第二章

第26話 学食にて

 麻衣子:お話しがあるのですが、近々会えますか?


 麻衣子のラインに既読がつき、返信がすぐにきた。

 仕事中のはずだが……。


 矢野:まいちゃんからラインくるなんて珍しいな。今日はバイト?


 麻衣子:はい、バイトです。


 矢野:じゃあ、夕飯食べに行くよ。バイト後でどう?


 麻衣子:はい、お願いします。


 麻衣子はスマホを手にため息をついた。

 まさか自分がふる立場になるとは思ってもみなかった。しかも、矢野のようないい人を。

 それを考えると、気が重くなる。


「まい、お昼どうする? 」

 美香が麻衣子の背中を指で撫でた。

「ヒャッ! もう、いきなり止めてよね」

「なに? 矢野さんにライン? 」

「うん。ちょっとね」


 美香には慧と付き合い始めたことは報告してあった。あと、サークルで一緒の理沙にも。他は特に公言することもないだろうと、聞かれたら答えるつもりでいたが、今のところ誰にも聞かれてはいない。


 沙織や多英は、基本他人には興味はなく、今は自分の恋愛に夢中みたいだし、同級生も気づいてすらいないようだ。

 ただ、いつも慧の近くの席に座っている女子の一人、渡辺美和だけは麻衣子に厳しい視線を向けるようになっていた。


「なに、とうとうふっちゃうわけ? キープしとけばいいのに。矢野さんのが、絶対優良物件なのに」

「そんなことできないよ。それに美香、慧君に協力してたんじゃないの? 」

「え? 別に。まいが松田のこと好きっぽかったから。矢野さんのこと好きなら、矢野さん応援したと思うし。にしても、あんたら付き合いだしても、なんにも変わらないね」


 そうなのである。

 手を繋いで歩いたのは、デート( ? )らしきことをしたあの時だけで、付き合うようになってからも、特にベタベタするわけでもないし、デートに行くこともない。何も変わっていないのだ。

 変わったのは、麻衣子が毎日慧のペンダントをするようになったことだけ。


 これで気がつけというほうが無理かもしれない。


「松田って、ヤルことだけはヤリまくるくせに、通常無視って最悪じゃん」


 麻衣子は苦笑した。

 確かに外ではベタベタすることはないが、家ではとにかく麻衣子に引っ付いてくることが多かった。手を繋ぐとかではないが、どっかしら触っていたり、後をついて回ったり。


 基本極端な照れ屋らしく、甘々な態度や表情は絶対に表にださないから、常に不機嫌な真面目顔に見えるけれど、実は甘ったれさんじゃないかと、麻衣子はにらんでいる。

 本人は絶対認めないだろうが。


「あれで、家ではかなりくっついてくるんだよ」

「なに? まいちゅわ~んとか言ってイチャイチャしてくるとか?

赤ちゃん言葉連発なん? 」

「それはないわ~」


 美香はゲラゲラ笑い、明らかに慧をバカにしている。


「あの真面目腐った顔からは想像できないわな」


 美香は、目尻の涙を拭いながら、真ん中の席で友達と話している慧に目を向ける。

 慧も視線に気がついたのか、後ろを振り向いたので、麻衣子は小さく手を振った。

 慧は一瞥しただけで、すぐに友達の方を向いてしまった。


「あれ、友達ですらない態度だよね」


 慧の耳が赤くなっているのを見て、麻衣子は小さく笑った。


「お昼、慧君と食べようかと思うんだけど、一緒でもいい? ほら、矢野さんに今日会うこと言おうかなって」

「やだ、邪魔するわけないじゃん? もうすぐ沙織もくるだろうから、旦那と二人で食べといで」


 麻衣子は慧にラインを打った。

 すぐそこにいるのだから、声をかければいいんだろうけど、なんとなく声をかけづらいオーラがあるというか……。


 麻衣子:お昼、一緒にどう?


 慧がスマホをチェックしてるのが、後ろから見ていてわかる。

 けれど、やはり既読はつかない。


 慧が友達に二~三言言ったように見え、席を立ち後ろを振り返った。そのまま教室を出ていく。


「あたし、言ってくるね」

「あいよ」


 麻衣子が荷物を持って教室を出ると、慧は廊下で待っていた。


「学食行く? 」

「そうだね。友達にはなんて言って出て来ての? 」

「いや、普通に飯食ってくるって」


 男子の友達はそんなもんなんだろうか?


 学食はそれなりに学生はいたが、席は確保できた。相席になることが多いので、隣り合って座る。回りに同級生はいなさそうだった。


「おまえ、なんでラインなの? 」

「えっ? 」

「普通に、飯食いに行こうって言いにくればいいじゃん」

「いいの? 話しかけても」


 彼氏っぽい態度を取らないものだから、友達にはあまり知られたくないのかなと思っていた。


「別に……」


 慧的には、表でベタベタするのには抵抗があったが、麻衣子と付き合っているというアピールはしておきたかった。最近麻衣子の男子ウケがよく、数人の男子が狙っているという情報は耳にしていたからだ。

 さっきも、麻衣子が手を振ってきた時、振り返せばよかったと、後で後悔していた。


「なんだ、いいのか。話しかけて無視されたらイヤだなって思ったからさ」

「俺、おまえん中でどんな人よ?

ンなわけないだろ」

「そっか、そっか」


 麻衣子は学食を食べながら、一瞬手が止まった。

 慧は右手で箸を持ち学食を食べ、麻衣子の内腿にスルッと左手を滑り込ませたのだ。あまりに自然な動きと、無表情の慧の様子を見ると、確実に無意識の動作のようだ。


「慧君、手! 手! 」


 麻衣子が小さな声で慧に注意すると、慧は怪訝な顔をする。慧の左手をつねると、始めて自分の手の動きに気がついたようで、慌ててテーブルの上に手を戻した。


「やべえ、無意識だった」

「幼稚園の時に習ったでしょ? 右手はお箸、左手はお椀だよ」

「バカにすんな! 」


 麻衣子はクスクス笑った。


「あれ、松田? なんだよ、飯食いに行くって、学食だったのかよ」


 後ろから声をかけられ、振り向くと慧の友達が数人立っていた。

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