第81話 お迎え
平穏な日々が過ぎ、気がつくと梅雨もあけて日差しもきつくなってきていた。
清華はすっかり慧に執着することはなくなり、理沙とたまにメールでやりとりをしているみたいだが、大学にくることもなく、すっかり慧の浮気は過去のことになりつつある。
麻衣子は相変わらずバイト三昧で、佑もすっかりバイトになれ、佑目当ての女子が居酒屋政に訪れるようになっていた。佑は、しょっちゅうメアドやラインなどを聞かれていたが、うまい具合に切り抜け、下手なホストよりも女の子達を楽しませ、ご機嫌な酒を提供していた。
「まいちゃん、お盆休みは実家に帰るの? 姉ちゃんに、まいちゃんのこと話したら、久しぶりに会いたいって言ってたよ」
「う~ん。新幹線代もバカにならないからな」
バイト終わり、二人で賄いを食べながら話していた。
今日の賄いは唐揚げ定食で、麻衣子は唐揚げを半分佑の皿にのせる。
政の定食は量も多く、麻衣子はいつも少なめによそってもらっていたのだが、それでも多くて、佑が来てから半分は佑に食べてもらっていた。
「確かにね。あのさ、行きだけなんだけど、同級生が車で帰るから同乗させてもらうんだ。偶然、隣り町の奴らがいて、一人が車持ってるから。高速代割り勘だけでいいって言ってて、まいちゃんも一緒してくれれば、四人で割れるから格安なんだけどな。だいたい二千円くらいかな」
「安いね」
「でしょ? 高速バスでも、平日で同じくらいだけど、盆とか土日だと倍かかるし」
「だね」
「帰りは平日に高速バスでもいいかなって。うまく合えば、帰りも便乗できるかもだし。どう? 一緒に帰らない? 一人は女の子だし、まいちゃんも話しやすいんじゃないかな」
魅力的な話しではある。
母親一人だし、なるべく帰ってあげたい。
でも、長期休暇は稼ぎ時だ。一日働けば、八千~一万円は稼げる。
「ちょっと考えてもいい? 」
「いいよ。まだ一ヶ月弱あるしね。一応、八月十三日に帰る予定だから。合宿くらいまでに決めてもらえればいいよ」
「わかった」
麻衣子は賄いを食べ終わり、駅まで佑と一緒に行く。
反対側のホームで、先に電車が来たのは上りの麻衣子の方だった。
電車に乗り込み小さく手を振ると、佑はホームからブンブン手を振ってくる。
あの笑顔は小学生の時のままだ。
なんとなくだが、最近佑が麻衣子のことを異性として意識しているんじゃないか……と、思わないではない。
ただ、どうしても昔のイメージが抜けず、回りが佑の気持ちに気がついている1/10も分かっていないかもしれない。
そのせいか、慧は麻衣子と佑を見ているとイライラしてしまう。佑は弟キャラを演じていて、ガツガツ麻衣子にせまってきているわけじゃないから文句を言うこともできず、けれどスキンシップが多めだからムカッとするのだ。
すでに通いなれたホームに下り、麻衣子はスマホに目をやる。
明日は講義が昼からだから、バイトをギリギリまで入れていた。すでに日にちをまたいでいる。
ホームには、泥酔したサラリーマンが一人、ベンチに腰かけ舟を漕いでいた。
下り電車がやってきて、酔っぱらったサラリーマンを吐き出して、また走って行く。
「お姉さん、可愛いね。おじさんと飲みなおさない? 」
麻衣子は、頭を少しだけ下げ、声をかけてきたサラリーマンと会話することなく、足早に改札を目指す。
「君、君だよ。ほら、おじさんがおごってあげるから行こうよ」
しつこく肩を叩かれたが、麻衣子はあえて無視して歩く。
「麻衣子」
改札を見ると、何故か慧がコンビニ袋をぶら下げて立っていた。逆の手では煙草が薄い煙りをあげており、見るとフィルター近くまで短くなっている。
麻衣子は、サラリーマンの手を振りきるように、改札を出て慧の元に走った。
「どうしたの? 」
「別に、買い物」
コンビニのビニール袋には、スナック菓子が一つ入っていた。
さっきのサラリーマンが、舌打ちしながら麻衣子達の横を通りすぎて行く。
慧はジロッとサラリーマンを睨み付けると、煙草を下水溝に投げ捨てて、珍しく麻衣子の肩を抱いて歩きだした。
「迎えに……きてくれたの? 」
「買い物のついで」
慧は、蚊に刺されたのか、頬をボリボリ掻きながら言う。
冷蔵庫に、麻衣子のバイトのシフト表が貼ってあるから、麻衣子の帰ってくるおおよその時間はわかるはずだ。
コンビニに行くだけなら、駅まではこないだろうし、煙草だってあんなに短くなるまで吸わないだろう。
「ついでだからな」
ブスッとしてそっぽを向いているが、耳だけが赤くなっている。
それを見て、麻衣子の中に慧が好きだなァという感情が湧き上がってくる。
「お盆休みだけどさ、実家に帰ろうかと思ってるんだけど……」
「ふーん」
