第4話

「日和、日和」


 どこからか、僕を呼ぶ声。聴きなれた、妹のだ。


「ん……なに?」


 僕はもやがかかった空間からなんとか声を出す。


「今日早く学校行くから。怜くんに伝えておいて」


 そんなことを言われたような、言われてないような気がする。


「あーい。いって……ら」


 最後の“ら”を言えたか覚えていないけれど、僕の記憶はそこで途絶えた。


 


 それからどれくらいの時が過ぎただろうか。


「日和~! 怜くんが待ってるわよ~!」


 僕の寝ぼけた頭を覚ますには、その母のひと声だけで充分だった。


「うわっ、やべ! 遅刻する!」




「そーいや、かじこはは?」


 それから大急ぎで準備して家を出て、イワシとダッシュで登校して、今――学校の昇降口に至る。これなら遅刻する心配はなさそうなのでひと安心。


「あー、あいつ? わかんねー……今日早く行くって言ってた気がする……たぶん」


 今朝、もやがかかった空間――夢の中でそんなことを言われたような気がする。


「そかそか。……あ」


 僕の心に余裕ができて、3.14×1は3.14、3.14×2は6.28、3.14×3は9.42、3.14×4は12.56、3.14×5は15.7……と唱え始めたとき、イワシが小さな声をもらした。


「どした?」


 そんなたいしたことじゃないだろうと思った僕はまた3.14×6は18.84、と唱える。


「いや、なんでもない。手紙入ってただけ」


 イワシにとって下駄箱に手紙が入ってるのは非日常じゃないんだよな。頻繁に女子から告られてるイワシらしいや。さすがサッカー部のキャプテン。


「いいな、イワシは。“手紙入ってただけ”とかおれも言ってみてーわ」


 3.14×7は……あれ、なんだっけ? 度忘れしたかもやば。


「手紙ってゆーか、メモだけ」


 メモ1枚でも下駄箱になにかが入ってるってだけで普通は一大イベントだぞ?


 思考を邪魔されたのと単純に腹が立ったので、笑うイワシを僕は軽くはたいた。


 にしても、なんだっけな……。3.14×7。


 そのときの僕は知る由もなかった。そのメモの筆跡が、小春のものだってことを。




「そうだ日和。明日だったよな?」


 帰り際、イワシは動揺を隠すような表情で訊いてきた。おそらく、今日告ってきた子となんかあったのだろう。僕には関係のないことだ。


「明日? なんかあったっけ?」


 首をかしげた僕を見て、イワシはなんで忘れてんだよ、って言いたげに楽しそうな顔でははって笑う。こういう明るさがみんなに好かれる理由のひとつなんだろうな。


「遊ぼって誘ったのお前だろ」


「あー、そだったな。4時に西公園にしこーでいい?」


 西公園というのは、学校から5つ目に近い公園だ。というか、学校からはそこそこ遠い公園。人口密度が低いので、のんびり話をするにはちょうどいい。


「おぅ。じゃ」


「また明日」

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