第89話 妹

 学期末試験も終わり、後期が始まるまでにわずかな休みがある。

 テストが最終日まである生徒は数日の休みしかないが、早めにテストが終わってしまうと、一週間以上の休みがある学生もいた。


 麻衣子達は五日の休みがあり、この期間は補講がある場合もあるので、予定はいれないでいた。


 居酒屋政のアルバイトは入っているものの、昼間は暇な麻衣子は、どうしようか悩んでいることが一つあった。


 それは、実の父親に連絡を取るかどうかということだった。

 今まで、特に会いたいという感情はなかったし、向こうからのアプローチもなかった。

 ただ、大学の費用を出してもらっているわけだし、連絡先も知ってしまった今、一言お礼を言うべきなのかもしれないという思いと、今さら連絡しても新しい家族もいるかもしれないし、迷惑になるかもしれないという思いで揺れていた。


「何それ? 」


 麻衣子が父親の写真をボーッと眺めていると、慧が麻衣子の手元を覗き込んで言った。


「写真……、父親の」

「父親って、女癖が悪かったっていう? 」

「まあ、そうね」


 写真の中の父親は、爽やかなイケメンに見え、そんな不誠実そうには見えなかった。


「離婚してから会ったことあるのか? 」

「ないわね。顔だって覚えてないもん」

「会いたいわけ? 」


 麻衣子は微妙な表情になる。

 会いたくないこともない。ただ、会っていいものかどうかわからないのだ。


「わかんない。今までは連絡先も知らなかったし、会えると思っていなかったから。今何をして、誰と暮らしてるかもわからないし」


 慧は、写真と麻衣子を交互に見る。


「おまえ、目は麻希子さんだけど、それ以外は父親似なのな」

「かなあ? よくわからないよ。昔は、母親に似てるって言われてたけどね」

「なあ、ちょってと行ってみない? 」

「どこに? 」

「おまえの親父さんの家。住所わかってるんだろ? 」

「でも、たぶんいないよ」


 大学が休みなだけで、世の中は平日である。

 逆に、今家にいたら、それはそれで問題だと思う。まっとうな社会人じゃない可能性がでてくるから。


「いなくてもいいじゃん。家見れば、だいたいわかるんじゃね? 」


 まあ、家の大きさで、独りなのか家族がいるのかわかるだろうし、洗濯物とか干してあれば、だいたいの家族構成もわかるだろう。


「うん、じゃあ見に行ってみようかな……」

「よし、今行くぞ」

「今? 」


 いつもは腰の重い慧が、珍しく手早く支度を始め、麻衣子がまだ化粧も終わらないうちに、玄関で靴を履いて待っていた。

 麻衣子以上に、麻衣子の父親に興味があるようだ。


 マンションを出て電車に乗り、一度新宿まで出た。改札を出て、西武新宿に向かう。西武新宿線の各駅停車に乗り、野方という駅で降りた。

 ここにつくまでで一時間以上かかってしまった。

 駅の改札から出て、とりあえずメモにある住所を、スマホの地図検索アプリで検索した。

 土地勘のない場所で、スマホの地図だけを頼りに、ガチャガチャした商店街を抜け、大通りを渡り、閑静な住宅街を歩く。

 平日だからか、ちょっと裏道に入ると、道を歩いている人がいない。


「ここ……だな」


 地図の最終地点、麻衣子の父親、冴木さえき忠直ただなおの住んでいるだろうアパートが建っていた。

 一軒家でも、マンションでもないアパート、たぶん造り的に一人住まいだろうか?


 ということは、再婚はしていない?バツいくつかはわからないけど、今は独り身なんだろうか?


