第四章

第88話 指輪

 夏休みも終わり、浮わついた雰囲気が残る中、大学生活が再び始まった。

 麻衣子達の大学は、夏休み明けに学期末試験があるため、みなノートのコピーをとったり、過去問の収集をしたりする。

 サークルや部活で先輩がいる場合は、そこから過去問を入手できるのであまり苦労はないが、何も入っていないと、サークル等に入っている友達に頼まないといけない。


 とある教授は、毎年ほとんど試験の内容を変えていなかったり、授業中に試験に出るよと教えてくれていたりするので、過去問が最重要であったり、真面目にノートをとっている麻衣子のような存在が重宝される。


「まい、ノートコピらせて! 」

「いいよ」


 麻衣子のノートは字も綺麗だし、教授が試験に出ると言ったところは赤ペンで重要マークが入っていたりする。

 美香が麻衣子からノートを借りると、自分もコピーして欲しいという学生が群がった。


「まい、他の人にも貸していい?」


 たまにノートを売っている学生もいるから、美香は麻衣子にお伺いをたてた。


「いいよ。でも、今日中には返してほしいな」

「じゃ、まとめてコピーするか。欲しい人、手を上げて」


 十人以上の学生の手が上がる。

 その中には、名前も知らない学生も混じっているが、まあいいとしよう。


 美香は数を数えて、その中の真面目そうな学生数名に指示をだして、コピーを取ってくるように言った。

 自分でいかない辺り、さすが美香である。


「まい、その指輪? 」


 久し振りに大学に出てきた沙織が、目ざとく麻衣子の右手の薬指にはまっている指輪に目をつけた。小さな赤いルビーが、花の形に埋め込まれた可愛い指輪だった。


「松田君が? 」


 美香もニマニマしながら指を突っつく。

 麻衣子の隣りに座っていた慧は、プイとそっぽを向き、知らない素振りをした。


 ★

 夏休みの終わり、麻衣子のバイト休みの日に、理沙と拓実とビアガーデンに行こうと約束をした日があった。

 少し早めに出てきた麻衣子達は、駅ビルの中をプラプラ歩き回り、なんとなくアクセサリーショップの前で足を止めた。

 酔っぱらった慧の独り言を覚えていた麻衣子は、何気なく七月の誕生石と書いてある場所の指輪を見ていた。


「それ、欲しいのか? 」


 麻衣子は別に……と答えかけ、言葉を飲み込んだ。


「……そうね。可愛いかなって思うけど、贅沢だし」

「どれ? 」


 麻衣子がルビーの花柄の指輪を指差すと、慧は店員を呼んだ。


「これ、見ていい? 」


 店員が出してくれた指輪をはめると、右手の薬指にピッタリだった。


「これください。」

「慧君、高いよ? 」


 慧は、そっぽをむいて、ぶっきらぼうに答える。


「誕生日プレゼント。 あと、この間、おまえに居酒屋払わせたからその代金」

「だって、あれキープボトル飲んでたから、あまりかからなかったんだよ。六千円しないくらいだったし」


 指輪は居酒屋の代金の二倍以上していた。

 慧は、麻衣子の言葉を無視して会計をすませると、さっさとビアガーデンをやっている屋上へ向かってしまう。


「あの、それつけていきたいんですけど」


 店員は指輪を麻衣子に渡すと、空箱のみ紙袋に入れてくれた。

 麻衣子は指輪を右手の薬指にはめ、嬉しくて自然と頬が緩む。

 それからビアガーデンへ行き、理沙達と合流する。その日は麻衣子が嬉しくて飲み過ぎてしまい、帰りはいまいち記憶がなかった。


 慧は、酔っぱらって、ブツブツつぶやくほどには念願だった首輪(指輪)を、麻衣子につけることができたわけだ。

 ★


「誕生日プレゼントでね」

「ふーん、松田君の癖に気が利くじゃん」

「松田君の癖に、可愛いの好きなんだ」

「松田君の癖に、支配欲ありまくりみたいな? 」


 みな、よくわからないけれど、慧をこけ下ろすというか、バカにして楽しんでいる。

 実際、慧の本質を聞いているのは美香だけなのだが、美香がしょっちゅう「松田君の癖に」と使うからか、「松田君の癖に」=「松田君」になってしまっていた。


