――今まで巡った場所でも、私は見落としてきたのかもしれない。目の前にあったのにもかかわらず、見落とし、見逃し、目を逸らして、心のどこかで気付かないふりをしていた。もちろんそれは今になってはわからないことだ。だが、今ならもうわかる。

「さっき写した写真、何枚かもらえると嬉しいな」

 ノートパソコンを取り出した男性に、私は「もちろんです」とメモリーカードを手渡す。私が撮った写真をノートパソコンの画面に表示、すると男性は「いい写真だ」と笑みをこぼした。その言葉に、思わず私は「はい」と答えた。

 純粋に嬉しかった。それはきっと、彼が他人だったからだ。わざわざ嘘を吐いて褒める必要もない、気を遣う必要もない。そして、同じ場所で、同じ時の中で、同じものを共有した相手だからこそ、そう思えたのだ。

「偶然とはいえ、お会いできて良かったです」

「僕も、いい写真を見せてもらえて有意義な時間だった。ありがとう」

「ありがとうだなんて……色々と気付かせてくれてもらったのは私です」

「じゃあ、貸し借り無しで、ちょうどいい。さて……そろそろ帰ろうかな」

 メモリーカードを返却、男性は荷物をサイコロに入れて抱え立ち上がる。そしてはっとした顔をして彼は申し訳なさそうに言う。

「そういえば名前、名乗っていなかった。写真もらったり、何やかんや話したりしておきながら……初対面でありながら悪かった。『きみ』、なんて呼び方をずっと……女性にたいして失礼な呼び方だった、すまない」

 律儀、大人だなあ、と思いながら私は顔を左右に軽く振った。

「そういうのは」

「…………! ああ、そうだね」

 彼は察してくれたのか、名乗るのをやめた。

「赤の他人だったからこその一日、それを大事にすることで、さっきの写真に意味が残る、だね。不躾だったな、いかんいかん」

 笑い、男性はサイコロを抱えた状態、小さく指先を振りながらこう言った。

「ではまたどこかで、さん」

「アンバーさん?」 

 困惑して数秒――琥珀色アンバー調を思い出した私はくすっと笑って言い返す。

「またどこかで、さん」

 彼はもう一度笑って背を向ける。

 今日は気付かされた一日だった、そう思いながら、何気なく彼の後ろ姿をぱしゃりと写真に収める。余韻冷めぬまま、私は大きく背伸びをして見上げる。真っ青な空、雲一つない青空。思い切り深呼吸をして、お腹がぐうとなる。思い出すは唐揚げの香りと味。ジョギング中の人達に聞かれたかな? とちょっぴり気恥ずかしくなり、軽く咳払い。

 自己満足。次はどんな場所を巡ろうか。そして新たに抱く楽しみ――果たしてどんな人と出会うのだろう。浮足立ちそうな自分は、間違いなく以前の自分とはまるで違う。

 でも。

「さあ、次はどこにいこうかな?」

 きっと満ちてもまた引いて――私は懲りずに繰り返し追い求めて、歩き巡るのだ。





『匿名リフレイン』  了

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匿名リフレイン 黛惣介 @mayuzumi__sousuke

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