第5話

「ただいま~」


 翌日の放課後。


「おかえり」


「おかえりなさ~い」


 家に帰るなり僕は自室に行きベッドにランドセルを放り投げた。


「いってきます!」


 次に、サッカーボールと自転車の鍵チャリキーだけ持って家を飛び出す。


「勉強は!? してないでしょ! しなさいよ!」


「今日は息抜きの日だから!」


 お母さんの怒りオーラをはねのけ、ヘルメットと引きかえにボールをカゴにのせた自転車に飛び乗る。


 冷たい風を切って絶え間なくペダルを動かす。どちらかというと、風を巻き起こしてるのはこちら側だ。


 ったく、1日くらい勉強しない日があったっていいだろ。今日平日なんだし。


 吐き捨てたそんな愚痴は風にのって飛んでいく。




 西公園に着いて自転車チャリを端に停めヘルメットを外す。ほどなくして、イワシが青い自転車のペダルを全速力でこいでやってきた。


「よっ」


 ヘルメットを外しながらすちゃっと右手をあげたイワシと同じくあいさつを返す。


「よう」


 彼の自転車のカゴには当然のごとくサッカーボール。以心伝心ってやつだ。……ちょっと嘘ついたかな、普段2人で遊ぶときずっとリフティングの回数競ってるから。


「始めようぜ。俺お前には絶対負けないから」


「それはおれの台詞だよ」


 お互いに宣戦布告をして、僕らの日常的なバトルは始まった。




「ほんとによかったの? 今日遊んでて」


「おぅ。たまには息抜きも必要って言っただろ」


 バトルとは言えど、話しながらリフティングするだけ。今のとこ20回を超えた。


「じゃいいけど。今日の小林先生こばてぃー、カミカミで面白かったな」


「そうなんだ」


 僕は家に帰ってからなんて言い訳するか考えていたからてきとうに返事をした。


「反応薄いけど、どうかしたのか?」


「や、別に……」


 脳内の大半を受験が占めていて、どうしても塩対応になってしまう。


「まじでどした? なんか最近の日和、前と違う気がするんだよな」


 一定のテンポでボールを蹴り上げながら彼は呟いた。


「前と違うって?」


 自分で変わろうとした記憶なんて全くなくて、僕は訊き返す。


「なんか受験するって言ってから変わった気がする。……あんま良くない意味で」


「どういう意味だよ」


 僕は若干いらついてしまう。それは受験前で焦ってるからってことにしたい。


「以前より元気がないんじゃないかな。教室でお前の笑い声はおろか、声を聞くことも少なくなった気がするし。たぶん、自分から人に話しかけること減っただろ? まぁ受験前で忙しいからなんだろうけど。中学受験したいって自ら言ったことなの?」


 どんどん早口になっていくが、イワシがボールを蹴る速さは変わってない。まだ冷静に話せるのか、あるいはヒートアップしそうになっているのを抑えているか。


「そうだよ」


 言われてみるとたしかにそうだ。休み時間は塾の宿題とにらめっこしていることがほとんどだから、友達とくだらない――でも楽しい有意義な話をする暇なんてない。


「じゃあ自分で自分の首絞めてるだろ。最近の日和、見てて辛そうだよ。ずっと悪夢に悩まされてるみたいな」


 図星だ。さらに、学校だと勉強できるのに家に帰った瞬間手に付かなくなるというこのよくわからない状態を“悪夢に悩まされてる”と名付けてもらえてすっきりした。


「……俺の自由だろ。お前には関係ない」


 でも、僕の口をついて出たのは思ってもない言葉だった。


「なんでそんなこと言うんだよ」


 もとはと言えば、イワシのせいだったんじゃないだろうか。イワシに勝ちたくて、圧倒的大差をつけて勝つために受験というステージを選んだ。でも、受験は僕の目から輝きと友達との大切な時間を奪った、そんな気がしてる。


「……イワシのせいで苦しんでんだよ! お前のせいで勉強に集中できないの!」


 驚いているイワシに、僕は何も考えずに叫んだ。もう理性なんてどこかへ行きそうだったけど、かろうじてサッカーボールと一緒に地面の方へ吸い寄せた。いや、この発言をしてしまうあたり既に手遅れで理性だけ空の果てに消えてたのかもしれない。


「なにそれ。……なんだよそれ。なんで自分で選んだ道を他人ひとに押しつけてんだよ」


 もういい、勝手にしろよ。そう吐き捨てるように言った彼の足は不意に止まった。そのまま彼はボールを自転車のカゴに強引に突っ込み、ヘルメットもせずに去っていった。僕らは同じリズムでリフティングをしていたから、彼が先にリフティングをやめたということは、僕がイワシに勝った瞬間だった。リフティングで勝ったのは初めてだったのに、全く嬉しくなかった。あてもなくころころと転がっていく自分のボール。ピントが合わないままそれを呆然と見ていた。

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