第106話 海の家

「水着……じゃないんだ」


 Tシャツ短パンの和佳を見て、麻衣子はホッとしたようにつぶやいた。


「ん? 下に水着は着てるけどね。休憩時間に泳ぐからさ」


 そう言ってシャツをめくった下からでてきたのは競泳水着。かなり本格的に泳ぐつもりなんだろうか?


「ほい、エプロン」


 カフェの店員がつけるようなシンプルな腰エプロンを渡される。渡されるワンポイントで薔薇の刺繍がしてある淡い紫色のエプロンだった。和佳のはオレンジでカモメの刺繍が入っていた。


「可愛いね」

「でしょ? あたしが作ったの」

「作った? これを? 」

「簡単だよ」

「凄い! 無茶苦茶器用じゃん」


 和佳は誉められてまんざらでもないのか、ご機嫌な笑顔になって、それはあげるからねと言うと、厨房に引っ込んだ。理沙も感情をすぐに顔に出すが、和佳も同じらしい。


「あいつ、専門卒業してから家の手伝いしてるから、麻衣子ちゃんがバイトに入るって聞いて、凄く楽しみにしてたみたいなんだ。ほら、同年代の女の子って回りにいないから。バイトの二人を紹介するから、厨房の中に入って」


 厨房に入ると、扇風機はついているが、ムワッとしていた。まだ火は入ってないが、これで火が入ったら地獄のようになるんじゃないだろうか?


「ええと、厨房担当の中野君と渡辺さん」


 紹介されたのは、真っ黒に日焼けした男性二人だった。中野は高校生のバイトで、スポーツ刈りでクリッとした目が人懐っこそうな印象だ。渡辺は見た目はちょっと厳ついが、ゆったりとした喋り方で、性格は温和そうだった。年はたぶん龍之介と同じくらいか、それより上だろう。

