第107話 龍之介、まさかの?
ペンションのバイトも折り返し地点を過ぎ、残り二日になった。
海の家の方のバイトはかなり過酷で、とにかく忙しかったが、佑やサークルの一年が手伝ってくれたおかげで、なんとか回すことができた。
通常なら海の家のみで営業するところを、海の家の前にパラソルをたて、座席を確保することで集客も倍になったようだ。
「麻衣子ちゃん、来年もバイトきてよ」
「来年ですか」
嬉しい誘いではあるが、来年は四年。就活とかで休みがあるかもわからない。
「毎年短期のバイト入れてるんだけど、麻衣子ちゃんみたいによく働く子にかいないし。なあ和佳」
「まあね、遊びと勘違いしてるのばっかだもんね。今年は麻衣子ちゃんのおかげで、海の家も拡大できたし、来年も来てくれたら嬉しいよ。できれば、夏いっぱい働いてくれたら言うことないね」
「そんな……。うちの子達が手伝ってくれるからだし、あたしだけじゃ……」
「ああ、うん。佑君だっけ? 彼もかなりいい働きするよね。無給なのが申し訳ないくらいだ。来年は彼と二人でバイトに入ってくれれば、凄く助かるな」
「佑君かあ……。彼、たぶん来年は部長になるだろうから、無理じゃないかな」
「そっかあ……。じゃあ、考えといてよ」
そう言うと、龍之介は厨房の片付けを手伝いにいった。
外では、和佳が当たり前のように指示を出し、佑と一年男子がパラソルを畳んでいる。もうすでに、立派なバイト君だ。(もちろん無給であるが)
そういえば、龍之介に頼まれていた料理のレシピを書いていたのをすっかり忘れていた。
昨日、サークルの夜飲みに龍之介と和佳も参加し、みんなで他愛ない会話をしながら飲んでいた時、麻衣子の作った豚肉と夏野菜のラグーが美味しかったと理沙が話したことから、龍之介が興味を持ち、ペンションのメニューに入れたいからと、そのレシピを聞かれたのだ。ラグーとは煮込み料理で、簡単にサッとできるわりに、香辛料が隠し味になり、色んな食材を沢山取ることができ、夏バテ予防に麻衣子がたまに作る料理だった。
麻衣子は明日までに書いておくと約束し、そのレシピをエプロンのポケットに入れたまま忘れていた。
龍之介にレシピを渡そうと厨房を覗くと、すでに龍之介は厨房にはおらず、渡辺が黙々と流しを洗っていた。
「渡辺さん、龍之介さん知りません? 」
「ペンションに戻りましたよ」
渡辺は年下の麻衣子にも丁寧に話すし、男女で態度をかえることもなかった。
見た目の厳つさからは想像もできないが、実は薬科大を卒業し、龍之介と同じ大学院に通い、細菌について研究しているらしい。
ほぼ毎日顕微鏡とにらめっこしているんですよと言っていたが、そのわりには無駄に筋肉がついている。とてもナヨナヨした研究者には見えなかった。
龍之介とは高校からの友達で、その時から毎年夏はアルバイトにきており、アルバイト歴八年、そして和佳に片想い歴八年……。
彼の無駄な筋肉は、筋肉質な人が好きと言っていた和佳の趣味に合わせたからで、これを知っているのは龍之介のみであった。
「そうですか、ありがとうございます。一応ホールの方は片付け終わりました」
「そう、お疲れ様でした。後はここが終わればおしまいなんで、戸締まりは僕がしておきます。上がってください」
「はい、お疲れ様でした」
中野は今日は早上がりですでに帰っており、和佳は佑達に指示を出し終わったのか、厨房に顔を出した。
「なべさん、ちょっと買い物行きたいの。車出してほしいんだけど」
「ああ、いいですよ。今、ここ終わりますから、ちょっと待ってください」
「うん、じゃあ終わったらペンション来て」
「わかりました」
和佳と麻衣子は揃ってペンションに戻った。和佳は食堂で夕飯の手伝いをしながら渡辺を待ち、麻衣子は龍之介を探してペンション裏手に回った。
食堂でたむろしていた理沙情報で、龍之介がペンション裏の倉庫に備品整理に行ったと聞いたからだ。
「龍之介……さ……ん? 」
倉庫の裏に歩いていく龍之介を見かけ、麻衣子は早足で近寄り、倉庫を曲がったところで龍之介に声をかけようとした。
龍之介は一人ではなかった。
龍之介の真ん前に男性が立っており、その手が龍之介のウエストというよりほぼ尻に回されており、あまりに近い距離で抱き合っているように見えたのだ。
「あ、麻衣子ちゃん」
麻衣子の声に気がついた龍之介は、特に焦るでもなく普通に振り返り、ヒラヒラと手を振ってみせた。
龍之介の隣りの男は、ムスッとして麻衣子を見ている。
「こいつ、僕の幼馴染み。
麻衣子はペコリと頭を下げたが、海斗は不機嫌そうなまま麻衣子を見下ろすだけだ。
なんとなくぶっきらぼうな雰囲気が慧に似ているが、敵意を感じるのは気のせいだろうか?