 101号室となっているから右端が忠直の部屋みたいだが、表札は出ていない。

 窓が見える場所に移動してみたが、洗濯物は干していなかった。


「ねえ、電気ついてない? 」

「消し忘れて仕事行ったのかな?」


 慧と窓を見ながらボソボソ喋っていると、カーテンがフワリと揺れた気がした。

 カーテンを凝視していると、いきなり窓が全開になり、ピンクブラウンの髪の少女が、洗濯物を干したハンガーを、物干し竿に干しだした。


 真っ正面から視線が合い、麻衣子も少女も、お互いに時間が止まったように動けなかった。

 先に動いたのは少女で、しかも予想外の行動に出る。


 裸足のまま窓から飛び降りると、麻衣子達の方向にダッシュしてきたのだ。


「えっ? あっ? 怪しい者じゃないのよ! 覗いていたわけでもないし」


 麻衣子は変質者にでも間違われたのかと、慌てて弁解する。


「お姉ちゃん! 」


 少女は麻衣子に抱きついてきた。


「お姉ちゃん?! 」

「麻衣子ちゃんでしょ? 」


 少女は麻衣子から離れると、満面の笑みを浮かべた。

 麻衣子はまじまじと少女を見つめる。

 小さい顔に整った目鼻立ち、特に二重の大きな目が印象的だった。手足はスラリと長く、スレンダーな身体つきはまだ発展途上といった感じだ。


「うん、麻衣子だけど……、あなたは? 」

「あたしは冴木さえき杏里あんり。冴木忠直の娘だよ」


 言われてみれば、写真で見た忠直と似ている気がする。


「足……、痛くねえの? 」


 慧が声をかけ、杏里はその時初めて慧の存在に気がついたらしい。

 驚いたように慧を見、麻衣子に向き直った。


「彼氏? 」

「うん、そう。えーと、杏里ちゃん? なんであたしのこと知ってるの? 」

「写真あるから。お姉ちゃんの写真、飾ってあるもん。家入って。玄関の鍵開けるね」


 杏里は、またもや窓から部屋の中に入ると、今度はサンダルを履いて玄関から顔を出した。


「こっち、入って」


 麻衣子と慧は、言われるままに部屋にお邪魔する。

 部屋は2Kになるのか、1DKになるのか、玄関を開けるとすぐにキッチンがあり、縦に四畳半の部屋が二つ繋がっていた。襖を取れば、広い一部屋として使えるし、襖を占めれば二部屋になるらしい。


「三人で住んでるのか? 」

「三人? 二人だよ。あたしと忠直」

「父親のこと呼び捨て? 」

「パパってタイプじゃないからね」

「母親は? 」

「さあ? どっかで生きてると思うけど。あたしを忠直に押し付けてトンズラしたから」

「おまえ、年は? 」

「十六。ってか、なんでさっきから彼氏君があたしに聞くのよ。あたしはお姉ちゃんと喋りたい! 」


 そう言われても、麻衣子は突然降って湧いた事実に、プチパニックになっていた。

 妹の存在を知らなかったのだから。

 しかも、年齢が十六ということは麻衣子と四歳差。両親が離婚したのが五歳の時だから、明らかに計算が合わない。


「十六って、高校生だよね? 高校はどうしたの? 」

「行ってないよ。学費も高いし、あたし勉強嫌いだし」


 麻衣子の学費は父親が出しているはずで……。もしかして自分のせいで高校へ行けてないのでは?と、杏里の表情を伺った。しかし、高校へ行けてないことに不満がある様には見えない。


「高校行かないで何してんだよ」

「うーん? 別に。たまにバイトするよ。あとはプラプラしてる。友達と遊んだり……かな。あ、そうだ! 写真ね、お姉ちゃんの写真」


 杏里は、奥の部屋から写真たてとアルバムを持ってきた。

 写真たてには、麻衣子が大学に入学した時の写真が入っていた。アルバムを開くと、小さい時から今までの写真が貼られており、いつの写真か見出しまでついていた。

 見慣れない字体だから、父親である忠直が書いたのだろう。

 実家に置いてきた麻衣子のアルバムにも、同じ写真があるから、麻希子が忠直に送ったんだろうと推測できた。


「この写真ね、忠直がお姉ちゃんに会わないことを条件に、季節毎に送られてきてたんだよ。あたし達、写真が届くと、いつも二人でアルバムに貼ってたの」


 アルバムをペラペラめくっていた慧が、ボソリとつぶやいた。


「ふーん、おまえ、高校の時とずいぶん違うのな」


 麻衣子は、慌ててアルバムを閉じる。

 パニックで忘れていたが、地味な黒歴史は封印していたんだった。慧達が実家に来た時も、ひた隠しに隠し、決してアルバムは見せなかったのに!


「だから、これは母親に言われてお洒落禁止だったからで……」

「よくこんな写真で、麻衣子のことわかったな」


 こんなって……。

 否定はしないけど、凹むなあ。


 麻衣子は、頬がひくつくのを感じながらも、慧の言うことももっともだと思った。


「わかるよ~。そんな変わってないし。髪の色が違うだけじゃん。顔のパーツは変わらないし。それに、うちら姉妹だから似てるもん」

「えっ? そんな似てないよ! 」


 杏里は、自分を否定されたのかと思い、傷ついたように固まってしまう。麻衣子は慌ててフォローを入れる。


「いや、そうじゃなくて! あたしはあなたみたいに綺麗じゃないから。」


 素っぴんで今のクオリティーの杏里と、化粧してなんとか……の麻衣子とでは、似てるというのはおこがましいと思ったのだ。


「いや、似てるよ。麻衣子の方が胸はデカイけど、スタイルとか、全体のシルエットなんかは瓜二つだ。違うのは目だけじゃね? 鼻とか口は似てるぜ」


 胸が小さいと暗に言われた杏里は、プクッと頬を膨らませる。


「私、こんなにスタイルよくないし……」

「いや、お姉ちゃんのが数倍カッコいいって! 」


 杏里が甘えるように麻衣子の腕に腕を絡ませ、しがみついてくる。

 さっきから、杏里は初めて麻衣子に会ったというのに、お姉ちゃんと自然に呼んでくるし、なつっこい態度で凄く愛らしい。


 妹……って、こんな感じなのか。


 一緒に生まれ育ったわけではないが、なんとなくストンと胸の中に杏里の存在が落ち着く。

 覚えていない父親より、存在すら知らなかった妹の方を早く、肉親として受容できてしまった麻衣子だった。




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