 厨房といっても、ここで調理するわけではなく、ペンションで調理した物を運び、温めてだすらしい。それにしても、温めるだけでもかなりの熱気になるに違いない。


 ホールは和佳と麻衣子で回し、龍之介はペンションと海の家、足りなくなった食材の調達など、オールラウンドに動くらしい。


 挨拶を終えると、麻衣子と和佳は海の家の開店準備をした。

 十時から準備を始め、十時半に開店になる。他の海の家はもう少し早く開いているが、ペンションの仕事もあるからこれより早くできない。


 店の正面を囲んでいたシャッターを開け、営業中ののぼりをたてる。

 それを待っていたかのように、子供連れの客がビーチパラソルを借りにやってきた。

 それらの客の応対を和佳がやり、渡辺がパラソルを運び、言われた場所に龍之介と二人でパラソルの設置まで行っている。

 浮き輪やエアベッド、ボートなどのレンタルもしているらしく、麻衣子も浮き輪等の空気入れを手伝った。

 レンタルの客が一段落つくと、今度は昼食をとりに来る客が増えてきた。


「麻衣子! ビール四つね」


 すでにレジに近い席を陣取った理沙達が、昼前から宴会を開いていた。


「理沙先輩、僕はオレンジジュースで」


 佑が注文に訂正を入れる。


「理沙、ビールは自分でやって。お会計は自己申告でいいから」


 和佳がピッチャーくらい大きなビールジョッキ三つとオレンジジュースを運んでくると、伝票と鉛筆も置いた。


「ビール入れたら正の字書いて。セルフのかわりに、大ジョッキ使ってかまわないよ」

「温くなっちゃうじゃん」

「理沙のペースなら大丈夫。中ジョッキの値段で大ジョッキでだしてあげるんだから、文句言わないの! 」

「売り上げに貢献してんじゃん」

「もっと貢献してよ」


 理沙と和佳が並ぶと、姉妹だと言われても納得してしまうくらい似ていた。


「お二人、似ていますね」

「え~ッ! 全然違うじゃん」


 佑の言葉に、二人の声がハモる。


「見た目も似てますけど、なんか雰囲気とか? 」

「あたしは理沙みたいにガサツじゃないよ」

「私も和佳ほどペチャパイじゃないし」


 理沙も和佳も納得がいっていなさそうだ。そこからお互いのけなし合いが始まり、話しはどんどん幼少期までさかのぼっていく。

 中学の時に着ていた洋服のことだったり、親戚で集まった時の失敗談、小学生の時にした悪さの暴露、幼稚園の時の玩具の奪い合いに至るまで……。


「和佳! お客さん来てるから遊ぶな、働け! 」

「遊んでないもん! 」


 和佳はブーッと頬を膨らませながら接客に戻るが、客の前では元気ハツラツ笑顔になる。

 接客業が長いせいか、理沙より愛想が断然よいみたいだ。


 しばらくすると、佑は一年女子達に誘われ、ビーチボールをやりに海に向かった。

 入れ違いに中西が海の家に入ってくる。


「お疲れッす」


 サンオイルのココナッツの匂いをさせながら、中西はだらしなくはいているサーフパンツをわざと腰骨まで下ろす。


「あんた、それ脱げそうじゃない? みっともないから上げなさいよ」

「やだなあ、これがイケてるんじゃないすか」


 イケてる……って、そんなのが流行っているとも聞いたことがなかった。

 誰流行りなのかわからないが、中西はかっこつけの一種として、パンツをずり下げているらしい。


「麻衣子、泳ごうぜ! 」


 隣りの席に焼きそばを運んできた麻衣子の腕を引っ張ると、口の恥をひきつらせて海を指差した。ニヒルな笑顔を浮かべたはずが、どう見ても顔面神経麻痺に見える。


「あんた、バカ? 麻衣子は合宿じゃなくてバイトできてるんだって言ったでしょ。泳げるわけないじゃん」


 すでに何杯目かわからないビールをあおった理沙は、ゲラゲラ笑いながら中西の背中を叩いた。

 その勢いで、中西は麻衣子の方へ吹っ飛び、麻衣子に抱きつく形になってしまう。


「あっ! こいつ、どさくさにまぎれやがって! 」

「違うっすよ。不可抗力です」


 そう言いながらも、中西はデレッと顔面を崩壊させ、麻衣子から離れない。


「ちょっと、仕事の邪魔! 」


 和佳が中西の首根っこを掴んで麻衣子から引き剥がす。


「注文は? 」

「いや、麻衣子誘いにきただけだし」

「頼まないなら入ってくんな! 」


 和佳に追い出され、中西はへこたれることなく麻衣子に手を振って、「バイト終わったら泳ごうぜ! 」と叫んで、投げキッスをしながら海に入っていった。


 中西は、麻衣子と慧の同棲を知った直後はかなり動揺を隠せなかったが、数日で復活し、すでに今では前と同じ態度で麻衣子にアプローチしてきていた。

 本気なのかギャグなのか、周りの人間にはわかりかねたが、本人はいたって本気で、彼氏がいても自分に気があるはずだと信じて疑っていなかった。

 過去の過ちは水に流す、寛大で懐が深い男だと、自分に酔っているふうがなきにしもあらず……という感じだった。


「あの調子よさそうな男、まさか麻衣子ちゃんの彼氏じゃないよね? 」


 麻衣子は慌てて首を振り、慧の肩に手をかける。


「こっち。この人があたしの彼氏だから」


 慧は、まさかの中西が麻衣子の彼氏だと思われたことに不機嫌になり、和佳の方を見ようともしなかった。


「ふーん、こっちかあ」


 和佳は遠慮なく慧をジロジロ見ると、ボソッとつぶやいた。


「……のタイプかも」

「えっ? 」

「ううん、何でもない! ほら、フランクフルトできたみたいよ。運んで、運んで」


 和佳の言葉を聞き取れなかった麻衣子が聞き返したが、和佳は何でもないと接客用笑顔になると、空いた席の片付けに行ってしまった。


 タイプって……誰の?


 確かにタイプという単語だけは聞こえた。

 もしかして、和佳のタイプということだろうか?

 でも、誰かの名前を先に言っていたような……。


 気にはなったが、それからの海の家は半端なく忙しくなり、和佳に聞く時間もなく、いつしか忘れてしまっていた。

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