第32話 彼女宣言

 午後の講義が始まる少し前、学食から戻ってきた慧は、自分の席に置いてあった荷物をまとめだした。


「松田君、帰るの? 」

 美和が親しげに慧がの肩に触れ、チラッと麻衣子の方へ目を向ける。その表情は、何故か勝ち誇ったように見えた。


「いや……」

 最低限の会話をすると、慧は荷物を持って階段を上がりだした。一番後ろの席までくると、麻衣子の隣りに荷物を放り出す。


 美和は、それを見た途端、怒りに目を吊り上げて麻衣子達を睨む。

 教授が教室に入ってきても後ろを見ているものだから、知恵に袖を引かれてやっと前を向いた。

 それでも、背中から怒りのオーラがでているようで、麻衣子は正直前を見るのが怖かった。


 講義が終わり、前の方に座っている真面目な生徒達が教授に質問していた。そんな中、慧といつもつるんでいる佐久間と多田が後ろの席までやってきた。


「おまえ、どこまで図々しいんだよ。徳田さんの隣りに座るとか、なにアピールしてんだよ。ってか、渡辺が怒ってるぞ」

「ハア? 」


 慧は、心底面倒くさそうに二人に視線を投げる。


「あれ、知らないの? この二人付き合ってるよ」


 美香がわざとらしく声を大きくして言うと、二人は一瞬キョトンとし、ナイナイと爆笑しだした。


「三条さん、ジョークきついな。こいつが徳田さんの彼氏つとまるわけないじゃん」

「ホントだって。大学入って、けっこうすぐからだよ。今、同棲もしてるしね」

「同棲?! 」


 佐久間の大きな声に、教室がシーンとする。


「やだ、恥ずかしいからそんな大きな声で言わないで」


 麻衣子が赤くなって照れると、それが男子のツボに入ったのか、生唾を飲み込み、麻衣子にデレッとした視線を向けた。まさにギャップ萌えである。


「いや、でもさ……。おまえまさかの二股? 」

「ハア? さっきからなんだよ?

二股ってなんだよ」

「だから、渡辺とも付き合ってるんだろ? 」

「ハア?! あり得ねえだろ! 」


 麻衣子と美香は目を見合わせた。


「渡辺と付き合ったことは一度もねえし」


 佐久間と多田は、困惑したように美和の方を見ると、少し声を押さえて慧に顔を寄せた。


「渡辺、少し前から松田に告られたとか、色んな奴に話してたぞ」

「俺の彼女はこいつだけだ! 渡辺なんか知るかよ! 」


 慧は完璧に怒りモードに入ったらしく、はっきりと彼女宣言をする。普通なら恥ずかしくて、そんなこと言わないだろうが。


 その声は教室中に響き渡る。


「酷い! 」


 美和が慧の方を見上げてボロボロと涙を流すと、知恵にすがり付いて号泣し始めた。

 いかにも、自分は慧と付き合っていたはずなのに、なんでそんな酷いことを言うんだ……と言わんばかりだ。

 知恵はそんな美和の肩を抱いて教室から出て行く。


「ウワッ、もうあっちは動き出してたね」

 美香が呆れたように美和達が消えたドアを見て言う。


 このままだと、慧と美和の間に麻衣子が割って入り、美和から慧を奪った……なんて噂が広がりそうだった。


「えっと……、略奪愛的な? 松田のくせになんだそれ? 」


 やはり二人は勘違いしている。

 慧みたいな真面目そうなごく普通のタイプの男を、麻衣子みたいな派手目女子と美和みたいな真面目女子が取り合うのがわからない、わからないけど羨ましい! というような面持ちだ。


「松田のくせには余計だ! あと、略奪された覚えはない。最初からあいつの思い込みなだけで、これっぽっちも手をだした覚えもなければ、告ったこともない! 」

「あのさ、本当に松田は渡辺さんとは関係ないから。第一、松田の今までの態度見て、渡辺さんと付き合ってると思った? 」

「いや、まあ、確かにそうだけど……」

「でも、なあ? 徳田さんとも付き合ってる感じは全くなかったけど? 」


 確かに、佐久間と多田の言う通りだ。慧と麻衣子が教室で話しているのさえ、見た者はいなかっただろうから。


「なに、さっきから騒いでるの?

麻衣子、部室行かないわけ? 」


 前の席に座っていた理沙がやってきた。


「理沙ちゃん、ちょっと言ってやって。まいと松田がいつから付き合ってるか」

「なに、そんな話ししてたの? そりゃ、新歓コンパの時からでしょ? 泥酔した麻衣子を送っていった松田君が、酔っぱらってるのをいいことに押し倒してヤりまくったのよね。麻衣子を送るように松田君に押し付けたのは私だから、私がキューピッドって言えなくはないわね」

「林、もう少しオブラートに包んでくれ」


 慧は、ため息まじりに頭に手をやり、麻衣子も顔を赤くし、うつむいてしまう。


「新歓コンパから……」

「やべえ、俺もサークル入ろうかな」


 二人とも心底羨ましそうに呻いた。


「ね、だから渡辺さんは松田とは無関係なんだって。あの女の勘違いっていうか、妄想でしかないから。どっちかって言うと、あの女がまい達の間に割り込もうとして、話しをでっちあげてるの」


 とりあえず、佐久間と多田は納得したようだった。


「あの女って、さっきの渡辺さんだっけ? なんか泣いてたよね。なになに、どんな話しになってるの? 」


 美香がざっと話しをし、理沙は面白そうに聞いていた。


「ありゃ、そんなことが……。まずったな。あの子、この間サークルに入会したよ」

「ええ?! 」


 理沙がごめんと手を合わせる。

 どうやら、TSC( テニス・スキーサークル )に入りたいと言われ、大西を紹介したということだった。たぶん、今日の飲み会で新入部員として御披露目されるだろうということだ。


「そんな子だって知らなかったからさ。たぶん、合宿もくるみたいよ。ヤバそうだよね」


 美香はちょっとちょっとと理沙を窓際の端に引っ張って行くと、何やらボソボソと話し出した。たぶん、美和の過去のことを話しているんだろう。佐久間達の前で話さないのは、美香なりの気づかいなのかもしれない。


 それにしても、渡辺さん……何かしかけてくるのかな?


 麻衣子は、意識せずに慧の洋服の裾をギュッと握っていた。そんな麻衣子を見て、慧はいつもなら絶対しない行動をとる。

 頭をポンポンと撫で、胸に頭を引き寄せた。麻衣子も素直に慧の胸に頭を預けた。


 その様子があまりに自然で、不釣り合いに見える麻衣子と慧が、ごく普通のカップルにしか見えず、何を言うよりも説得力があった。


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