第45話 居酒屋知恵

「蚊に刺された……」


 麻衣子のスラッと長い足に、数ヶ所赤い膨らみができていた。痒さに眉を寄せながら、刺された場所をペシペシ叩く。

 かきむしりたいところであるが、跡が残るのはイヤだから我慢するしかない。

 黒と白の縞模様のヤブ蚊に刺されたのか、とにかく痒い。

 慧の腕も刺されてはいたが、露出の多い麻衣子の方が被害は大きかった。


「そうだった。夏はヤバいんだった」


 慧はかまわずボリボリ掻きながら、麻衣子の足をチラッと見た。その赤い膨らみを見て、ほんのわずかではあるが、悪かったなと思う。


「次は虫除けが必要だな」

「もう、絶対にイヤよ! 」


 それでも、慧に誘われたらついて行ってしまうのが麻衣子である。


 商店街の薬局でムヒを購入し、店から出てすぐつけた。

 すぐには痒さはひかないが、なんとなく痒みが弱まった気がする。麻衣子は慧の腕にもつけようとした。


「別にいいって」

「痒いくせに」

「しみんだよ! 」


 すでにかきむしっていて、血が滲んでいたところに薬を塗り込んだため、慧は顔をしかめて腕を隠す。

 よほどしみたのか、慧は足早に薬局の前から離れた。その後を追うと、一軒の居酒屋の前で立ち止まった。


 居酒屋知恵。


 貸し切りの札が入り口にかかっており、すでに店の外まで騒がしい声が響いている。

 中に入ると、すでに店内には人が溢れており、席が足りずに立ち飲みスタイルになっていた。

 奥に座敷もあるようだが、そこも満員のようだ。確実にこの店のキャパを越えている。

 カウンターには料理が大皿に盛られて並べられていて、ビュッフェスタイルで勝手に取って食べるらしい。


「凄い人ね」

「だな。なんか、知らねえ奴もいっぱいいるな」


 それならば、麻衣子の存在も問題ないだろうと、ホッとする。明らかに同窓会みたいなノリなら、居場所がないんじゃないかと心配していたが、これなら麻衣子が混じっても違和感がなさそうだ。


「慧、麻衣子ちゃん、らっしゃい! 会費制で前払いな。慧は六千円、麻衣子ちゃんは二千円ね」


 元がカウンターの中から声をかけてきた。

 作務衣をきて、ねじり鉢巻をしめた姿は、チャラそうなイメージを払拭し、活きのよい居酒屋店主って感じだった。


「なんだよ、金額にずいぶん差があるじゃんか」

「ったりめえだろ! 女子はただでもいいくらいなんだよ。そのぶん、男子に上乗せすっけどな」


 慧は、麻衣子のぶんまで合わせて支払った。


「慧君、そのくらい出すから」

「うっせ! 」

「ハハ、おごられときなよ。慧の俺の女アピールなんだから」

「マジでうぜえよ」


 慧の耳が赤くなっており、なるほど元の言うことが正しそうだと、麻衣子は素直におごられることにした。


 店の中は、男子八割、女子二割といったところだろうか? 奥の座敷に中年のおじさんが数人いるのは、高校の時の先生ということだった。女子はその回りにほとんど集まっており、ここだけはザ・同窓会といった感じだ。

