第31話 渡辺美和って…?

 夏休み開始前日の金曜日、今日は午後も講義があり、夕方からサークルの打ち合わせ兼飲み会が入っていた。お盆休み前の二泊三日の合宿の集金も兼ねていた。


「美香は夏休み実家に戻るんでしょ? 」

「まあね、彼氏も戻ってくるからね。本当はバイトしたいんだけどさ。まいは? 」

「考え中。バイト入れてるから、お盆休みに帰るかどうか……。母親は帰ってこいって言うんだけど、そうしたら髪の毛黒くしないとだし」

「なに? 厳しい系? 」


 麻衣子は微妙な表情を浮かべた。

 厳しい……のだろう。小学生の時に両親が離婚し、わずかばかりの養育費は貰っていたらしいが、母親が働いて麻衣子を育ててくれた。「一人親だからこんな子供に育った」と言われるのが嫌だったんだと思う。とにかく地味に、目立たないようにと育てられた。そんな母親が嫌で、お洒落したくて無理言って東京に出てきた訳で、生活費や合宿費用を考えると、帰らずバイト三昧かなあと考えていた。


「松田君は? 彼も地方組でしょ?」

「でも、関東らしいよ。通えない距離ではないけど、二時間くらいかかるからアパート借りたらしいし」

「あんな顔してボンボンか。ボンボンと言えば、あんたのサークルの先輩は究極のボンボンだね」


 先週の日曜日、麻衣子は引っ越しをした。家賃二万で慧との同棲に踏み切ったのだ。

 慧は家賃は親が払ってるからいらないと言い、麻衣子は半額申し出た。半額払うならバイトを減らせと言われ、バイトを減らすことと二万だけ支払うことで、お互い擦り合わせた。実際には夏休みは短期バイトも入れていたから、バイト時間は増えているのだが。


 引っ越しの際、美香と理沙が手伝いにきてくれ、たいした荷物がなかったため、車があれば引っ越し業者を頼まないですむねという話しをしていたら、理沙が拓実に声をかけてくれたのだ。

 自分の車だと言っていたから、美香の言うようにお金はあるのだろう。そのおかげで、引っ越し代まで浮き、みんなに夕飯をご馳走することができた。


「あれ、なんか旦那が困ってるみたいだよ。松田~ッ! ちょっとちょっと! 」


 美香が大声で慧を呼び、慧はこれ幸いと階段を駆け上がってきた。


「三条、グッジョブ! 」

「どうしたの? 」

「渡辺の奴が、弁当食えって言うんだよ。弁当作る約束したから作ってきたとか、意味わかんねえ。そんな約束してねえし」

「ああ……」

 美香はなぜか分かるわというような口振りで相づちを打った。


 美和が明らかにこっちを見て睨んでいた。

 大量の弁当を広げているから、慧だけにというよりは、みんなに作ってきたのだろう。


「食べてあげたら? 」

「なんでだよ? 気持ち悪いじゃんか。菜箸とか舐めてたらイヤだし」

「あれ、松田って潔癖だっけ? 」


 美香に聞かれ、麻衣子は首を傾げる。麻衣子の作った料理は最初からバカバカ食べていたし、潔癖の人は誰彼構わずセフレを作るようなことはしないのではないだろうか?


「食べ物屋とかはいいけど、個人の作った料理はちょっとな……」

「あたしのは食べてるじゃん」

「バカか? おまえの食えなかったら、キスもできねえじゃねえか」


 そりゃそうだ。

 っていうか、教室で堂々とキスとか言わないで欲しい。


「そりゃ、間違いないね! 渡辺さんとは、キスもしたくないってことか」

「美香、声大きいよ」

「いいじゃん。あれには、ちゃんと分からせないと、後々面倒になるよ。うちら学食行くけど、松田はどうする? 」

「俺も行く」


 美和の険しい視線をくぐり抜け、三人で学食へ向かった。


「そういや、残りの二人は最近大学に顔出さないけど、単位平気なのかよ? 」


 残りの二人とは、たぶん沙織と多英のことだろう。

 最近二人はパッタリと大学にこなくなっていた。


「一応、出席カードはうちらが代筆してるから、単位は大丈夫だと思うよ」

「出席カードって、余分に持ってんの? 」


 講義が始まる時、教授の助手が出席カードを配るのだが、毎回カードの色が違うため、代筆しにくいようになっていた。もし数枚持っていたとしても、その色のカードが使われることは少ないからだ。


「多英が仕入れてきた。どんな手使ったかは不明だけどね。とりあえず、三十色あるよ」

「すげえ! 今度頼むよ! 」

「慧君! 」


 麻衣子に睨まれ、慧はたまにはいいじゃんと呟く。

 麻衣子は見た目に反して真面目なのである。


「一回千円ね」

「金とんのかよ! 」


 まけろ! まけない! と慧と美香が言い合っている間に学食につき、席を確保する。

 麻衣子はラーメンを、美香と慧は定食を頼んだ。


「三条ってさ、渡辺と同郷だろ?

