それでもこの冷えた手が ~ずっと、待ってたよ~

無月弟(無月蒼)

前編

「さ、さうい~」


 校舎からでた私は、その予想以上の寒さに思わず身を震わせる。寒すぎて上手く声がでなくて、『寒い』と言うつもりが『さうい』になってしまっていた。

 空を見上げると、白い雪がふわふわと舞い降りてきている。午後から降り始めた雪は積もってはいないものの、私の体を容赦無く冷やしていく。


 雪景色は、見る分には綺麗だとは思う。だけど生憎、私は冷え性。しかも重度の冷え性で、冬の間は少し外にいただけで、指がまともに動かなくなるし、喋るのもままならなくなる。寒いのは天敵なのだ。

 だけど残念なことにこれから、私はその寒い中を家まで帰らなければならない。しかも十キロも離れた家まで、自転車で。


 自転車通学は毎日の事。春に高校に入学した当初はキツかったせど、もう二年近く通っている今では、長距離を移動するのにもすっかり慣れた。ただ冬に入ってからは、長距離の移動に寒さがプラスされる。

 夏に汗だくになってしまうのも嫌だったけど寒いのはもっと辛い。今日は特に寒いから、帰るのが憂鬱になっていまう。

 だけど、いつまでも躊躇していても始まらない。春になるまで待つわけにもいかないので、諦めて自転車小屋まで移動しようとする。だけどその時。


「あれ、冬島ふゆしまも今帰りなのか?」

「えっ……日賀ひがくん?」


 声をかけてくれたのは、同じクラスの日賀くん。その瞬間私の心臓は跳ね上がって、一瞬寒いのも忘れてしまった。


「ひ、日賀くんも、今帰りなの?」

「ああ。つーか冬島、雪降ってるのに大丈夫なのか?寒いの苦手だろ」


 日賀くんは、私が寒がりなのをよく知っている。彼とはほんの一週間前まで、毎朝一緒に登校していたから。

 一緒に投稿していたと言っても、なにもわざわざ待ち合わせして登校していたわけじゃない。ただ日賀くんは私より遠い、十五キロ離れた家から毎日自転車で来ている。その途中で、同じく自転車通学をしている私と合流することが多かったのだ。打ち合わせをしたことなんてなかったけど、春も夏も決まって一緒になっていた。

 ただ今では、事情が変わってる。日賀くんがバイクのが自転車通学からバイク通学へと変わってしまったのだ。

 免許を取ったのが去年の秋。それから一年、バイトをしてようやく念願のバイクを購入、一週間前からバイクで通ってきていると言うわけだ。


「日賀くんはいいなあ。バイクだったら自転車と違って疲れないし、速いから寒い思いする時間も少なくてすむし」


 ちょっぴり意地悪な言い方をしてみる。だけど本当は羨ましいよりも、寂しいという気持ちの方が強い。だってバイク通学を始めたせいで、一緒に登下校することは無くなってしまったから。

 日賀くんは知らない。朝一緒に並んで自転車を走らせる時間が、私にとってどれだけ幸せだったか。夏な汗だくになって登校した時、汗臭くないかとハラハラしてたことも。途中で急に雨が振りだして、慌てて学校まで行った後、濡れた髪をタオルで拭く日賀くんを見て、ドキドキしていたことも。

 だけどもう、あんな風に一緒に登下校はできない。その事をつい、寂しいって感じてしまっていると。


「乗っていくか?」


 不意に、そんなことを言ってきた。


「ええと、乗るって何に?」

「決まってるだろ、バイクにだよ。冬島さえよければ、乗っけていってやるよ。寒い思いしなくてすむから良いって言っただろ?」


 それは確かに言ったけど……日賀くんの運転するバイクに乗るの?何だか急にドキドキしてきた。

 また一緒に帰りたいと思っていた私にとって、願ってもない申し出だけど、そんなことを急に言われても、ドキドキしする。しかしだからといって、ここで断るなんて選択肢は無い。


「お、お願いできる?」

「まかせとけ」


 日賀くんは得意気な笑みを浮かべると、バイクの止めてあるバイク小屋に向かい、私も後ろからついていく。

 停めてあったバイクにエンジンをかけた日賀くんは、ヘルメットを渡してくる。


「そのヘルメット、マイクもついてるヤツだから走りながらでも話ができる。もし怖かったら、ちゃんと言ってくれよ」

「こ、怖くなんてないよ」


 私はそれを受け取って被ると、ゆっくりとバイクの後ろに腰を掛けた。

 さっきは嘘をついてしまった。バイクなんて初めて乗ったけど、ガタガタと振動が伝わってきて、本当はちょっとだけ怖い。すると前に乗っていた日賀くんが振り返ってくる。


「安全運転はするけど、しっかり掴まっててくれよ」

「う、うん」


 と言ったものの、掴まるってどこへ?もちろんどこに掴まればいいか、わからないわけじゃない。そっと手を伸ばして、日賀くんのお腹の前に両手を持っていく。けどなんだかこれって、すごく恥ずかしい。