「佑君の友達がね、車で帰るらしいんだけど、便乗させてくれるって言うの。バスよりも安いし、いいかなって? どう思う? 」
「ふーん。三人? 」
「あたし入れたら四人になるみたい。一人は女の子って聞いたよ」
男三人とじゃないのはいいが、佑がいる自体で問題だよなと、慧は口には出さずに思った。
「まだバイトのシフトでてないから調整できるし、短期のバイトもまだ入れてないから」
「うちの親、今回も麻衣子がくるもんだと思ってるぞ」
「だよね。あたしにもそんなラインきた。一応、まだわからないって返したけど」
「俺は返してない」
だろうね。
麻衣子は苦笑する。
いつも、慧と連絡がとれないと、不満タラタラなメールが届く。急用とかは、麻衣子を通して連絡がくるくらいだ。
すでに嫁扱いというか、ありがたいことに娘のように接してくれている。
なので、慧の母親のとこにも顔を出したいのだが、やはり実の母親の顔も見たい。今まで家事などは麻衣子がやっていたので、きちんと掃除したり料理したりしているのか不安もある。
「俺も行こっかな……」
麻衣子はギョッとして慧を二度見した。
「うちに? 」
「そう」
「無理無理無理! 」
慧はマンションにつき、鍵を開けながら、不機嫌そのものの顔で麻衣子を睨む。
「何でだよ?! 」
「当たり前でしょ! うちはそこまでさばけてないから。今まで彼氏なんか会わせたことないし、(いたこともないけど)連れて帰ったら逆に心配するわ」
「俺が会ったら心配すんのかよ」
麻衣子は大きくうなずいた。
第一、ぶっきらぼうな慧が礼儀正しく挨拶できるとは思えないし、余計なことを言わないとも限らない。
「とにかくダメ! 」
麻衣子は両親の離婚から、母一人子一人で育ってきた。そんなこともあってか、母親だけだから……と言われないように、躾などはかなり厳しく育てられた。
そのせいで、昭和初期の女学生のような地味でダサめな高校生活を送っていたわけである。
決して母親が嫌いということはないのだが、大学は母親から離れて地味を払拭したかったのだ。
そんな母親だから、恋愛自体にも難色を示すだろうし、同棲してるなんてバレた日には、大学を辞めろとさえ言い出すかもしれない。
「とにかく、うちの親は慧君ちのお母さんと違って、あまり恋愛とかにおおらかじゃないの。自分の目が届かないところで、彼氏なんか作ったなんて知ったら、心配してこっちに出てきちゃうかもしれない」
「過保護だな」
部屋に入ると、麻衣子は自分の洋服の入ったタンスの中から、薄いアルバムを一冊引っ張り出した。
「これ……」
麻衣子が絶対に見せたくなかった、大学の知り合いに知られたくない麻衣子の中高時代の写真が入っていた。
「誰? これ」
慧はパラパラとアルバムをめくりながら、写真に写っている女の子を指差す。
前髪パッツン、オンザ眉毛で、モサッとした黒髪をきっちり三つ編みにし、セーラー服のスカートは膝丈十センチ下、化粧っけはいっさいない、うつ向きかげんの麻衣子が写っていた。
「あたしがあたし以外の写真持ってるわけないでしょ」
「そりゃ、まあそうだな」
麻衣子の素っぴんは見てるわけだし、整形したわけではないのだから、他人に見えるわけないはずだが、あまりにダサ過ぎて、今の麻衣子の面影がいっさいない。
髪の毛と洋服を隠してみると、確かに麻衣子の顔だ。しかし、表情もオドオドしてるというか、陰鬱な感じがして、他人だと言われた方が納得がいく。
「こういうのを強制する親なわけ。地味に清楚に、露出は少なく、身体のラインは隠しなさいって言われて、そんな服しか買ってもらえなかったの。化粧なんて、男に媚びてるって、リップも色なししかダメだったし」
「その反動があれか? 」
大学入学当時の、派手派手メイクとミニスカのことだろう。
麻衣子は、ため息まじりの笑みを浮かべた。
今から思い返しても、かなり頑張り過ぎてたし、水商売かってくらい露出過多だったと思う。
「極端に走ったんだね……。母親、離婚してるからさ、男に騙されるなって、口うるさく言われてた。だから、慧君連れて帰ったりしたら、卒倒しちゃうよ。慧君だからじゃないよ、男の人一般がダメなんだよ」
そんなんじゃ、学生結婚やデキ婚なんて問題外だろう。
「なるほどね、わかった」
麻衣子はホッとしてアルバムを元の場所にしまった。
黒歴史を披露したかいがあったというものだ。
だから? とか言われて、家についてこられたら、それこそ東京には戻ってこれないかもしれないから。
もしこの時、慧の考えていることを麻衣子が知っていたら……。
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