なんか、奴のこと知ってたとか前言ってたけど、あいつなんかあんの? 」


 最初はおとなしい真面目な奴だと思っていた。たまたま席が近いから話すようになったが、麻衣子に暴言を吐いた辺りから妙にウザイというか、顔つきまで違って見える。


「ああ……うん」

 美香は言葉を濁す。

 美香の知っている渡辺美和は、正直ヤバい奴だった。

 たまたま知っていただけで、ヤバくて有名というわけではない。


「うーん、あたしが知っているのは片寄った知識かもしれないけど……」


 美香は噂話しは嫌いなんだよなと言いつつ、知っていることを話し出した。



 美香の彼氏の同じ中学の友達に豊という男の子がいた。

 彼には高校から付き合いだした可愛い彼女がいたらしい。彼女の名前はあや。そんな豊に横恋慕してきたのが美和だった。

 彩の友達だった美和は、とにかく思い込みが激しく、豊が美和のことが好きなのに、彩が別れてくれないと言い出したらしい。


 まずは友達からそんな話しを浸透させていき、次第に彩を孤立させた。豊には、彩が悩んでいると言い近寄り、無理やり関係を迫ったらしい。


 豊が拒否すると、今度は男友達に彩が実はあなたのことを好きみたいだと吹き込み、孤立している彩の相談にのるように仕組んだ。

 男友達をたきつけ、二人っきりになるようにセッティングした美和は、豊を連れてその部屋に乗り込んだらしい。


 ただ、思った以上に男友達がヘタレだったのか、乗り込むタイミングが早すぎたのか、未遂の状態( かなりギリギリではあったらしいが )で彩は助け出されてしまった。

 本当はヤっている現場に踏み込み、傷心の豊に取り入ろうとしたのだろうが。


 激怒した豊が男をボコボコにし、その男から美和の悪事が露見したらしい。


 美和いわく、本当に豊は自分のことが好きだと思い込んでいて、豊のためにしたことだと言い張ったというこだ。


 危ない女に好かれて困っていると、豊が美香の彼氏に相談したから、美香は美和の存在を知ったということだった。



「まあ、全部豊情報だし、どこまで本当かもわかんないけど、思い込みが激しい奴ってのは間違ってないんじゃないかな」

「マジか……。そういや、最近態度とか馴れ馴れしいっつうか、飯作りに部屋に行ってあげるとか、掃除しようか? とか、言ってくるな。昨日なんか、今から行くねとかほざいてたな」


 慧が心底うざそうに眉を寄せた。


「松田、完全に狙われてるよね。まさかと思うけど、ヤッたりしてないよね? 」

「するかよ! めんどくせえ! 」


 美香はいつものふざけた表情は引っ込め、心配するように麻衣子の方に身体を寄せた。


「大学生にもなって、ハブにするもないと思うけど、まいに嫌がらせはしてくるかもしれない。まいに気がある男をたきつけるくらいは普通にするだろうし、あんま一人で行動しない方がいいかもね」


 確かに、美和の視線は戸惑ってしまうくらい厳しく、まるで親の仇でもあるかのような憎しみを感じた。


「うん……、気を付けるよ。でも、明日から夏休みだし、一ヶ月もたてば、渡辺さんも少しは冷静になるかもしれないし」

「それは無理じゃないかな。夏休みこそ、根回ししてくるかもよ。松田は、もう少し付き合ってるアピールした方がいいよ」

「なんだよ、アピールって」

「もっとこうベタベタするとか、教室でも隣りに座るとか」

「無理! 」


 まあ、慧の性格的に人前でベタベタはあり得ないかもしれない。

 無意識にベタベタすることはあるかもしれないが。その場合、ベタベタのレベルを越えて、公然猥褻になるんじゃなかろうか?


「無理って……。ねえ、知ってる? サッカー部の佐藤君いるじゃん。女子に一番人気の。彼もまい狙いらしいよ。他にもラグビー部の葛西君とか、田中君とか、宮下君もかな。ラグビー部とかに押さえ込まれたら、抵抗するのは無理だよね」


 美香が、ニヤニヤ笑いながら慧をたきつけてくる。


「わかったよ。隣りに座ればいいんだろ」

「あたしも、二人が付き合ってるって広めとくからさ」


 夏休みまで後半日、そんなに効果はないのでは……? と麻衣子は思ったが、噂というものは半日もあれば十分広まるものなのであった。

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