第72話 矢野の結婚報告

「これでよし……」


 慧は、DOCOMOショップでスマホの電話番号を変えた。

 一度解約して、新しく契約しようかとも思ったが、まだスマホを新しくしてから一年たっていなかったため、麻衣子にもったいないと反対されたのだ。


 メールアドレスもラインIDも新しいものに変えた。

 これで清華からの連絡はもうこないだろうし、その他のセフレからの連絡もこなくなるだろう。


 慧は、自分の貞操観念に全くもって自信を持っていなかったため、清華をブロックするためというより、余計な色欲に惑わされないようにという、慧なりのケジメであった。これからいつ以前関係があったセフレから連絡がこないとも限らないからだ。


 ショップで手続きをしている途中、麻衣子はバイト時間が近くなったため、慧を置いて居酒屋政に行ってしまった。

 慧は、新しい電話番号やラインIDを麻衣子にメールで知らせる。

 知らせるのはこれだけでもいいかと思ったが、少なくとも親や地元の友達、大学関係には知らせないといけない。


 面倒くせーッ!


 一斉送信してやろうかとも思ったが、最近は個人情報だなんだと、口うるさく言う奴もいる。

 一斉送信してもアドレスがばれないやり方はあるが、慧がそんなやり方を知っているわけもなく、わざわざやり方を調べるのも面倒だった。


 慧はスマホを手に、とりあえず居酒屋政に足を向かう。

 政は食事も美味しいし、毎日定食のメニューが違うから、毎日食事にくる独り者のサラリーマンは多かった。

 ある程度通うと、顔馴染みも増えてくる。慧的にはそれがうっとおしいから、麻衣子と付き合ってからは逆に行かないようにしていたくらいだ。


「こんちは」


 政に入ると、中は賑わっており、ちょうど夕飯時だったせいか、満員でカウンターまでいっぱいだった。


「慧君、きたんだ。くるなら席取っといたのに」


 麻衣子がやってきて、こっそりと言ってきた。


「満員だな。しゃあない、駅向こうのファミレスにでも行くか」

「そう? 何、バイト終わるまで待っててくれるの? 」

「ああ、待ってる」


 麻衣子は自分で聞いておいて、逆に慧の返答にびっくりしてしまう。

 前なら絶対待つことはなかったし、麻衣子の予定に合わせるなんてしたことがなかった。

 待っててなんて言おうものなら、うざそうに一瞥され、いつの間にか勝手にマンションに戻り、ゲームなどをしていたものだった。


「本当に待っててくれるの? 」

「ああ」


 思わず聞き返してしまい、慧はダメなのかよ? とばかりに不機嫌そうな表情になる。


「まいちゃん! 」


 店の奥の座敷から麻衣子を呼ぶ声がして、麻衣子はちょっと待っててと奥へ行った。すぐに戻ってくると、席ができたよと慧を奥の座敷に通した。


 座敷は基本四人席だったが、テーブルを移動すれば人数調節できるようになっている。そのうちの一卓が二人がけにわけられていて、慧はそこに通された。


「矢野さんがね、相席いいって言ってくれたの。一応、席分けられるから分けさせてもらったけど」


 矢野って、麻衣子のこと好きだったサラリーマンだよな?


 矢野が真面目そうな人の良い笑顔で、やあと手を上げてきたので、慧はペコッと頭を下げた。

 前に一度会ったのは、麻衣子が矢野をふった時だ。


「もう少ししたら連れがくるんだけど、それまで一緒に飲まない?彼氏君、名前何だっけ? 」

「慧君です。矢野さん、席分けていただいてありがとうございました。早苗さん、土曜日も仕事ですか? 」

「ああ、そうなんだ。 彼女、昇進してから忙しくなっちゃって……」


 彼女?


 慧は矢野の隣りに席を用意され、そこにあぐらをかいた。


「慧君は、あまり政にこないよね? ここで会ったのは初めてだよね。」

「そうですね」


 麻衣子がビールを運んできて、一応乾杯した。

 大学のこととか他愛ない話しをしながら、慧は今更ながらになんで麻衣子は矢野ではなく自分を選んだのか不思議になる。


 矢野は人当たりはいいし、自然な気遣いができるタイプだった。何より誠実そうだ。

 真面目っぽく見える見た目は似ている気もするが、中身は真逆と言っていいかもしれない。


「あ、早苗さん」


 矢野は、店に入ってきた女性に手を上げた。

 スーツ姿の女性は、スレンダーと言えば聞こえはいいが、あまり女性らしい体型ではなかった。スーツで隠れてもなお、薄い身体が目立つ。顔立ちは知的な美人かもしれないが、あまり女性としとの魅力を感じさせない、クールな印象の女性だった。


「矢野君、お待たせ。ごめんね、なかなか会議が終わらなくて……っていうか、社長が遅刻なんかするものだから」

「大丈夫。重役会議にでれるなんて凄いし」

「いや、あれはそんなたいしたもんじゃないのよ」


 早苗は席につくと、とりあえずビールを頼み、疲れたようにため息をついた。


「早苗さん、こちら慧君。まいちゃんの彼氏君なんだ」

「麻衣子さんの? 初めまして」

「慧君、この人は早苗さん。僕の彼女」


 早苗は彼女と紹介されて、恥ずかしそうに頬を染める。クールなイメージが、一変して可愛らしい感じに変わった。

 矢野はそんな早苗を穏やかに見つめ、早苗のために料理を取り分けてやる。


「お昼はちゃんと食べたの? ほら、早苗さんこれ好きでしょ? これも、こっちも」

「矢野君……そんなに食べれないから」


 かいがいしく世話をやく矢野は、見ていて微笑ましいというか、本当に早苗のことを好きなんだとわかる。

 ベタベタイチャイチャしているわけではないのに、その表情や言葉の節々に愛情が溢れていた。


 付き合うって、こんな感じなのか?


