第82話 帰郷

 今年のTSCの合宿は、事件も起こらず楽しく過ぎ去った。

 去年は海だったので、今年は高原のテニス合宿に参加した。川遊びや、BBQ、キャンプファイアなどを楽しみ、もちろん、テニスもちょこっとした。


「まいちゃん、もうすぐつくよ」


 麻衣子は肩を揺さぶられて、口の端を慌てて拭った。ヨダレが手の甲につき、麻衣子は恥ずかしくて真っ赤になる。

 常に寝不足の麻衣子は、佑の友達の車に乗った途端爆睡し、トイレ休憩なども起きることなかった。

 最初に挨拶をしただけだから、どんな子達なのかもわからない。


「ごめん、爆睡しちゃって。運転大変だったでしょう? 」


 佑の友達は一人で四時間近く運転してくれたわけで、申し訳ない気持ちになる。


「大丈夫ですよ。運転好きなんで」

隆生たかおは車部だから、気にしなくていいよ。一日中だって車乗ってるもんな」

「まあね。」


 車は高速から下り、しばらく走ると見知った風景が広がり出した。


「隆生、この辺りでいいよ。まいちゃんちすぐそこだよね? 」

「うん。あ、高速代払うね。」

「じゃあ二千円づつで」


 麻衣子はお財布からお金を出すと、お金を隆生に渡した。


「じゃあ麻衣子さん、大学で」

「うん、ありがとね。三咲みさきちゃんも、またね」


 車を下りると、助手席に座っていた三咲が窓を開けて手を振ってきた。麻衣子達も手を振り返し、車が走り去るのを見送る。


「それにしても、まいちゃん荷物少ないね」

「実家にあるから」


 一応、ジーンズにTシャツと、ラフなかっこうをしてきたが、家では高校までの洋服をきておいた方が無難だろうと、洋服類はいっさい持ってきていない。必要なのは下着と化粧品くらいなので、ショルダーバッグくらいで十分だった。


「じゃ、うちこっちだから」


 佑に手を振って別れようとすると、佑が麻衣子の腕をつかんだ。


「まいちゃん、16日に帰るんだよね? 」

「うん、バイトあるから」

「じゃあさ、明日かあさって会えるかな? 」


 佑は、慧がいないうちに、麻衣子とデートがしたいなどと目論んでいた。

 麻衣子的には、こっちでしか会えない友達と会いたいと思っていたから返事を濁す。


「ほら、姉ちゃんも会いたいって言ってるし」

「ああ、あかり? わかった、あかりにあたしのスマホ教えといて。で、連絡ちょうだいって伝えて。じゃあ佑君、また大学でね」


 麻衣子は、あかりと会うだけだと思い、佑のことはサラッと流す。

 何か言いかけた佑に気づかず、麻衣子は母親の住むアパートに足を向けた。


 両親が離婚してから住んでいるアパートは、以前麻衣子が住んでいたアパートと同じくらい、昭和っぽい雰囲気漂うたたずまいで、たった一年ちょいだが、懐かしさに胃がギュッとなる。

 いい意味でも、悪い意味でも……。


 外階段をカンカン音をさせて上り、部屋の前で立ち止まって、バックの中の鍵を探す。

 鍵をさそうとした時、ドアがガチャリと開いた。


「お帰り」

「ただいま」


 母親の麻希子まきこが、ジャージ姿のまま立っていた。

 ジャージに素っぴん、髪はボサボサ、女子力0だ。パートに行く時も、眉毛を書き口紅をつけるくらいだし、髪は一つに縛るだけ。まだ四十半ばだというのに、独り身ですでに女を捨てたように見えた。


「ああ……、やっぱり汚部屋になってる。」

「しょうがないじゃない、麻衣子がいないんだから」

「はいはい」


 麻衣子は部屋に入りバッグを置くと、髪を一つに結んで掃除を開始した。


「あんた、痩せた? 」


 掃除を手伝うでもなく、麻衣子の後ろ姿を見ていた麻希子は、眉を寄せて言う。

 家賃代にも足りないくらいの仕送りしかしてやれてないし、きちんと食事がとれているか心配していたのだ。


「体重は変わってないよ」


 実際、体重の増減はなかった。慧が毎晩数回SEXするものだから、毎日運動しているようなもので、無駄な脂肪は落ち、マラソン選手のような細い筋肉が麻衣子の身体を引き締めていた。


「そう? ならいいんだけど……。あんた、独り暮らし始めて、ハメ外してないでしょうね?」

「やだなあ、何も変わらないよ」

「だってあんた、髪の毛染めて、化粧までして……」

「これくらい普通だって。大学生になって、化粧してない子いないよ」


 入学当時の金髪に近い茶髪よりは、かなり落ち着いた色に戻していたのだが、麻希子にしたら茶色過ぎると思ったらしい。

 化粧だって、超ナチュラルメイクにして、ヌーディーなカラーしか使っていないのに。


「あんまり派手にして、変な男に目をつけられたらことだよ」


 変な男……ね。

 母さんからしたら、慧君はどう見えるのかな?

