第55話 番外編 その後の矢野と早苗
矢野圭吾二十六歳の彼女は、バリバリのキャリアウーマンで矢野の上司である多田早苗三十一歳。
付き合ってまだ一ヶ月、職場恋愛禁止ではないのだが、やはり同じ職場で直属の上司であるから、職場では付き合っているのは秘密である。
最近の矢野の悩みは、早苗との関係の進め方だ。
手も繋ぐし、肩も抱く、もちろん毎朝毎晩キスをする。
しかし、いまだ最後までしてないのだ。
理由は、簡単。
早苗が処女だからである。
何回かチャレンジした。
その度に痛い無理! と怯えられ、優しい矢野は無理やり最後までできずにいた。
自分が下手すぎるのではないかと、たまに凹むこともあったほどだ。
同じことを、早苗も悩んでいた。
可愛い年下の恋人……、仕事以外は全てにおいて矢野の方がスペックは上だから、私生活では頼りっぱなしだった。一ヶ月ですでに矢野なくしては生活できないほどで、ひたすら甘やかされ、骨抜き状態になっていた。
早苗も心から矢野と一つになりたい、夜くらいはせめて満足させたいと心の底から熱望しているものの、痛みに対する恐怖心を払拭することができずに、一ヶ月が過ぎてしまった。
そんな早苗でも、大丈夫だよと頭を撫でてくれる矢野は、なんていい人なんだろうと、早苗は情けない思いでいっぱいになり、今晩こそ! と力みすぎての失敗の連続であった。
「早苗さん、やっぱり気合いが入りすぎるのがいけないんじゃないかな?別に、絶対やらなきゃいけないってことはないんだよ」
今晩もできなかった矢野は、早苗のことを抱きしめながら、頭をよしよししてくれていた。
矢野が前戯をしても、早苗の緊張からなかなか濡れないし、矢野の舌も臍より下は恥ずかしいからと拒絶され、矢野としても万策尽きる思いだった。
まさか、ゼリー使いましょうなんて、初心者には受け入れられるはずもないだろうし。
「そうなのかしら……。リラックスよね、リラックス」
早苗は、矢野の胸に頭をのせながら、リラックスとぶつぶつ呟いていたかと思うと、起き上がってガウンをまとい、ベッドから下りた。
「すぐ戻るわ。ちょっと待ってて」
早苗はシャワーでも浴びにいったのか、十分以上戻ってこなかった。
矢野は、トロトロと眠くなりながら、言われるままに早苗を待っていた。
「お待たせ! 」
なぜか上機嫌の早苗が戻ってきて、矢野の隣りに滑り込んでくる。
フワリと漂うアルコール臭。
「早苗さん……飲んできたの? 」
「リラックスしようと思って。ウフフ、これならできそうよ。」
目はトロンとし、桜色に上気した肌は色気があった。
かといって、はいやりましょう!とはなれない矢野である。
第一、酒の力を借りないとてできないなんて恥ずかしいし、早苗の様子からも、記憶をなくす酒量を飲んでいるんじゃなかろうか?
「何杯飲んできたの?」
「あら、一杯よ。ストレートで一杯」
「ストレートって……。もしかして僕の焼酎? 」
早苗はひたすらウフフ……と笑っている。
「そんな無茶して! もう、水、水飲まないと」
矢野は素っ裸のままキッチンへ行き、ミネラルウォーターを持ってくる。
「ほら飲んで。もう、そんな飲んだら、また記憶なくすだろ。早苗さんの大切な初体験だろ? 記憶なくしてどうすんだよ」
「だって、だって……。痛いのは最初だけだって聞いたし、それさえ乗り切れば、矢野君とちゃんとできるようになると思ったんだもん」
「だからってね、起きたら記憶がなくなるだけで、今はやれば痛いんだよ。それがなくなるわけじゃないんだから」
「なら、睡眠薬! 眠っていればいいんじゃない? 」
早苗は名案だとばかりに手を叩き、矢野は大きなため息をつく。
「犯罪の臭いしかしないよ。第一、眠っている早苗さんを抱いたって、しょうがないじゃないか。何が面白いんだよ? 」
「一回だけ我慢してもらえないかしら? 」
早苗の様子は、かなりマジである。
「駄目! 」
早苗の瞳にジワーッと涙が浮かんできて、矢野は慌てて早苗を抱きしめて頭を撫でる。
「大きな声だしてごめんね。早苗さんが、僕のために必死で頑張ろうとしてくれていることは、すっごく嬉しいよ。でも、酒や薬に頼るのは違うと思うんだ」
「……うん」
「SEXをしようと思うから駄目なんで、とにかくくっついてイチャイチャしよう。その延長線上でできればいいし、できなくても僕は早苗さんと抱き合ってるだけでも幸せだよ」
早苗の涙が止まらなくなり、矢野はずっと頭を撫でていた。
いつしか早苗の規則正しい寝息が聞こえだし、矢野は頭を撫でる手を止める。
まだ付き合って一ヶ月。
いずれできる日もあるさ。
早苗の体温を感じながら、矢野も目を閉じた。
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