 慧と麻衣子とは明らかに違うその雰囲気を、慧はスマホの住所録を整理しながらチラ見していた。


「慧君って、いい子彼女にしたよね」

「はあ……」

「麻衣子さん、明るいし、よく働くし、若いのに気遣いができるし、ぜひうちの社に来てもらいたい人材だわ。」


 矢野は確か、大手中の大手M&Kの社員だった気がする。


「矢野さんと早苗さんは同じ会社ですか? 」

「そう、早苗さんは僕の上司なんだよ」


 女性の上司で恋人……面倒くさそうだ。

 慧はそんな失礼なことを思いながら、なんで矢野がこの女性と付き合ってるんだろうと考える。

 麻衣子がタイプだとしたら、早苗とは違う気がするが……。


 麻衣子のバイトの時間が終わるまで、矢野達と雑談しながら過ごした。


 麻衣子がエプロンを外して合流し、再度乾杯をする。


「そういえば、こうやって早苗さんと飲むの初めてですね」

「そうね、けっこうお邪魔してるから、初めてって気はしないけど。」

「早苗さん、そろそろ控えめに……ね? 」


 矢野が烏龍茶を頼みながら言った。


「あら、これでもかなり強くなったのよ。矢野君と飲むようになって」

「そうかもしれないけど……」

「早苗さん、いつも五杯以上飲みませんよね? 」

「ウフフ、矢野君と初めて二人で飲んだ時に、泥酔しちゃって。それで、あまり飲まないようにしてるの。でも最初は三杯だったから、今は成長したでしょ? 」

「早苗さんは、酔ってても見た目わかりづらいから。泥酔してるなんて思わずに飲んでたんだけど、後で聞いたら全く記憶がなかったんだよ」


 早苗は、ニコニコと笑って聞いているが、すでに六杯目だから、もしかするとすでに記憶がないのかもしれない。


「見た目普通ならいいですよ、こいつなんか、泥酔したら動かなくなるから。運ぶこっちの身にもなれっての」

「あ、そんなこと言って、数回じゃない。完璧泥酔したのは最初の時だけだし」

「じゃあ、介抱してもらって付き合いだした感じ? うちと一緒ね」


 麻衣子はジトッと慧を見る。

 矢野が泥酔した早苗に無理やり手を出すとは思えなかったから、本当に介抱してお付き合いが開始したのだろうが、慧はたんなる送り狼なだけである。


「介抱ねえ……」

「アパートまで運んでやったろ」


 意志疎通なく、麻衣子の初めてを奪ってしまったのだから、なんとなく分が悪い。

 慧は、そっぽをむきながらビールをゴクゴクと飲み干す。


「そうだ、十月の話しになるんだけど、僕ら結婚するんだ。ここで三次会やるつもりなんだけど、まいちゃん達も来てよ。ほら、まいちゃんの友達の多英ちゃんだっけ? 彼女も市島さんとくると思うし」

「結婚?! おめでとうございます!! ぜひ行きます! ね、慧君」

「ああ、はあ……」


 今日初めて話したようなものだし、他人の結婚なんか正直めでたくもなんともなかったが、結婚式の二次会・三次会など未婚者がウジャウジャくるだろうし、合コンみたいなノリにならないとも限らない。

 矢野の友達なら、高確率でレベルが高そうだし、そんな中に麻衣子を一人でいかす訳にはいかなかった。


 麻衣子は早苗と結婚式の話しで盛り上がりだし、いいなあ! を連発していた。

 やはり、麻衣子も人並みには結婚式に憧れがあるらしい。


「ずいぶん早く決めたんすね」

「ああ、まあ早苗さんのが年上だし、結婚も踏まえて付き合ったわけだしね。今、結婚しても、三年後でも変わらないからさ」


 意味は違うが、慧も似たようなことを考えて中出ししようとしたわけだから、わかるわかるとうなづいた。


「子供も早く欲しいしね。はは、でも子供ができたら、僕が産休とらないとかな。早苗さんの方が休めないから」

「いいんすか? それで」

「別に、生涯主夫になるわけじゃないしね。うちの会社は、産休育休の制度はしっかり保障してるから。会社が運営してる保育園や私設の学童があるくらいなんだ」

「凄いっすね」


 さすが大手……というところだろうか?


 保育園や学童と言われても、いまいちピンとこない慧だったが、キャリアウーマン風の早苗が専業主婦になりそうにもないし、そういう場所が必要なんだろう。


 その夜は、清華のことも忘れて、矢野達の結婚祝いと称して終電まで飲んだ。

 当たり前であるが、慧のスマホが鳴ることもなく、このままフェイドアウトするんだろうな……と、慧は楽観的に考えていた。




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