「私の手、すごく冷えてるけど、お腹冷たくない?」

「服ごしだから分からないよ。それじゃ、行こうか」


 そうして日賀くんは、バイクを走らせる。当然だけど、自転車とはスピードが全然違う。日賀くんの体が風避けになってくれてはいるけど、それでもなお襲いかかる風は冷たくて、回していた手に、つい力が入ってしまう。

 すると慣れてない私に気を使ったのか、少しだけ速度を緩めてくれた。安全運転にさりげない気遣いをするのが、いかにも日賀くんらしい。自転車で並んで登校していた時も日賀くんは常に車道側にいてくれてたっけ。事故なんていつ起きるかわからないからって、前に言っていた。

 そうしてしばらく走ったところで、日賀くんがふと聞いてきた。


「そういえば冬島って、どうして自転車通学に拘るんだ?毎日片道十キロなんて、楽じゃないだろ」

「日賀くんがそれを聞く?もっと長い距離を自転車で来てたのに」

「それが面倒だから、こうしてバイクに切り替えたんだよ。けど冬島は違うだろ。毎日せっせと自転車を漕いで。普通なら、列車を使うのに」


 そう、私はやろうと思えば、列車通学をすることもできる。事実私の家の近所から同じ学校に通っている子達は皆、列車通学をしていた。毎日えっちらほっちら、暑いのも寒いのも雨が降るのも我慢して自転車を漕いで登校すのなんて、私くらいのものだった。だけど私だって、決してこの面倒な登下校を望んで行っているわけじゃないのだ。ただ……


「列車は、苦手なの……」


 そうして、詳しい話をしていく。

 いったい何が原因なのかは分からないけど、私は昔から列車に乗るのを嫌がっていた。うんと小さい頃は、列車に乗ったとたんに泣き出したこともある。今はさすがにそんなことはなくて、たまには乗ることだってある。

 だけど苦手意識はどうしても拭いきれなくて、そんな列車に毎日揺られるだなんてことはしたくなかった。だから仕方なく、自転車登校をしているというだけ、別に拘っているわけじゃないのだ。


 日賀くんとは春からの付き合いだけど、この話をしたのは初めて。お互いに遠い所からの自転車通学生同士、もっと早くに話題に上がってもおかしくなかったけど、私は今日まで話すことは出来なかった。だって高校生にもなって列車が苦手なんて、恥ずかしいじゃない。


「なるほどね。それじゃあ別に、健康のために自転車で通ってた訳じゃなかったんだな」

「健康のことを考えるなら、運動部にでも入った方が早いよ」


 私は帰宅部。健康なんて考えたこともないのだ。


「違いないな。けど、列車が苦手ねえ」

「良いよ、笑っても。自分でも情けないって思うもの」

「笑ったりなんかしないって。だって俺も……同じだから。昔から苦手なんだよな、列車」

「え、日賀くんも?」


 この話をすると大抵笑われてきたけど、共感されたとこなんて初めてだ。しかも相手は日賀くん。何だかとても嬉しい気持ちになる。


「俺も昔から、列車に乗ると妙な居心地の悪さを覚えるんだよ。何でだろうな?」

「何かトラウマがあるわけじゃないんだよね?私もそうだよ。もしかして日賀くんが登校に自転車やバイクを使うのって……」

「冬島と一緒。電車通学をするのが嫌だから」


 本当に私と同じなんだ。

 こんな風に同じ悩みを持っている人がいるってわかったら、少し気が楽になった気がする。相変わらず原因はさっぱり分からないけど、苦手なのは私だけじゃなかったんだ。


「人に言っても、中々理解されなくて困ってる。だから今日まで黙ってたんだけど、まさか冬島も同じだなんてな」

「こんなことなら、もっと早く言ってれば良かったね。そっかあ、日賀くんも同じかあ……」


 吹き付ける風を受けながら、私達は楽しく話していく。

 あまり良いとは言えないけれど共通点だけど、日賀くんと一緒ならまあ良いかなって思えてくるのだった。

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