ACT.1 虎狼の族が住まう世界へ(Ⅰ)


「――今回の講義は以上になります。それでは皆さん、次の講義に遅れないように」


 そういった老講師が教壇を降りた瞬間、講義室全体の空気が一気に弛緩する。

 その講義室の丁度真ん中ぐらいのところにいる一人の青年が、大きく伸びをする。

 白い質のいいシャツをきた、少し癖毛のある黒髪の、眼付きの悪い青年だ。


「――どうしたの凧谷くん?もしかして、寝てた?」


 眼付きの悪い青年――凧谷慎二に、講義室の後ろからやってきた少女が話しかける。

 金糸のような長髪、湖のような美しい碧眼、アイドルのように整った小さな顔。悪い意味で人目を惹く慎二とは対極の意味で目立つ美しい少女だ。


「天神か。いや、あの教授、板書の量が多くて大変だっただけだ」


 そんな普通の男子が話しかけられただけで挙動不審になりそうな少女――天神玲奈に話しかけられても、眉一つ動かさない仏頂面を保ち続ける慎二。

 その様子から、この二人が対等な友人関係を結んでいることがうかがえる。


「あー、葛城先生板書多いよねー。私途中で諦めちゃった」


「おい」


「だからさ、後で見せて?」


 そういってかわいくおねだりして見せる玲奈。自分の容姿に自覚のある、実にあざとい仕草である。

 対する慎二は仏頂面を僅かに変化――眉間に皺を刻む。


「自業自得だ」


「え!?なんで!?」


「なんか腹が立ったから」


 ケッといって玲奈のあざとい仕草を一笑に伏した慎二は、さっさと荷物をまとめていく。


「えー、なんでも言うこと聞いてあげるから!お願い!」


「間に合っている」


 聞く人が聞けば、よからぬ妄想をしそうなセリフを吐く玲奈だが、慎二は一瞥もしないまま講義室を出ていこうとする。


「いや、間に合ってないね!君は今、とても困ってるはずだ!」


「――ほう?」


 根拠のありそうな顔でそんなことをいう玲奈に、少し興味がわいた慎二。

 出ていく足をいったん止めて振り返る。


「俺が何に困っているって?」


「ふっふっふ、ずばり君は今――」


 玲奈はやけにもったいぶった様子で、こう言った。


「――友達がいなくて、困っている!ドヤ!!」


「帰れ」


「待って、ねえ待って!最後まで話を聞いて!」


 自信満々なそのセリフを絶対零度のリアクションで切り伏せた慎二は、踵を返して講義室を出る。

 それを半泣きになりながら追いかける玲奈。


「だって本当でしょ!入学してから君、私以外と話しているところ見たことないし!」


「お前それ、自分にも刺さってるからな」


「ぐさっ!」


「それにお前と違って、俺には高校時代の友達いるし」


「――そうだよ!そこだよ!」


「ん?」


 あれ俺今なんか変なこといったか?と疑問に思い、横に並んで歩いていた玲奈に顔を向ける慎二。


「今君、趣味――TRPGだっけ?ソレ、友達とできてなないよね?ぶっちゃけ毎日暇を持て余してるよね?」


「うぐっ」


 慎二は図星をつかれて思わずうめく。

 慎二の趣味はアナログゲーム――特にTRPGと呼ばれるモノを特に好んでいた。

 フルダイブ型ゲームが主流になった現代では、同好の士が絶滅危惧種になったソレを、だ。

 高校時代は奇跡的に同好の士がいたため、辛うじてできていたソレは、進学と共に同志たちが散りじりになってしまったことで、遊ぶことが困難になってしまった。

 距離が問題なだけだったら、PCやスマホでオンラインセッションをすればいい話だが、一部の仲間は就職したり海外に行ってしまったのが問題だった。

 ――つまるところ、時間が合わない。

 このところ、慎二はゲームしたい欲求がたまっていたが、消化できずにいていた。


「――そこでさ、提案なんだけど」


「なんだ?」


「私と一緒に、ゲームしてみない?VRMMOだけど」


「は?」


 この少女・玲奈は、派手な見た目と裏腹に、実は根っからのゲーマーであった。ただし、慎二とは対極に位置する最新ゲーム大好きっ子である。

 高校時代にある事がきっかけで面識を持った二人だが、趣味の方向性の違いから、今まで共に遊んだりすることはなかった。


「いや、俺ハード持ってないし」


「私、今最新ハードで遊んでるから、旧式を貸すよ!」


「い、いや俺も忙し――」


「君、サークルにも入ってないし、バイトもしてない。暇しまくりじゃん!」


「うっ」


 今日は何故かやけにグイグイくる。

 そう思いながら、慎二は押されていた。


「これを機会に、新しい趣味を始めると思ってやってみない!?」


「ちょ、ちょっと落ち着け! 顔が近い!」


 ――というか、物理的にも押されていた。

いつの間にか通路の壁際にまで追いつめられて、いわゆる“壁ドン”のような恰好になっていた。男女は逆だが。

普段は気にしていないが、この至近距離に玲奈の整った顔があるのは、いくら慎二であっても非常に――まずい。何がとは言わないが、耐えられないし、兎に角まずいのだ。


「わ、わかった! やる――やってみるから!!」


 強引に押し切られ、慎二は玲奈の提案を受け入れることにした。


「やった!」


 そういって喜びながら離れる玲奈。

 玲奈が至近距離からいなくなってほっとする慎二。


「じゃ、じゃあさ!今日の講義全部終わったら待ち合わせしてソフト買いに行こう!」


 慎二が玲奈と出会って二年ほど経つが、こんなにはしゃいでいる彼女を見るのは初めてかもしれない。


「あぁ、構わない。それで、何かおすすめはあるのか?」


「そりゃもちろん――」


 慎二のその問に、玲奈は満面の笑み――いや、ドヤ顔で答える。


「――『CO-ROU・THE・CHRONICLE』でしょ!!」


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