第51話 番外編 その後の矢野 4
「あの、ちょっと曖昧な( 記憶にない )んだけど、矢野君がうちに泊まったのは……( まさか、私が押し倒したりなんかしてないよね? )」
やっと、矢野が泊まった理由について話しをもっていけた早苗は、全然どうでもいいんだけど……みたいな表情で、会社での上司然を崩さない。
「ああ、すみません。僕も帰ろうとは思っていたんですが、多田さんが酔いつぶれてしまったんで、帰れなくなっちゃって。鍵を開けたまま帰れないから」
「ああ、そうよね。それは正しい選択だわ。でも、そうするとあなたはどこで寝たの? 」
早苗の家にはベッドはソファーベッドしかないし、布団もおいていない。冬用の掛け布団はしまってあるが、その場所がわかるとも思えない。
「ちょっと床で仮眠を……」
「床? 」
床はフローリングだ。しかも、あまり掃除してない。
「やだ! ごめんなさい。痛かったでしょう? 」
「いえ、クッションをお借りしたので」
「ああ、もう。私、お酒弱くて……。だから、なるべく飲まないようにしてたんだけど」
「弱い? けっこう飲んでましたよ」
早苗の記憶にはないが、ビール二杯、鍛高単水割り一杯、黒霧島の水割りを五杯、シャンパンをマグカップで一杯、ワインを二杯……を飲んでいたのを、矢野は記憶していた。
それだけ飲める人は、お酒が弱いとは言わないのではないだろうか? ……と、矢野は首を傾げる。
「ほんと、酔っぱらって寝てしまうなんて……。矢野君の彼女にも申し訳ないわね」
「は? 」
ひたすら恥じ入っている早苗を、矢野はポカンと見つめる。
昨日相談にのりたいと、矢野の失恋話しを無理やり聞き出したことを、すっかり忘れている様子だ。
「多田さん、……昨日のこと覚えてないですか? 」
「そ……そんなわけあるわけないじゃない」
「じゃあ、そんなこと言わないでくださいよ」
少し沈んだような矢野の瞳の色に、早苗はドキッとしてしまう。
そして妄想モードに突入する。
矢野君の悩みって、恋愛に対するものだったのかしら?
まさか、私に片想いしてて、それを告白されたとか?
そんな、まさか!
だから、家にきたの?
私もその告白を受け入れたってこと?
私達は恋人!?
でも、五つも年下だし、部下だし、そんな馬鹿な!
早苗は、矢野に熱烈な告白を受け、強引にキスされる様子を想像して、一人赤くなり顔を扇いだ。
冷静に考えれば、恋人同士になったいい年齢のカップルが、そんな熱烈なキスをした後に、布団が一組しかない中、片方が床に寝るなんて事態にはなり得ないだろう。しかし、早苗の恋愛経験は高校の時に三ヶ月付き合っただけで終了しており、まさかの三十一歳にして未経験……であったから、恋愛に対してかなりウブな一面があるのは仕方がないだろう。
「あ……あなたの気持ちはわかってるけど」
「諦めてますから、大丈夫ですよ」
エッ?
私、ふったの?
「そんな簡単に諦めるって……」
矢野は優しく微笑む。
「だって、好きな子の負担にはなりたくないし」
「負担って……。好かれることが負担になるわけないじゃない」
「そうだといいんですけど……」
寂しそうな矢野を見ると、胸がギュッとしてしまい、つい肩を掴んで詰め寄ってしまう。
「負担じゃないから! 」
顔までの距離が10センチくらいになり、呼吸がわかる程近づき……。
どちらから目をつぶったか、唇を寄せたかわからなかった。
最初は触れるだけのキス、早苗の腕が恐る恐る矢野の首に回され、矢野の腕も自然と早苗の腰を抱き寄せた。
唇をついばみ、舌が遠慮気味に入ってきた。
早苗は、知識としてはあったが、実際に触れるだけのキス以上のことは初めてだった。
頭の芯がボーッとなり、身体の力が抜け、矢野に身体を委ねる。
どれくらいそうしていたかわからない。
「帰ります! 」
いきなり矢野が早苗を押しやり、立ち上がった。
「エッ? 」
「すみませんでした! 」
矢野は、テーブルに置いてあった自分のスマホと財布をズボンのポケットに押し込むと、バタバタと部屋を出ていく。
残された早苗は、ただ唖然として矢野が出ていったドアを見つめてしまう。
今、キスしちゃった?!
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