 この中に、慧のセフレもいるんだろう。


「慧! 麻衣子ちゃん! 」

 カウンターの端に琢磨と孝介がおり、周りに数人の男子がいた。慧達に気がついて、手をブンブン振っている。

「この子が麻衣子ちゃん? 慧の? マジかよ! 俺も東京の大学に行けば良かった! 」

「おまえが東京の大学に行っても、たいした女はひっかからねえよ」

「うっせ! 」


 どうやら、麻衣子のことはすでに琢磨達が話していたようで、麻衣子が自己紹介するまでもなく、男子達は慧の彼女ネタで盛り上がっていたようだ。


「おまえ、遅いよ! ラインうったんだからな」

「見てねぇ」

「だろうな。麻衣子ちゃん、飲み物はビールでいい? 」

「はい」

「元、ビール! 」

「俺も! 」


 元がカウンターの中からビールのジョッキを二つよこし、琢磨がカウンターの上にあったビールサーバーから勝手にビールを注ぐ。


「ヘタクソ! 泡だらけじゃんか」

「うるせーよ」

「あ、あたしやりますよ」


 ジョッキを一つ受け取り、麻衣子は器用にビールを注いだ。

 琢磨がいれたものとは明らかに違って、泡がきめ細かくていかにも美味しそうに見える。


「みなさんのも、おかわり入れましょうか? 」


 みな、ジョッキをいっせいに麻衣子に差し出す。そりゃ、男がいれたまずそうなビールより、可愛い女子のいれた美味しそうなビールを飲みたいに決まっている。


「こいつ、居酒屋でバイトしてっから、こういうのは上手いんだよ」


 慧の何気ない一言に、男子が慧を小突き回す。慧も笑って応戦する。


「こいつだって! 慧のくせに!

「悔しかったら、おまえらも彼女連れてこいっての」

「やだねぇ、つい最近まで一人の女なんか相手にできっかとか言ってたくせに、いざ彼女ができたら彼女自慢かよ」

「だな! 麻衣子ちゃん、こいつ最低男だかんね! 騙されてるって」


 麻衣子は、大学とも違う慧のくだけた態度に、つい笑みがこぼれた。そのフワリとした笑顔に、男性陣はデレッと目尻を下げる。


「ウワーッ、マジで慧にはもったいないよ。俺、惚れそう! いや、惚れたね。慧と別れたら連絡してよ。これ、俺の番号」

「おまえ、抜け駆け! 俺も、麻衣子ちゃんなら慧のお古でも全然OK」


 ラインIDやらスマホの番号、中には家電つきのものまで、連絡先が麻衣子の手にわらわらと集まってくる。


「おまえら、人の彼女を本気で口説くなよ」


 慧は呆れながら、麻衣子の手からメモの束を奪い取ると、丸めてゴミ箱へ放り投げる。


「彼氏横暴! 」


 ブーイングがおき、慧はわざとらしく麻衣子の肩を抱いた。


「うっせ! 羨ましいだろ! ざまあみろ! 」


 通常の慧なら考えられない行動だ。

 それから慧は、麻衣子をネタにいじられ、慧は反撃しつつたまに自爆していた。

 話しが高校時代のヤンチャ自慢に移ってきた時、麻衣子はカウンターの中で一人てんてこ舞いの元に目を向けた。


「元君、もし良かったら手伝おうか? 」

「えっ? まじで? でも、酒とかわかる? 」

「うん。バイトで作ってるから大丈夫だよ。中に入ってもいい? 」


 麻衣子はカウンターの中に入ると、注文表の通りに酒を作り始めた。


「麻衣子ちゃん、まじ神だよ! したらさ、こっちの注文よろしく」

「了解」


 麻衣子がカウンターに入って、滞っていたお酒の注文が流れ始める。みな、なかなかお酒が出てこないから、自分でビールをついだり、烏龍ハイのように、自分で作れるお酒ばかり飲んでいたが、好きなお酒が頼めるとなると、女子などがカクテル系のお酒のを注文しにくるようになった。


「あなた、元ちゃんの彼女? 」


 女子達も、見知らぬ女子がカウンターでお酒を作り始めたから、てっきり元の関係者だと思って話しかけてくる。


「だったらいいよな! でも違うんだよなあ……。麻衣子ちゃんって言って、慧の彼女なんだ」

「慧……って、松田君? ウッソ? なんかイメージが違う! 」

「慧にはもったいないよな。マジで俺が嫁に欲しいよ! 麻衣子ちゃん、うちに嫁にこない? 一緒に居酒屋知恵をもりたてようぜ」

「おまえ、麻衣子こきつかっといて、口説くんじゃねえよ」

「だってよ、うちにピッタリだと思わね? 看板娘になるって」

「そっちに、ビッグな看板娘がいんだろ」


 慧は、奥で料理を作っていた元の母親を指差した。


「娘ってがらじゃねえな。確かにビッグだけど」

「元! 聞こえてるよ! ほら、料理が上がったから、盛り付けて運びな」

「へえへえ」


 少しの間、一人で酒を作っていると、一人の女の子が前に立った。


「なんにします? 」

「カシスオレンジ。いいかな? 」


 視線を上げると、昨日アルバムで確認した顔が目の前にあった。


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