第49話 番外編 その後の矢野 2

「とりあえず、乾杯」


 駅前の鳥越は、いわゆる普通の焼き鳥屋である。ただ、焼酎の種類が豊富で、焼酎好きには堪らない店で、ツウなサラリーマン達がたむろっていた。


 ここがお薦めということは、早苗はイケる口っとことかな?


 グループ飲みの時も、そんなに飲んでいるイメージはなかったが。最初の乾杯以外は、烏龍茶を頼んでいたように思っていたが、烏龍ハイだったのかもしれない。


 生ビールを二杯飲み、焼酎のロックでも飲もうかと、メニューを手に取った。


「多田さん、次焼酎とかどうです? 芋、麦、米、黒糖……紫蘇もいいですよね」

「お薦めはどれ? 」

「芋は癖がありますね。飲みやすいのは麦や米ですけど、女性には紫蘇焼酎も人気です」

「じゃあ、私は紫蘇焼酎で」


 矢野は赤霧島のロック、早苗には鍛高単の水割りを頼んだ。


「意外です、多田さん焼酎好きなんですね」

「なんで? 」

「だって、この店を薦めるってことは、そうなんじゃないんですか? 」


 早苗は、舐めるようにちびりちびりと飲んでいたが、いつもの姿勢のいい早苗は消え、カウンターに肘をつき、背筋も丸まっている。

 顔は真っ赤で、なにやらニマニマ笑っていた。


 もしかして、酔ってる?


 いつものキリリとした早苗からは信じられないくらいしまりのない表情で、矢野の背中をバシバシ叩いた。


「矢野君! あなた、何か悩みがあるんじゃない? 」

「悩み……ですか? 」

「そう! 私じゃ話せない? 相談できないかなあ? そんなに頼りない上司なの? 」


 ニマニマ笑っていたと思ったら、今度はいきなり涙をジワッと浮かべる。


「頼って欲しいのよ! いつ相談してくれるんだろうって、ずっと待ってたんだから! 」

「いや、仕事関係のことじゃないので……。あの、異性関係のことで……」

「なに? 私はそんなに頼りない? ねえ、私じゃダメ? 相談もできないダメ上司? 」


 完璧な酔っぱらいだ。


 まさか、上司に恋愛相談をしろと迫られるとは思わなかったし、まだ傷が癒えた訳ではなかったから、正直そっとしていて欲しかった。

 矢野は、ロックの芋焼酎をイッキに飲み干すと、お代わりを頼んだ。


「失恋したんです。それだけですから」

「失恋? 矢野君、付き合っている子がいたの? 」

「いえ、付き合う前にふられたんです」

「まあ……」


 早苗の目に痛ましげな光りが宿り、それがより一層矢野の気持ちをダウンさせる。

 さらに焼酎を煽り、ついにはボトルで頼むことにした。

 早苗も、同じ焼酎を水割りにして飲んだ。


 それから矢野の失恋について根掘り葉掘り聞かれ、ボトルの八割がた飲んだとき、お互いの年齢に話しが及んだ。


「矢野君は……、三十いってないわよね? 」

「まあ、三十くらいに見えると、フラれた子には言われましたけどね、二十六になったばかりです」

「なったばかり? 誕生日いつ?

「九月三日です」

「やだ、昨日じゃない! 」

「まあ、そうですね。この年になると、嬉しいものでもありませんけど」

「何言ってるの! 三十前のくせに生意気よ! 三十になってごらんなさい! あの失望感ったら……」

「はあ……」


 女性と男性の違いかもしれない。いや、まだ身近に三十路を感じてないだけかもしれないが、早苗の言う失望感は想像しにくかった。


「多田さんは、いく……」


 思わず年を聞きそうになり、慌てて口を閉じる。セクハラで訴えられたくはない。


「ああ? 年? 三十一よ。もう、三十路から一年も過ぎたわよ」


 早苗は、グチグチと言いながら、テーブルの上にたれた水を、指でクルクルかき回す。


「多田さんでも、年齢気にするんですか? 」

「あったりまえじゃない! 親戚に会えば、結婚は? 彼氏はいないの? 子供生むなら早く決めないと……って、嫌になるくらい言われてるんだから! その度に、もう三十越えたでしょとか、うるさいってのよ! 」

「まあ、親戚ってのは、無神経な生き物ですからね」

「そうよね! 」


 早苗は矢野の方へ身を乗り出して、矢野の肩を掴んだ。

 そのあまりの顔の近さに、思わず矢野はのけぞってしまう。


「矢野君、よくわかってるじゃない! そうなのよ。あなたのためよみたいな顔して、無神経に人の傷をえぐるの! いい人紹介するわって、禿げでデブで使えなさそうな四十近いオヤジ連れてきたり。その年まで一人のいい人なんかいないのよ。そんなこともわかんないの? イケてる男だと思ったら、中学生の子供がいるとか!

ほんと、大きなお世話だっての!


 いっきにまくしたてた早苗は、肩で息をしてゼーゼー言っている。

 なんか矢野の話しを聞くと言っていたが、いつの間にか早苗のストレス発散になっていた。


「はあ、すっきりした。やだわ、いつの間にか私の愚痴になっちゃったじゃない。そうだ! 誕生日パーティーしましょ」

「パーティー? 」


 早苗はさっさとお会計をすまし、矢野の腕を引っ張って店を出る。駅のコージーコーナーでホールのケーキを買い、二十四時間オープンのスーパーでシャンパンやらワイン、オツマミ等を購入し、そのまま駅前の高層マンションに入って行く。


「あの、多田さん。ここは? 」

「いいから、いいから」


 エレベーターに乗り、二十五階で降りた。高層階になると一階の戸数が減って、たった五部屋しかなくなる。そのうちの一室のドアの鍵を早苗が開けた。


「入って、入って~」


 中は、なんていうか、必要最小限のものしかないというか、この広い部屋の意味は? と、聞きたくなるくらい物がない部屋だった。何部屋あるのか知らないが、たぶん生活しているのはリビングダイニングだけなんじゃないだろうか? ソファーベッドはベッドの状態で固定されており、枕やタオルケットが散乱していた。

 いつもキチンキチンとしている早苗からは想像し難い部屋……かもしれない。


 物がないから、まだマシに見えるが、片付けられない女……ってやつか?


 早苗のデスクはいつも綺麗に整理整頓されているだけあり、なかなか信じられない光景だ。

 早苗はテーブルの上にあった荷物をガサッと下に下ろすと、ケーキを置いて蝋燭を差した。


「……ハッピバースデー、トゥユー! おめでとう矢野君! ほら、火を消して」


 蝋燭に火をつけた途端、お誕生日おめでとうの歌を歌いだした早苗は、手をパチパチ叩いて矢野に火を消すように促す。

 矢野は火を消し、蝋燭を引き抜いた。


「台所借りていいですか? 切ってきますよ」

「切る? 包丁ないわよ」

「包丁が……ない? 」

「だって、料理しないもの」


 料理しないにしろ、女性の独り暮らしで包丁もないって……。

 あのシステムキッチンはインテリアの一部か?


「こういうのはね、フォークでザクッとね。矢野君はシャンパン開けて」


 早苗はケーキをフォークで大胆に切り分けると、皿を持ってきて取り分けた。シャンパングラスはないようで、マグカップに注がれた。


「改めまして、乾杯! 矢野君二十六才おめでとう! 」


 なんにせよ、誕生日を祝われたのは十八で家を出て以来だ。

 気恥ずかしいというか、背中がムズムズするような感じがする。


 それから、シャンパンを空にし、ワインを開け、チーズをつまみながら時間が過ぎていった。

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