第24話 合鍵

「りいちゃん、そろそろ帰るよ」

「やだ、まだ飲む! 」

「まいちゃん、松田、またね。ほら、帰るよ」


 拓実は理沙を引っ張り上げて立たせると、まだ飲む~ッ! と騒いでいる理沙を引きずるようにして、爽やかに帰って行った。


 前を見ると、かなり酔っ払った状態の慧がテーブルに突っ伏していた。


「慧君、大丈夫? 」

「大丈夫、大丈夫!まだまだ飲めるし」

「いや、先輩達帰ったし、うちらも帰ろうよ」

「帰った? 」


 慧は、やっとテーブルに二人になったことを理解したようで、ムクッと起き上がる。頭が若干揺れているのは、睡魔と戦っているのだろうか?


「帰る? 帰れないだろ。首輪買わなきゃ」


 あ、意味がわからないモードに突入するかも。


 さっき、素面の状態でも意味不明だったのに、酔っ払った慧はひたすら首輪首輪と連呼していた。


「首輪って、何につけるの?

 」

「何って、バカじゃね? 」


 慧はフラ~ッと立ち上がり、歩きだした。

 麻衣子は慌てて慧を追いかけ、支えるように腰に手を回す。慧は麻衣子の肩に手をかけ、麻衣子の顔をじっと見る。


「マジであり得ないよな。こんな女」


 こんな女発言ですか……。


 めげそうになりながらも、酔っぱらいの言うことだしと、麻衣子は聞き流すことにする。


「はいはい。帰ろうね」

「チャラチャラした見た目しやがって、化粧落としたら地味顔なくせに……。最近……じゃねえか。クソッ、まじムカつく! 」


 なおも慧はブツブツ言っている。

 聞こえないところは、なにやら麻衣子を誉めているようだが、麻衣子の耳には届かない。


「慧君、ちょっと酷すぎない? そりゃさ、化粧で盛ってはいるけど、最近はナチュラルにしたし、そんなにけなさなくてもいいじゃん」

「うるせぇよ! よし、今日はうちに行くぞ」

「うちって、慧君のアパート? 」

「たまには気分変わっていいだろ」


 千鳥足の慧を麻衣子のアパートに連れて帰るのは、確かにしんどそうだ。二十分の歩きに耐えられるか? タクシーなんてことになったら、今月の生活が厳しくなる。

 そう思った麻衣子は、しょうがなく慧のアパートに帰ることにうなずいた。


 今まで一度も慧のアパートには行ったことはなく、行きたいとも思っていなかった。

 行きたくない理由はただ一つ、女の影を見たくなかったのだ。


 電車に乗り、いつもは通り過ぎてしまう駅で下りる。

 ホームの風景は見慣れているが、実際に下りたのは初めてだった。改札は一つで、改札から出ると、踏み切りを渡って商店街を歩く。商店街の途中で横道に入り、数分歩いたマンションに慧は入って行った。


 アパート……ではなく、エントランスがあって、エレベーターがついているような、きちんとしたマンションだ。

 三階の角部屋の鍵を開け、慧はドアを開けて麻衣子に中に入るように促した。


「なにこれ? ずいぶん高そうな部屋ね」

「知らね、親が勝手に用意したし」


 ワンルームではあるが、バス・トイレは別のようだし、対面式のシステムキッチンがあり、部屋には大きなテレビと向かい合ってシックなテーブルとソファーがあり、ベランダ側にセミダブルのベッドが置いてあった。


 こんな部屋があるのに、なんでうちに毎日帰ってくるわけ?