 見た目だけはザ・真面目だけど、喋ったら悪い印象を持つかもしれない。


「大丈夫だから。それより母さん、料理してないでしょ? ダメよ、ちゃんとしなきゃ」

「あら、一人分作ると割高なんだもの。お弁当の方が安上がりよ」

「お弁当は味が濃すぎだから。食材とか小分けにして、冷凍して使えば無駄にならないから。野菜だって、冷凍できるのよ」

「やあよ、めんどくさい」


 麻希子はやる気0で、片付いたテーブルに突っ伏した。

 小学校に入るまでは、麻希子が家事をしていたのだから、できないことはないのだろうが、小学校中学年に上がったくらいから、麻希子は家事を麻衣子に丸投げしていた。


 まだ再婚だって可能だろうに、これでは相手が見つかる気がしない。麻希子本人も、再婚なんて考えていないから、枯れた見た目を治そうとしないのだろうが。


「麻衣子、まさか彼氏なんかできてないわよね? 」

「えっ? 」


 片付けをしていた手が一瞬止まる。


「い……いるわけないじゃん」

「そうよね。男に惑わされないって約束で東京に行くこと許したんだもんね」


 麻衣子はそんな話し、すっかり忘れていた。

 というか、記憶にすらなかった。とにかく東京に出たくて、母親から離れてお洒落がしたくて、適当に母親の言うことにうなづいていただけだったから。


「男なんてね、平気で浮気はするし、そのためには嘘だっていっぱいつくの。母さんみたいな苦労、あんたにしてほしくないよ。あんたには、母さんがいい男見つけてあげるからね。フフ、数人候補はいるんだ。まあ、あんたが大学卒業したらの話しだけど」


 まさか、すでに彼氏がいて、しかも浮気され済みなんて言えない。


「母さん、彼氏は自分で見つけるから」


 麻衣子は軽めに言ってみた。

 麻希子は、子供は自分の一部と思っているふしがあり、子供は自分の思い通りになるものだと考えていた。反抗したからといって、暴力に訴えるというわけではないのだが、泣いたり拗ねたり、本当に面倒くさくなるのだ。


「ダメダメ! あんたにまだ人を見る目なんてないわよ」


 確かに、初彼氏がああだから、見る目は全くないと言って間違いないのだろうが、だからって結婚相手まで親に見つけてもらうのは違う気がする。

 洋服とかなら、母親の買ってきた物を着るのはしょうがないが、彼氏や旦那は勘弁してほしい。


「とにかく、そういうのは自分でなんとかするから」

「あんたは、あたしに似てるから心配なんだよ」

「似てないでしょ? 」


 目は似ているとは思うが、性格は正反対というか、麻希子みたいにズボラではないし、どちらかというとやってあげたいタイプというか、世話やきな方だと思う。


「あたしだって、昔はあれやこれやつくすタイプだったんだよ。掃除に洗濯に料理、あたしがやってあげなきゃって。今はその反動でやる気が起こらないだけで、できないわけじゃないんだ」


 ずいぶん長い反動だな。

 確か、結婚期間五年くらいだったはずで、交際期間半年であたしができたって聞いたから、五年半から六年の反動が十五年近く続いているってわけか。


 麻希子の機嫌が悪くなるだろうから、麻衣子は思ったことは口にせず、そうなんだ……と、相づちを打ちながら手を動かしていく。


「どうも、ダメな男に惚れる癖があってね……。あんたの父親は、仕事はきちんとやるし、金遣いも酷くはなかったんだけど、……女癖が最悪だったんだよ。浮気は数え切れないくらいだし、今で言うセフレって奴が、ウジャウジャいてね。あたしが妊娠したからあたしと結婚したんだろうけど、結婚してもそういうのは変わらなかったよ」


 ああ……、なるほど、好きになるタイプがかぶってるかもしれない。

 たまたま慧君が、セフレがいるタイプだっただけで、そういう軽いタイプの男が好きというわけではない……、ないと思いたい。


「子供できたら変わるはずだって思ったし、あたしと結婚したんだからあたしを選んでくれたんだって思ったんだけど……、甘かったね。あの女癖さえなければねえ」

「そう……」


 若干未練のようなものが見え隠れしているのは気のせいだろうか?

 今まで「男なんて! 」と言われて育ってきたし、それは父親との経験からきていると思っていたが。

 それでも、学費は払ってくれているのだから、悪い父親ではないのだろう。離婚してから一度も会ったことがなかったから、父親の記憶もあやふやなのであるが。


「いい男ではあったね。あんたの鼻と口、そっくりだよ。あと、スタイルも。あの人も足が長くてスタイル良かったから」

「目は母さんだもんね。だから、よく母親似だって言われる」

「だね。あたしの一重ついじゃったね。あの人に似たら、バッチリ二重だったんだけど。そうだ、写真あったな……」


 麻希子は押し入れをあさり、せっかく片付けた部屋をまたちらかす。

 押し入れの奥から封筒を取り出すと、麻衣子の方へ放った。

 中には写真が一枚と、住所と電話番号の書いた紙が入っていた。


「これ? 」

「いい男だろ? 」


 今まで、あえて父親のことを麻希子に尋ねることはなかった。小さい時のアルバムにも、父親の写真がなかったから、聞いたらいけないんだろうとすら思っていたのだ。


 写真の中の父親は、満面の笑みを浮かべて小さな麻衣子を抱っこしていた。確かに、いい男だ。

 写真を見ると、なんとなくこんな顔だったかもしれないと思い出される。


「住所、中に紙が入ってるでしょ? 東京だから、会いたきゃ行ってみるといい。一応、学費も出してくれてるしね」


 いきなり会ってみれば? と言われても、会いたいという気持ちよりも困惑の方が強かった。

 写真を封筒に戻し、バッグの内ポケットにしまう。


 会うかどうかは、ゆっくり考えてからにしよう。


 今は、この汚部屋を何とか見れるようにし、夕飯の買い出しに行かなくてはならない。

 麻衣子はパワーアップして、片付けに専念した。

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