第86話 親公認

「気をつけて帰るのよ」

「うん」

「どうも、お世話になりました」

「また来てね」


 各々、麻希子に挨拶をし、拓実の車に乗り込む。


「松田君、麻衣子のこと、よろしくお願いします。また二人で来てね」


 最後に、麻希子は慧に頭を下げた。

 高校時代までは、麻希子があんなに反対していた彼氏だと言うのに、思うところが変わったのか、反対することもなく、慧ににこやかな笑みを浮かべて手を振る。


 この四日、慧は麻衣子に触れていなかったから、みなが寝静まったら、慧は欲求不満を爆発させるのでは? と、麻衣子は真剣に悩んだのだが、それは杞憂に終わった。

 全く麻衣子に触れることなく、最終的にはテーブルの回りで雑魚寝になったのだが、最後まで起き、麻希子と喋っていたのだ。

 麻衣子もなるべく起きて、慧がボロを出さないように見守りたかったが、途中で眠さに負けてしまった。


「ねえ、昨日うちの母親と何を話していたの? 」


 車が走りだし、麻衣子は麻希子が見えなくなるまで手を振っていたが、角を曲がった途端、笑顔から一転、不安そうな表情になり、慧の袖を引いた。


「別に……世間話し……じゃん?」


 実際、思い返してみたが、たいした話しはしてなかったように思える。


「付き合うきっかけとか、うちの家族は麻衣子のこと知ってるのかとか、俺の家族構成とか……、ちょっとうざかったけどな」

「それはごめん……って、付き合うきっかけって、何て言ったの?」


 まさか、私が泥酔して、慧君が襲ったって話しじゃないでしょうね?! と、麻衣子は慧に詰め寄る。


「そんなん言うかよ。おまえ、俺のこと、アンポンタンだと思ってるわけ? 」

「いや、そこまでは思ってないけど、似たような感じ……かな? 」

「おまえな! 」


 慧が麻衣子をヘッドロックし、スキンシップをはかってくる。


「後ろ、イチャイチャしないよ」


 理沙がニヤニヤしながら振り返る。


「してねえよ」


 慧は麻衣子の頭を離すと、その手をそのまま肩に着地させる。


「友達から、自然に付き合うようになったって言っといた。セフレから彼女にランクアップしたんだから、間違っちゃいねえよな」

「あ、なんか上から。松田君の癖に。それにしても、良かったね。親公認じゃん」


 麻衣子には、いまだにそれが信じられなかった。

 麻衣子が窮屈に感じて家を出たいと思うほど、麻希子の締め付けは厳しかったのに、いきなり彼氏の存在を認めるなんて……。何か心境の変化でもあったのだろうか?


「高校までは、お洒落禁止、恋愛禁止だったんだけどな」

「まじでそれを守ったおまえもバカだよな。適当に遊んどけばいいのに」

「でも、まあなんとなくわかったかな」


 理沙がフムフムとうなずく。


「何が? 」

「麻衣子のお母さんが人を見る目がないってこと。松田君を認めるあたり、ダメダメでしょ」

「おまえな……」


 慧は、理沙に怒る気もおこらず、ふてくされたようにそっぽを向く。


 帰りは寝ることもなく、拓実の運転で東京までついた。

 案の定、高速代もガソリン代も請求されることなく、麻衣子が払うと言っても、受け取ってもらえなかった。

 慧のマンションの横に車をつけると、麻衣子達は慧に礼を言って車を下りる。


「また大学でね」

「うん、バイバイ。拓実先輩、ありがとうございました」


 車が走り去るのを見送り、マンションの中に入る。

 それにしても、実家に帰ったから麻衣子の荷物はすくないが、慧にいたっては少ないというか、何も持っていない。


「慧君、着替えとかは? 」

「一泊だし、ねえよ」

「昨日、お風呂入ったよね? 」

「ああ」


 ということは、着替えてないのね……。


「とりあえず、お風呂入ろうか?お湯入れるね」


 慧はベッドにゴロリと横になると、スマホゲームで遊び出す。


「実家には帰らなかったんだね」

「帰ったぜ。実家から直におまえんち行ったから」


 お風呂が沸くまで、麻衣子はとりあえず部屋を片付けた。


「そうなの? 」

「ああ、母親が挨拶してこいって」


 親への挨拶って、付き合ってるだけで必要なんだろうか?

 今まで、慧以外付き合ってたことないからわからないけど。


「おまえがうちの親にも会ったことあるし、うちの親にかなり気に入られてるって話したら、麻希子さん喜んでたぜ」

「麻希子さん??」

「おまえの親の名前だろうが」


 いや、それはわかってる。

 母親を名前で呼ぶほど親しくなったのに驚いたのだ。


「なんだって名前で……? 」

「ああ? お義母さんってのは気が早いからじゃね? 」


 まあ、そうかもしれないが、まさか母親もセーフゾーンとか言わないよね?


