入れをしてから、海の家の方へ向かった。
今日から無償の手伝いもいないため、今まで通りの営業に戻っていた。
「遅くなりました……って、慧君? 」
なぜか、帰ったはずの慧がエプロンをつけて海の家で働いていた。
「おまえ遅いぞ! ほら、一番にビール二杯とサイダー一本」
慣れたふうに、サイダーを出し、ビールをついでに麻衣子に渡す。
「え…、ああ、うん」
まあ、一週間も入り浸っていたわけだし、自分達の飲み物は自分達で調達していたわけだから、内情はわかっているのだろう。
「これなら、外にまた席増やしてもいけそうかな? うん、五席ばかり作ってこよう。麻衣子ちゃん、中頼むね」
龍之介は、ホクホクしながら店の外に手早くパラソルを立て、席を作っていく。
バイトにスカウトされたのだろうか?
いや、スカウトするなら佑だろう。慧がこんなにキビキビ動いているのを初めて見た麻衣子は、ただ呆気にとられていた。それでも客は途切れないから働かなくてはならず、慧と話す暇もなく昼のピークに突入してしまった。
主に慧は表の五席を担当し、麻衣子と和佳で中を担当した。
表は、休憩場所かと思い、無断で荷物を置く人達もいるため、常に見張って声かけしておかないとならず、また直射日光の下だから立っているだけで体力が消耗する。たまに日陰に入ってはいるようだが、日射病にならないかと、麻衣子は心配気に表をチラチラ見ていた。
「彼氏君、よく働いてくれるね。実はね、今晩泊めるかわりにバイトすることになったんだよ」
「泊まる?! 泊まるんですか?」
「はは、聞いてなかったんだね。ほら、部屋はもういっぱいだから、お客としては泊まれないよって言ったら、じゃあバイトするって。麻衣子ちゃんと一緒に帰りたいんだね。きっと、自分がいない間に、変な虫がつかないか心配なんだよ」
龍之介の言葉に、麻衣子は信じられない面持ちで慧を見た。
一緒に帰りたいというか、この一週間SEXしてないから、限界を迎えているだけではないだろうか?
「でも部屋ないですよね? 」
「ああ、まあ僕の部屋でもいいけど? 」
「そ……それは……」
龍之介の趣向を知ってしまった麻衣子は、慧の貞操(いや、龍之介がタチかネコかは知らないが)に不安を感じて言い淀む。
「冗談。海斗にボコボコにされちゃうよ。恋人同士なんだから、麻衣子ちゃんと同じ部屋でいいでしょ? 」
「それはまあ……」
「これ、彼氏君に差し入れしてきて。水分取らないとへばっちゃうからね」
龍之介が手渡してくれたスポーツドリンクを手に、表の慧のところへ行った。
「慧君、これ飲ん……で」
差し入れを渡そうと近寄った時、慧が客と話しているのに気がついた。最初は注文を受けているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
OLだろうか?二十半ばくらいの派手な女二人組が、慧の腕やら肩だのにベタベタ触りながら、バイトは何時までなのか、住まいはどこなのかなど聞いており、逆ナンされている最中のようだ。
「わりいけど、仕事中だから」
「だから、注文したじゃん。うちらも客だし」
「ね、バイト終わったら飲み行こうよ」
慧は女達の手を振り払うこともしない。
麻衣子の視線に気がついたのか、慧は振り返って麻衣子を手招きした。
「このお姉さん達ビール二杯だって」
「あ、うん」
何か納得しないながらも、麻衣子はオーダーを通し、すぐにビールを運んだ。さっき慧に渡せなかったスポーツドリンクも一緒に持っていく。
「お待たせしました、ビールになります」
女の手はいまだ慧をガッチリつかんでいる。すでにどこかで飲んでいたのか、顔も赤いし明らかに酔っぱらいだ。
「慧君、表にでずっぱりだから、これ飲んでって龍之介さんから。後、あたし代わるから中お願い」
「ああ、じゃあ少しだけ。お姉さん達、わりいな、仕事だからよ」
「ええ! ならうちらも中で飲みたい! 」
「申し訳ございません、店内は満席になっております」
嘘ではなかった。
さっき子供連れが入って、満席になったばかりで、まだ空きそうな席もない。女達も、見るからに満席とわかるので、それ以上うるさいことは言わなかった。
慧はさりげなく捕まれている手を外し店内に引っ込み、麻衣子は彼女らの席から離れて、他の席の片付けや、注文とりを行った。
女達はビール二杯でかなり粘り、くだらない話しをしながら、なかなか席を立とうとしない。どうやら、店内が空くか、慧が表に出てくるか待つつもりらしかった。
「ねえちょっと! 」
麻衣子は女達に呼ばれて、席に近寄った。
「ねえ、中空いたでしょ? 移動してもいいわよね」
温くなったまずそうなビールを手に、女達は席の移動を要求してきた。
「はい、まあ、どうぞ」
女達は麻衣子にビールを運ばせ、店内に向かう。
「ねえ、注文するから、さっきの男の子呼んでよ」
「あの、あたしが承りますが?」
「いいから呼びなさいよ」
女達はキャンキャン騒ぎ、慧を呼べとうるさいため、麻衣子がレジのところにいる慧の方へ行こうとした。すると、厨房の奥から龍之介が出て来て、すれ違い様に麻衣子の肩を叩いて女達の方へ歩み寄った。
「あの、何かうちの従業員に失礼な言動がありましたでしょうか?」
「あら……別に……」
龍之介の爽やかな笑顔に、女達はドギマギしたようにお互いをつつきながら、「やだ、この人のがカッコいいじゃない」とか、ボソボソ言い合っている。
「ね~え、お兄さ~ん、ここの人? 」
キメ顔なのか、下から舐めるように龍之介を見上げ、目をパチパチ瞬かせながら、女がねちっこい声を出した。
「はい、ここの責任者になりますよ。なので、もし苦情がありましたら、僕にお願いしますね」
「フフ、仕事終わったらうちらと飲まない? お友達とか呼んでもらってもかまわないし、なんならうちら二人でお兄さんのお相手してもかまわないんだけど」
女達は標的を龍之介に替えたらしかった。
「そうですねえ……でも、この後も仕事があるんですよね。夜はそこのペンションに併設してるバーで、バーテンしてるんで」
「うっそ! じゃあ、そこ行くわ。行ったら相手してくれるかしら?」
「まあ、カウンターの中からになりますけどね」
女達はバーに行く約束をし、やっと席を明け放す気になったのか、二人で「あたしが相手するから」とか、「あたしよ! 」とか会話しながら、すでに慧は眼中にないようで、慧がレジにいたのだが、全くの無視で会計をすまして出ていった。
「龍之介さん、ありがとうございます」
慧が龍之介の元へ行き、ペコリと頭を下げた。
「男も女もしつこいのいるよね。我慢してくれてありがとう」
龍之介は、なんとも爽やか過ぎる笑顔で、慧の肩をポンポンと叩く。
同性だ異性だ関係なく惚れてしまいそうなその笑顔に、麻衣子の心中は穏やかではなかった。
何故か慧の顔が赤い気もするし、まさかのまさか……と、変な勘繰りを入れてしまう。
それから海の家が終わるまで、龍之介の慧へのスキンシップが多いような気もするし、慧があまり触られることに抵抗がないことも気になるしで、バイトに集中できなかった。
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