 慧も、それについてキレるほど子供でもなく、ただウザそうな表情で反撃しないことで、俺はお前らなんか相手にしてねえぜ!とアピールしていた。

 実際、彼女らに口答えすると、百倍以上になって返ってくるから、触らぬ神になんとやら……なのである。


「あたし、ちょっと部室に用事あるから」


 麻衣子は重い紙袋を引っ張り出すと、よいせと立ち上がった。


「何それ? 」

「一年の時のノートとテスト問題。サークルの一年生にあげようと思って。部室に届ける約束してるから行ってくる。慧君、ついてきてくれる? 」

「はあ? しゃあねえな、重いなら小分けにしろよな」


 面倒くさそうにしながらも、慧は立ち上がり、麻衣子から紙袋を取り上げて教室を出た。

 美香達にからかわれないためもあったが、何より麻衣子が佑と部室で二人きりにならないためだった。荷物を持ってやる体で、実は麻衣子の回りを飛び回る害虫の駆除が目的だ。


 部室につくと、案の定佑が一人ソファーで雑誌を読みながら麻衣子を待っていた。


「佑君、お待たせ」

「ウワッ、そんなにあったの? 言ってくれれば取りに行ったのに」


 予想外の量だったのか、佑はソファーから立ち上がり、慧のところへ紙袋を取りに行く。


「一年分持ってきちゃったから。サークルのやつは理沙が持ってるからね。たぶん、ロッカーに入れっぱなしだと思うけど」

「これだけあれば十分だよ。まいちゃん、お礼に試験終わったら夕飯おごるよ」

「いいって、うちにあってもゴミになるだけだし」


 慧は、よく彼氏の目の前で夕飯とか誘えるなと、ジロリと佑を睨んだ。

 佑は、そんな慧にニッコリ笑いかける。

 宣戦布告……と受け取れなくもない笑顔だ。


「あれ? まいちゃん指輪。慧先輩にもらったの? 可愛いね」

「あ、うん」

「見せて、見せて」


 麻衣子は、外して見せるべきか一瞬悩み、せっかく慧が買ってくれたものを触らせるのも……と思い、右手を佑に差し出した。

 佑は、麻衣子の手を握って、指輪を光にかざしたりしながら見る。


「おい! 」


 いつまでも手を離さないものだから、慧がムッとしたように麻衣子の肩を引っ張る。


「いつまでベタベタ触ってるんだよ」

「あ、すみません。あんまり指輪が可愛かったから。やだなあ、先輩。ヤキモチですか? 」

「なわけあるか! 」

「ですよね。まいちゃんとは姉弟も同然だし、お泊まりだって何回もしてますもん。小さい時は、お医者さんごっことかしたりしたし。手をつなぐくらい別に……ね? 」


 わざと麻衣子の手を離さずに、人畜無害みたいな笑顔を浮かべる。

 男としてアプローチしてくるのではなく、あくまで仲良しの幼馴染を装って、あわよくばを狙っているようで質が悪い。


「佑君ごめんね、教室に友達待たせてるから、もう行くね」


 慧の不機嫌な空気をビリビリ感じ、麻衣子は自分から右手を引く。

 慧の腕を取り、佑にじゃあねと手を振って部室を出た。

 いつもなら腕など組まない慧だが、今回はイライラしてるせいかそのまま気にせず歩き出す。


「お医者さんごっこって何だよ」

「は? 」

「おまえ、子供の時から危機感0なのな」


 いやいや、それは子供の時だし、ごっこ遊びは女の子の定番だと思う。


「別に、洋服の上からもしもしってしただけだし、変なのじゃないよ」

「男は何歳でも、変な意味でやるんだよ」

「それ……慧君だけだから」

「どいつも同じだよ」


 確かに、麻衣子のことを性的な意味で見てくる男性も多く、警戒しなきゃと思わなくはない。嫌な思いをするのは自分なのだから。

 佑が麻衣子に、幼馴染に感じる以上の好意を寄せているんじゃないかと、うっすらとは気がついていた。ただ、だからって、無理やり麻衣子に迫ったり、嫌な思いをさせたりするとは思えなかったのだ。

 だから、慧ほど佑を邪険にすることもできず、告られたわけじゃないから、こちらから断るアクションも起こせない。


 逆に考えれば、気持ち穏やかではいられないと思うから、なるべく二人っきりにはならないようにしよう……とは思っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る