 麻衣子は引き気味に慧を見る。


「何だよ? その目」

「いや……別に。……もしかして、母親も許容範囲なのかなって……」

「あるか! 」

「だよね」


 麻衣子はお湯を止めに行き、慧にお風呂が沸いたことを告げる。


「じゃ、入るか」


 二人揃ってお風呂に入り、流れでSEXをし、気がついたら外は暗くなっていた。


「夕飯、どうする?今から買い物に行って作ると、遅くなりそうじゃね?」

「そうだね。帰りのお金もういたし、今日くらいは贅沢してもいいかな」

「じゃ、食い行こうぜ」


 すっかりすっきりした慧は、ご機嫌になり洋服を着て駅近の居酒屋に向かった。

 盆開けだったせいか、いつもよりも空いていたため、すんなりとテーブル席に入れた。とりあえず生で乾杯し、お通しのキュウリとワカメの酢の物に箸を伸ばす。


「そういや、うちの母親が、今度麻希子さんに挨拶に行こうかしらって言ってたぜ」

「ちょっと待って! なんか、さっきからちょいちょい気になってたんだけど、なんで親に紹介とか、親同士の挨拶とかの話しになっているわけ? 」


 なんか、この流れって結婚に限りなく近くない?


 麻衣子はまさかね……と思いながら、冗談めかして言ってみた。


「なんか、結婚間近みたいじゃない」


 慧は、ビールをいっきにあおると、うっめ〰️! っと、口の端についた泡を手の甲で拭い、ごくごく真面目な顔でうなづいた。


「まあ、うちの親はそのつもりみたいだな」

「はい? 」


 有り難いことではあるが、なぜそんなに麻衣子のことを気に入ってくれているかわからない。

 正直、家柄だって釣り合わないと思う。慧の家は医者だし、お手伝いさんがいるくらい裕福だ。かたや麻衣子は、片親だし、毎月の生活さえ厳しい貧乏生活。


「ほら、兄ちゃんが婚約したろ?義姉さんも医者なんだけど、仕事命の人でさ、とりあえず子供を作る気はないって宣言しちゃったんだよな」


 慧の家で会った慧の兄の婚約者は、凄く優しい人だったが、一本芯の通った感じのしっかりした人……というイメージを受けた。


「なんで、母親的には俺の嫁には、家庭的な奴を期待してるみたいなんだわ。まあ、それ以前に、俺の性格に堪えられんのはなかなかいないとかほざきやがったけどな。おまえを逃したら、次はないと思えだとよ」

「そんなことは……」


 確かに、慧に執着するのは、特殊っぽい人ばかりだった気もするけど、自分もその中の一人にカウントされるのかと思うと、複雑な心境になってしまう。


「そのことうちの親には……? 」

「さすがにまだな」


 だよね。聞いたうえであたしをお願いしますじゃ、お嫁にだすみたいになっちゃうし。


 それにしても、自分が知らないうちに、慧の実家では話しが思ってもみなかった方向に進んでいて、麻衣子は戸惑ってしまうというか現実味が湧かない。

 大学もまだ半分以上残っているし、いづれ就活してOLになって……なんて漠然とした未来を考えていた。特にやりたいことも、目指したいものもないから、キャリアウーマンになんかなれるとは思っていない。会社の底辺で雑用とかこなし、その先には結婚して子供を生むという未来もあるだろう。


 ただ、それはもっと先のことだ。

 第一、親達がそういうつもりかもしれないが、根本的に重要なことを忘れていないだろうか?


「あたし……プロポーズされた記憶ないし、受けた記憶もないけど? 」

「おまえ、結婚も考えられないような相手と付き合ったりするんか? 」

「いや、普通この年じゃ考えないでしょ? 第一、慧君は結婚したいわけ? 」


 慧は、深く考え込み、おかわりのビールを飲み干すと、小さく「別に」とつぶやいた。


「いやさ、実感がないっつうか、まだいいよなって思う。でも、この前いったん別れてみて、かなりしんどかったっていうか、まじで睡眠不足になった」

「寝れなかったの? 」


 そこまで、悩んでくれたのか?! と、嬉しくて頬が緩んでしまう。


「おまえとのHは、いい具合に催眠効果があるからな」


 麻衣子の笑顔がビキッと氷つく。


「じゃあ……セフレ復活すれば良かったじゃん。東京に出てきてた同級生の子とかいたでしょ」


 慧は、うーんと真剣に考えた。ビールを飲み、眉の間に一本の皺ができる。


「……他の奴となら、一人でやっても変わんないっつうか、おまえがいいんだよ。」


 これはこれで告白なのかな?

 微妙にムカつくけど。


 麻衣子は、呆れた顔で焼き鳥を頬張ると、こういう人を好きになったんだからしょうがないかと、諦めることにした。

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