 麻衣子の部屋なんて畳だし、机を片付けないと布団が敷けないくらい狭いし、布団は煎餅布団だ。

 麻衣子のアパートとは、まさに天と地ほどの差がある。こっちの方が、数万倍居心地がいいだろう。


 慧は、麻衣子をベッドに押し倒すと、乱暴に洋服を剥いでいく。


「うちなら、少しくらい声だしても大丈夫だぞ。一応、防音になってるからな」


 そうは言われても、他の女もこの部屋に入ったんじゃないか?このベッドで抱いたんじゃないか?と思うと、気分が全くのらない。


 部屋を見回すと、色使いはシックで女の形跡は見当たらない。でも、探せば女の忘れ物があったり、置き歯ブラシとかあるのかもしれない。


 下着の替えとかあったらイヤだな。


 自分は、それを指摘できる立場にはないわけで、だからこそ来たくなかった。


 酔っぱらっていても関係ないようで、慧はいつも通り麻衣子と数回身体を重ね、いつも通り麻衣子を抱き枕にして眠りにつく。


 部屋にコンドームあるんだ……。


 麻衣子は、慧が眠ったのを確認すると、妙に虚しい気分になる。

 慧は、ごく自然な動作で、ベッドの横に置いてあった棚から、コンドームを取り出してつけていた。


 起き上がってコンドームの箱を見ると、新品の箱を開けたようなのを確認して、麻衣子の気分は少し浮上する。

 誰かとの使いかけだったら、タクシーを使ってでも帰ろうかと思っていた。


 散らばった服をたたみ、着る物を捜すが、勝手にクローゼットを開けるのも躊躇われ、麻衣子は諦めて下着だけを着けて慧の横に潜り込んだ。



 朝を向かえ、まだ寝ている慧を起こさず、麻衣子は洋服を着て慧の部屋を出た。


 それから三十分ほどして、慧が目を覚ました。

 昨日は飲み過ぎたが、二日酔いにはなっていない。身体の疲労感だけがあった。

 慧は、寝ぼけた頭でなんで自分のマンションにいるのか思いだそうとした。


 麻衣子は?


 ベッドにはいないし、慧の洋服がたたんで置かれている様子を見ると、麻衣子も連れて帰ったはずだ。慧だけなら絶対に畳んだりしない。


 トイレか?


 トイレと風呂場を捜したが、麻衣子の姿はない。

 ワンルームだから、他に捜す場所もない。

 玄関を見ると、鍵が開いていた。


 帰ったのか? なんで?


 慧が玄関のドアを開けようとした時、外側からドアが開けられた。


「ウワッ、びっくりした! 慧君起きたんだ」

「おまッ! どこ行ってたんだよ」

「駅前のスーパーに買い物。飲み物もなかったからさ。朝御飯も買ってきたよ。スーパー近くて便利だね。……それより、パンツくらい履いたら? 」


 慧は、素っ裸で麻衣子を捜していたのであった。


 いつも通り朝食を作ろうと材料を買いに出た麻衣子だったが、もし万が一使い込まれた調理器具とか見てしまったら朝から凹みそうで、サンドイッチを買ってきたのだ。


「手抜き! まあ、うち油もないからな。しゃあないか」


 料理、作ってもらったことなさそう。

 良かった。


 二人で朝食を食べると、麻衣子は買ってきた歯ブラシで歯を磨き、クレンジングで化粧を落とした。洗顔は慧のを借りる。

 洗面所には歯ブラシはひとつで、麻衣子はホッと安堵した。


 歯ブラシとクレンジングを持って部屋に戻り、鞄にしまおうとしたのを見た慧がそれらを取り上げた。


「置いてけば? また使うだろうし」

「いいの? 」

「別に。俺のもそっちにあんじゃん。次は着替えとかも持ってこいよ」


 無頓着なのかな?

 それとも、この部屋には他の女は入らないってことなのかな?

 相手も割りきってるから?


 麻衣子の荷物を置いてもいいと言う慧の気持ちを掴めないでいた。


「そうだ、これやる」

 慧は麻衣子に合鍵を投げてきた。

「鍵かけないで出かけたら無用心だからな」

「でも……、いいの? 」

「いらない? 」

「いる。もらう! 」


 麻衣子は、嬉しそうにキーケースに慧の部屋の鍵をつける。

 なんか、彼女みたいでテンションが上がる。


 そんな麻衣子の様子を見て、こいつ俺のこと好きだよなと、慧は改めて実感した。どうでもいい相手の合鍵なんて、受け取りもしないだろうから。


「風呂、入るか? 」

「うん」


 前に行ったラブホほどの広さはなかったが、麻衣子の部屋のユニットバスよりは広い浴槽で、二人で浸かっても足が伸ばせた。


 何より、洗い場があるのがいい!


「やっぱ、バス・トイレ別のがいいね」

「まあ、そうだな。……おまえさ、こっちに引っ越してくれば?」

「はい? 」


 麻衣子は、慧の言っていることはわかったが、意味を理解するのに数秒かかった。


「エエッ!? 」

「おまえんち、駅から遠すぎるんだよ。うちより大学にも遠いし」

「あの、同棲するってこと? 」

「ああ? 今だって似たようなもんだろ」


 それはそうだ。

 慧は麻衣子のアパートに入り浸っているのだから。


「でも、親とかきたら……」

「そんときは、どっちかが友達の家とかに行けばいいんじゃね? まあ、うちの親はあんま気にしないけどな」

「いや、うちの親は気にするよ。しかも、こんなとこ住めるとも思わないだろうし」

「友達とシェアしてるとか言えば、こないんじゃね? 」

「かもしれないけど……」


 まさかの同棲だなんて……。

 慧君の中で、セフレと同棲ってありなの?


「家賃ももったいないし、まあ考えとけよ」

「……うん」


 いきなりの同棲の申し込みに、麻衣子は戸惑っていた。

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