全くの初対面だし、会話すらしたことがない。まさか龍之介が麻衣子のことを悪く言っているとも思えないし、だとするとこの顔つきは生まれつき?
敵意の本質が見えず、麻衣子は戸惑いがちに龍之介を見た。それが気にくわなかったのか、海斗はさらに剣呑な雰囲気を醸し出す。
「で、何の用だ? ! 今、龍之介は俺と話してるんだよ」
低く響く声は、まるで声優のように滑舌が良く、これで険がなければうっとりと聞き惚れてしまったかもしれない。
それくらい魅力的な声の持ち主だった。
「ごめんね、麻衣子ちゃん。こいつ、人見知りする質でさ。で、どうしたの? 何かわからないことでもあった? 」
まるで陰と陽のように真逆な二人だ。明るく人懐っこい龍之介と、不機嫌に人を遠ざける海斗。
「あの、レシピ書いたの渡し忘れてて……」
「ああ、豚肉と夏野菜のラグーのか。ありがとう、ちょっと見せて。……ふーん、ちょいピリ辛なんだね。この量のカレー粉なら、隠し味的かな。海斗、これ今度作ってみてよ」
「ああ、こんなの楽勝だ。俺が改良して、もっと旨いもんにしてやる。……にしても、おまえ栄養学でもやってるのか? 食い合わせ完璧だな」
龍之介に寄りかかるように麻衣子のレシピを見ていた海斗は、麻衣子に鋭い視線を投げた。
「いえ……。あの、彼氏が野菜苦手で、夏になると食欲も落ちるから……。それで……」
「あんた、彼氏いんのか? 」
「同じサークルなんだよね? だから、彼氏君はうちのお客様なわけ」
「そう……か」
海斗の目付きの険が少しとれる。
「なんとなくだけど、海斗に雰囲気が似てる彼氏君だよ」
「ああ?! 」
またもや仏頂面になり、龍之介にくってかかる。
なんか、その内容が痴話喧嘩と言うか、恋人同士のそれのようで、まさかね……? と思いながら、麻衣子は立ち去る機会を逸してしまっていた。
「だぁかぁらぁ、僕には海斗だけだって! 何で信じてくれないのさ」
龍之介が海斗の首に腕を回し、甘えたような声を出す。
「だって、遠距離だし……、なかなか会えないし……、東京には二丁目とかあるじゃないか」
「あのね、僕は海斗だから好きなんであって、男が好きなわけじゃないからね」
「そりゃ俺だって……。東京には可愛い女の子も沢山いるだろ」
「海斗ほど可愛い子はいないよ。それに僕の回りは、顕微鏡の中の微生物にしか興味がないようなのしかいないしね」
ああ……、これは完璧にあれだな。
「あの……、あたし仕事に戻りますので、ごゆっくり!! 」
麻衣子は、きびすを返してペンションに戻ろうとした。
「僕も戻るよ。じゃ、海斗また夜ね。あと麻衣子ちゃんのレシピ、お客様に出せるようにアレンジよろしく」
龍之介は海斗の頬にチュッとキスすると、麻衣子を追って走ってやってきた。
「僕の彼氏、ヤキモチやきなんだよね。ごめんね、最初威嚇されて嫌な気分だったでしょ? 」
「いや、まあ……。お付き合いしてる感じですよね? 」
「そう。結婚を前提にお付き合いしちゃってます。うちの家族も知ってるよ」
全く隠す様子のない龍之介に、潔さというか、男らしさのようなものを感じる。
「ほんと、ヤキモチやきでさ、男女問わず僕の回りにいる人間を威嚇しまくっちゃうから困っちゃうんだよね。麻衣子ちゃんの彼氏もそうじゃない? 」
「そんな、全然です。ヤキモチなんてやかれたことないもの」
「そう? でも、せっかく海にきたのに、彼氏君一回も海に入ってないよね。いつも海の家にいるじゃん」
「面倒くさいだけ。海で遊ぶとかキャラじゃないし。とにかく動きたくない人だから」
さりげなく、麻衣子に男が近寄らないように慧がブロックしてたりするのを見ていた龍之介は、なるほど愛情表現が不器用なとこも似てるなと思った。
「海斗はさ、僕のために栄養士の資格とって、調理師免許もとって、今は修行のためにホテルのレストランで働いてるんだ。いずれ、僕のペンションをやるためにね」
僕とではなく、僕のということは、一緒にやるつもりはないということだろうか?微妙な言い回しに引っ掛かりを覚えたものの、個人的なことにこれ以上立ち入るのもと思い、あえて聞かずにいた。
和佳が慧を見た時に「……のタイプかも」って言ったのは、もしかして「龍之介のタイプかも」ってことだったんだろうか?
海斗を見る限り、似ているようないないような……。
麻衣子は微妙な気持ちになる。
彼氏がそういう視線で見られたからではなく、龍之介がもし慧にアピールした時、人間的に負けている気がして、勝てる気がしなかったからだ。
願うは、慧にその気がないことである。
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