第87話 結婚について

 それから、黙々と食事をとり、慧の様子をチラチラ盗み見ていたが、いっこうにプロポーズのことに触れてこない慧に業を煮やした麻衣子は、とうとう自分から再度切り出した。


「で、一番大事なプロポーズはされてないけど」


 慧が心底面倒くさそうな顔をする。


 いやいや、そこ大事だから!


 麻衣子は何も言わずに、今度は真っ正面からただ黙って慧の顔を見て、慧が切り出すのを待つ。

 慧は、ビールのかわりにキープしていた焼酎のボトルと氷を頼み、残りの焼き鳥を頬張り、煙草に火をつけて大きなため息と共に煙を吐き出した。


「したよ」

「えっ? 」

「だから! プロポーズはした」

「はい? 」


 結婚しようなんて言われた記憶もないし、言われたのを忘れてしまうほど泥酔した記憶もなかった。


「ガキ、できてもかまわないって言ったじゃん」

「あ……あ、いや、あれはただ生でしたかっただけでしょ? 」

「いや、中出ししたかったからだけど」

「最低……」


 慧の愛情表現が分かりづらすぎる。しかも、内容は最低だし。


「まあ、今すぐ結婚したいってのは正直ない。ただ、ガキができたらそれはまあいいんじゃね? たぶん、うちの親が全面的に面倒見るだろうよ。なんせ、跡継ぎになるからな。兄ちゃん達も、ガキこさえない代わりに、金銭面の援助はするって言ってるしな」

「えっと……それが慧君のプロポーズなわけ? 」

「おう! だから、中出しさせろよ」

「やだ! 」


 慧の表情が曇る。


「それは、プロポーズの返事か?」

「なんでそうなるかな? 中出しが無理なの。そういうのは、自分達に責任取れるようになってからだって言ったよ」

「つまり、中出しはまだ早いけど、いつか結婚するのは構わないってことか? 」

「まあ、大学卒業して、少し働いたりして、まだお互いに同じ距離でいられたらだけど」

「まあ、そりゃあそうだな。それでいいんじゃね? 」


 あまり執着してなさそうな慧に、気が抜けてしまう。


「まあ、生だの中出しだのはギャグとして……」


 ギャグなのかい?!


 慧はニッと笑う。

 いや、きっとギャグじゃない。麻衣子がいいよって言ったら、きっとコンドームはゴミ箱行きになるだろう。


「そういう将来もありとして付き合ってるってことで」

「それにしても、親同士の挨拶は早すぎるよね」

「親は好きなようにさせときゃいいんじゃん? 勝手に婚姻届け出せるわけでもなし、反対されるよりいいだろ」

「そうかもしれないけど……」

「第一、別れる前提で付き合う奴もいないんだろうから、どんなカップルだって、最終的には結婚が最後にあるんじゃね?」


 なんかよくわからないけど、珍しく慧が饒舌だということはわかる。

 慧の手元を見てみると、まるでビールをあおるように、ロックの焼酎をがぶ飲みしていた。ほとんど残っていたボトルの中身が、半分以下になっている。


「ちょっと、飲み過ぎじゃない?」

「大丈夫、大丈夫、酔っぱらっても出来るのが俺だから」


 へらへらと笑っている慧は、確実に酔っぱらっている。

 酔っぱらわないと言えないのか?と呆れながら、すでに身体まで真っ赤に染まっている慧を見て、麻衣子はクスリと笑った。


「あんだよ?! 何笑ってんだ」

「別に。一応プロポーズされて嬉しかったからでしょ」


 慧は鼻で笑うと、ユラユラ揺れながらさらに焼酎を口に含む。

 喉仏が動き、焼酎が食道から胃へと落ちていくと、ロックで飲んでいるはずなのに、身体が火照ってくる。

 それが気分良く、慧はさらに焼酎をグラスに注いだ。

 さらに飲み続け、一時間もたたないうちにボトルはほぼ空になってしまった。


「新しいボトル……」

「慧君、もう帰ろう。次はまた今度入れればいいよ」


 いくらマンションまで近いとはいえ、泥酔した慧を運ぶ腕力は麻衣子にはない。

 動けるうちに帰ろうと、麻衣子は先にお会計をすませた。


 慧を支えて立ち上がらせると、慧は麻衣子の肩に手をかけ、ヨロヨロと歩き出す。

 店を出て、マンションまでの道、慧はブツブツとつぶやいていた。

 慧的には独り言なのか、考えていることが駄々漏れになっているのかわからないが、麻衣子の耳にしっかりと届く。


「まさか、自分が普通に彼女作って、バカみたいに恋愛するなんて思わなかったよな……。一人だけとヤるなんて、アホだと思ってたのに……。でも、こいつが他に行くのは絶対嫌だし、クソみたいな奴に足開くとこなんて想像すんのも嫌だ! 」


 麻衣子の頬がにやけてくる。

 普段、好きだなんて口が避けても言わないし、麻衣子に執着する素振りも見えない。

 一緒に歩いていたって、手なんかつながない。会話だって多くない。

 ないないづくしの慧が、結婚まで考えていたり、ヤキモチのような感情まで抱いているということがわかり、嬉しくないわけがない。


 でも、それを例えば素面の時に、こんなこと言ってたよ……と慧に言っても、100%否定するだろうから、麻衣子の胸の内にだけしまっておく。


「ったく、まじでありえねえよ。あいつ、脇が甘過ぎるし、なんか知らんけど男寄ってくるしよ! 自覚なさ過ぎるのが問題だよな。首輪くらいじゃどうにもなんねえじゃねえか……」


 確かに、ペアのペンダントは二人揃っていれば、二人が付き合っているということはわかるかもしれないが、あまり効果的ではないかもしれない。


「指輪ったって、サイズわかんねえし、なんか束縛チックでみっともねえよな……。クソッ! 誕プレ……過ぎちまった」


 麻衣子は、むにゃむにゃ言っている慧の言葉を拾いながら、慧が麻衣子に指輪を考えていたことを知る。


 そういえば、誕生日プレゼント、何がいいか聞かれたのを思い出す。

 麻衣子は、特に欲しい物はないから一日デートがしたいと、水族館に連れて行ってもらった。


 あまり……というか、ほとんどデートらしきことをしてきていないから、凄く楽しかったし、これからもプレゼントより、こういうほうがいいと言ったが、慧は疲れただなんだと始終不機嫌だった。

 元から不機嫌な人だからあまり気にしてはいなかったけれど、指輪とか買ってくれようとしていたのか……と、気分がホッコリする。


 そういえば、大学の帰りにちょいちょい用事もないのに、駅ビルに寄ったりしていたかもしれない。


 うん、さりげなく今度おねだりしてみよう。あまり高くない指輪を。


 麻衣子は、慧を支えてマンションの部屋に帰り、慧をベッドまで運んだ。

 慧はなおもブツブツ喋っていたが、そのまま自然と寝息にかわっていった。

 麻衣子は着替えると、その横にそっと入り、慧にすり寄るように横たわる。慧は無意識に麻衣子を抱き寄せ、麻衣子は珍しく早く眠れるな……と、思いながら目を閉じた。



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